主な竿師とは? わかりやすく解説

主な竿師

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 22:42 UTC 版)

紀州へら竿」の記事における「主な竿師」の解説

情報極めて限定的であるため、現状ではインターネットなどで比較多く情報確認できる人物などの中から一部抜粋しているにすぎない。 ※また、近年人物に関しては、現役・引退者・故人特定するには情報少なすぎるため、判明している人物限って説明文冒頭その内容現役など)を記すに留める歴史的竿師 竿正(さおしょう) - 創始者であるところの、初代竿正。本名溝口 象二。安政4年1857年生まれ1922年大正11年)没。1877年明治10年)に大阪市内創業した2代目竿正 - 初代後継者。 竿五郎(さおごろう) - 3代目。 師光(しこう) - 4代目数多く弟子育てた。 源竿師げんかんし) - 4代目同世代昭和初期故郷である橋本生産拠点移し、ここに、橋本における竿師歴史が始まる。また、数多く弟子育てている。 近年竿師 集(ぎょしゅう) - 故人名匠として知られる存命であった2007年映像組合YouTube動画の1分過ぎと所に残っている。 集英雄(ぎょしゅう ひでお) - 故人集の実子であり、本名は 城 英雄1954年昭和29年8月22日生まれ。銘は「集英雄作」。1968年昭和43年)から集に師事した2017年平成29年5月病死した(62歳没)。 光司(こうじ) - 現役本名萩原 弘治1964年昭和39年生まれ1989年平成元年)に「光司」銘で独立創業2022年令和4年4月紀州製竿組合 組合長就任瑞雲ずいうん) - 2019年令和元年4月紀州製竿組合 組合長就任2022年令和4年3月をもって退任和人かずひと) - 現役1968年昭和43年)頃の生まれ(※受賞年齢より逆算)。本名田中 和仁(たなか かずひと)。橋本市隅田町河瀬竿師。「和彦」銘で独立創業紀州製竿組合 組合長務めていた頃、PR励み2013年平成25年)の日本伝統的工芸品指定にも貢献したその後、銘を「和人」に改名している。2020年令和2年12月52歳時)、亀の蒔絵入り紀州へら竿で、第45回全国伝統的工芸品公募展優秀賞日本伝統工芸士会会長賞)を獲得山彦やまびこ) - 名匠として知られる1921年大正10年1月20日生まれ1937年昭和12年)に父と親交のあった源竿師入門し一番弟子になった1941年昭和16年)に独立創業山彦志月(やまびこ しづき) - 現役山彦長男1954年昭和29年9月13日生まれ1969年昭和44年)から山彦師事。新工法開発もする竿師で、高野竹とカーボンナノファイバー(英語版)の穂持ち組み合わせた融合竿では特許取得している。紀州へら竿意外にも型に嵌まらない幅の広い製作をしていることから、「へら竿アーティスト」という肩書き活動するようになった

※この「主な竿師」の解説は、「紀州へら竿」の解説の一部です。
「主な竿師」を含む「紀州へら竿」の記事については、「紀州へら竿」の概要を参照ください。

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