伝統の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 08:41 UTC 版)
チャールズ1世がイングランド内戦で敗れたとき、英国における伝統的な宮廷道化師の歴史は終焉を迎えた。護国卿オリバー・クロムウェルが治めるイングランド共和国に道化師の居場所は存在しなかった。イングランドの演劇界も痛手を受け、相当な数の役者たちがいくらか状況の良いアイルランドへと移った[要出典]。 王政復古後のイングランドではチャールズ2世は宮廷道化師の伝統を復活させなかったが、演劇界を強力に支援した、特にトマス・キリグルー(英語版)を好んでいた。キリグルーは道化師ではなかったが、サミュエル・ピープスは彼の有名な日記で「王の道化師である、人をあざけったり罵ったりしても罰を与えられることはない権力を持っている」(1668年2月12日)と評した。英国貴族で最後まで道化師を召抱えていたのはエリザベス2世の母親の家系であるボーズ=ライアン家であった。 18世紀にはロシアとスペイン、ドイツを除いて道化師はいなくなった。 フランスとイタリアでは、旅回りの道化師たちはコンメディア・デッラルテにおいて様式化された人物としてパフォーマンスを行った。これは英国のパンチとジュディという人形劇の元となった。フランスではフランス革命とともに道化師の伝統は幕を下ろした。 1968年に伝統ある古くからの愚者を復活させるため、カナダ政府の組織であるカナダ芸術評議会(英語版)はバンクーバーのJoachim Foikisに3500ドルの助成金を与えた。 21世紀になっても、道化師は中世をモチーフにした祭りやパジェントで見ることができる。
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