伝統を重視する姿勢の二分:古儀式派の発生
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「ロシア正教会の歴史」の記事における「伝統を重視する姿勢の二分:古儀式派の発生」の解説
こうした時に登場してきたのがニーコンであり、彼はアヴァクームらと共に正教会の西欧化に危機感を抱き、正教会の伝統を守る意識を持っていた人物であった。だが1652年にニーコンがツァーリであるアレクセイの支持を受けて総主教に着座し教会の改革を始めた段階で、アヴァクームらの一派と分裂が生じた。 先述の通りこの時代、ロシア正教会では所有派が指導的立場にあったが、所有派は非常に形式を重んじる人々であり、形式主義は非常に深くロシア正教会に根を下ろしていた。 形式主義への偏重を中庸の状態に適正化させること。およびロシア正教会の形式を、正教世界の中心たるロシアに相応しくギリシャに倣ったものとし、ギリシャの奉神礼・伝統・祈祷書を取り入れることで正教会世界の標準的地位をロシアに確立すること。以てカトリック教会への対抗とする。これらがニーコン改革によって目指された。 なお誤解されることもあるので注意を要するが、ニーコン改革はロシア正教会を革新しようとしたのではなく、あくまでも(少なくとも改革者の主観的には)他教会と共通する正教会の伝統を確立しようとしたのみであって、伝統をいかに保持すべきかという問題意識についてはニーコンに賛成した側も、ニーコンに反対する側も、異なるところはなかった。西欧におけるカトリックとプロテスタントの間の相違ほどには両者には見解上の溝はなかったと言える。 だがそれでもニーコンによる改革は、ルーシから先祖代々、祈祷形式を護ってきた自負を持つ人々からの猛烈な反発を生み、反対者から致命者も出た。ツァーリの縁戚からも致命者が出たことにこの反対運動が広く起こっていたことが示されている。これらの改革に反発した人々は改革を受け入れた人々から「分離派(ラスコーリニキ)」と蔑称された。正教古儀式派が中立的な呼称である。 後代、帝国の安定を期す帝権の思惑から「『分離派』という名称は差別的である」として、彼等に対して若干の配慮が示されるようになり、エカチェリーナ2世の時代から公文書においては「古儀式派」の名称を使用するようになった。現代においても「古儀式派」が、当事者に配慮した名称となっている。 当初は古儀式派に対する弾圧は人頭税を二倍払わせるなどの間接的手段に止まったが、次第に実力行使の面が増大。ニーコン総主教はツァーリの摂政という立場を活かし、古儀式派への実力行使を伴った弾圧を進めていった。古儀式派による集団焼身自殺といった熱狂的な抵抗運動はロシア全国各地でみられた。 反対運動の背景には、当時、正教会世界にあって長時間立ったままで祈祷を行っていたのはロシア正教会のみであり、ロシアにやってきた外来の正教徒(特にオスマン帝国領内やポーランドといった異教徒の支配下にある正教徒)が長時間の起立姿勢に堪えられない姿などを目の当りにしていたロシア正教徒からすれば、「自らこそが正統の祈りを護っている」という意識が生まれても仕方なかったという事情もあった。 アヴァクームらの一派はその後、数々の分派を生みつつ「古儀式派」として存続していくことに成る。弾圧の程度に時期による濃淡はあったものの、ロシア帝国政府は基本的にこれを長い間認めなかったので、彼等はシベリアなどの辺境に逃れていくこととなった。 改革がこうした大規模な波乱を呼び起こした結果、ニーコン総主教の改革の方針は認められたものの、全国的に生じた混乱をツァーリ・アレクセイから指弾されたニーコン総主教は1666年に追放された。元々教権が俗権に優越することを主張して譲らなかったニーコン総主教とアレクセイ皇帝は、その基本的な立場からしてすでに差異が大きくなってきており、改革の是非云々は追放の口実に過ぎなかったという側面も指摘される。 正教会世界同士の交流が深まる中、明らかになってきた奉神礼や祈祷書の差異の是正は確かに必要不可欠であったのであり、ニーコン総主教による改革は不可避であったともいわれる。この時代に、ロシア正教会が現代に至るまで保持する奉神礼の骨格が出来上がっており、ロシア以外の正教会との差異は縮まった。だがニーコン総主教は性急に過ぎ、また暴力的に過ぎた。不可避とはいえ改革を強引に進めた結果生み出されたもの、それは大規模な分派である古儀式派であり、加えてツァーリによる総主教追放を招来したことによる、ロマノフ朝によるロシア正教会に対する統制の完成であった。 ただし、古儀式派の主導者であった長司祭アヴァクームは、ニーコン総主教が追放された後、1682年に火刑に処されており、この「改革」がニーコン一人の手によってなされたわけではないことには注意が必要である。
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