伝統を重視する姿勢の二分:古儀式派の発生とは? わかりやすく解説

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伝統を重視する姿勢の二分:古儀式派の発生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 00:55 UTC 版)

ロシア正教会の歴史」の記事における「伝統を重視する姿勢の二分:古儀式派の発生」の解説

こうした時に登場してきたのがニーコンであり、彼はアヴァクームと共に正教会西欧化危機感抱き正教会伝統を守る意識持っていた人物であった。だが1652年にニーコンがツァーリであるアレクセイ支持受けて総主教着座教会改革始めた段階で、アヴァクームらの一派分裂生じた先述通りこの時代ロシア正教会では所有派が指導的立場にあったが、所有派は非常に形式重んじる人々であり、形式主義は非常に深くロシア正教会根を下ろしていた。 形式主義への偏重中庸の状態に適正化させること。およびロシア正教会形式を、正教世界中心たるロシア相応しくギリシャ倣ったものとし、ギリシャ奉神礼伝統祈祷書取り入れることで正教会世界標準的地位ロシア確立すること。以てカトリック教会への対抗とする。これらがニーコン改革によって目指された。 なお誤解されることもあるので注意要するが、ニーコン改革ロシア正教会革新ようとしたではなくあくまでも少なくとも改革者主観的には)他教会共通する正教会伝統確立しようしたのみであって伝統をいかに保持すべきかという問題意識についてはニーコンに賛成した側も、ニーコンに反対する側も、異なるところはなかった。西欧におけるカトリックとプロテスタントの間の相違ほどには両者には見解上の溝はなかったと言える。 だがそれでもニーコンによる改革は、ルーシから先祖代々祈祷形式を護ってきた自負を持つ人々からの猛烈な反発を生み、反対者ら致命者も出たツァーリ縁戚からも致命者出たことにこの反対運動広く起こっていたことが示されている。これらの改革反発した人々改革受け入れた人々から「分離派ラスコーリニキ)」と蔑称された。正教古儀式派中立的な呼称である。 後代帝国安定期す帝権思惑から「『分離派』という名称は差別的である」として、彼等に対して若干配慮示されるようになり、エカチェリーナ2世時代から公文書においては古儀式派」の名称を使用するようになった現代においても「古儀式派」が、当事者配慮した名称となっている。 当初古儀式派対す弾圧人頭税二倍払わせるなどの間接的手段止まったが、次第実力行使の面が増大ニーコン総主教ツァーリ摂政という立場活かし古儀式派への実力行使伴った弾圧進めていった。古儀式派による集団焼身自殺といった熱狂的な抵抗運動ロシア全国各地でみられた。 反対運動背景には、当時正教会世界にあって長時間立ったままで祈祷行っていたのはロシア正教会のみであり、ロシアにやってきた外来正教徒(特にオスマン帝国領内やポーランドといった異教徒支配下にある正教徒)が長時間起立姿勢堪えられない姿などを目の当りにしていたロシア正教徒からすれば、「自らこそが正統祈りを護っている」という意識生まれて仕方なかったという事情もあった。 アヴァクームらの一派その後数々分派を生みつつ「古儀式派」として存続していくことに成る。弾圧程度時期による濃淡はあったものの、ロシア帝国政府基本的にこれを長い間認めなかったので、彼等シベリアどの辺境に逃れていくこととなった改革こうした大規模な波乱呼び起こした結果ニーコン総主教改革方針認められたものの、全国的に生じた混乱をツァーリ・アレクセイから指弾されニーコン総主教1666年追放された。元々教権が俗優越することを主張して譲らなかったニーコン総主教アレクセイ皇帝は、その基本的な立場からしてすでに差異大きくなってきており、改革の是非云々追放口実に過ぎなかったという側面指摘される正教会世界同士交流が深まる中、明らかになってきた奉神礼祈祷書差異是正確かに必要不可欠であったのであり、ニーコン総主教による改革不可避であったともいわれる。この時代に、ロシア正教会現代に至るまで保持する奉神礼骨格出来上がっており、ロシア以外の正教会との差異縮まった。だがニーコン総主教性急に過ぎ、また暴力的に過ぎた不可避とはいえ改革強引に進めた結果生み出されたもの、それは大規模な分派である古儀式派であり、加えてツァーリによる総主教追放招来したことによるロマノフ朝によるロシア正教会対す統制完成であった。 ただし、古儀式派主導者であった長司祭アヴァクームは、ニーコン総主教追放された後、1682年火刑処されており、この「改革」がニーコン一人の手によってなされたわけではないことには注意が必要である。

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