三波時代以前の豪華賞品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:50 UTC 版)
「大喜利 (笑点)」の記事における「三波時代以前の豪華賞品」の解説
石鹸箱一つを獲得。(放送日・獲得者不明) ただ皆で笑うだけだった。(放送日・獲得者不明) 拍手だけだった。(放送日・獲得者不明) 5代目圓楽が「ボーナスがもらえる」ということで、棒(ボー)と茄子(ナス)が与えられた。(放送日不明) 「先祖を敬う」として、位牌がプレゼントされた。(放送日・獲得者不明) 「富士山頂に自分の像が建てられる権利」を獲得。(放送日・獲得者不明) 歌丸が「海の幸三昧」を獲得。しかし、実際は食べ放題ではなく自分で海に潜って獲るものだった。そこではサザエの壺焼きなどを食べた。(放送日不明) 5代目圓楽が「イギリスでダービーステークスが見られる権利」を獲得。しかし、「イギリスのダービーまで自腹で行け」と言われたため、結局行けなかった。(放送日不明) 木久蔵が「ヌードデッサン」を獲得。しかし、モデルは自分で探す必要があり、松崎とともにフランスを訪れて探すも、スカウトした女性に噴水の池に突き落とされる羽目になった。(1971年頃の放送) 小圓遊が「アフリカで猛獣狩り」を獲得。豊島園にあったアフリカ館へ行って猛獣を見学した。(1971年頃の放送) 小圓遊が「長良川の鵜飼い」を獲得。(1971年8月1日放送) 小圓遊が「歌手デビュー権」を獲得。レコード「マドモワゼル」を発売した。(1972年放送) レコードジャケットは大喜利で座布団10枚を獲得した時の色紋付姿の写真を使用しているが、実際に小圓遊が番組などで披露する時は白いスーツに赤いバラを身につけて歌っていた。B面には当時の笑点メンバーによる「アリャリャン音頭」という曲が収録されている。 木久蔵が「花の都の人力車遊び」を獲得。(1973年5月13日放送) 「花の都」とは銀座のことであり、こん平と松崎が車夫として人力車を牽き、銀座で人力車遊びに興じる木久蔵の様子は新聞でも報道された。 5代目圓楽が「胴上げ」をされるが、途中で落とされて足を捻挫した。(1973年7月29日放送) 現存する最古の『笑点』の映像で5代目圓楽が左足に包帯を巻いた姿で出演しているのはこのためである。(同年8月26日放送) 木久蔵が「旅館の美人女将に会える権利」を獲得。意気揚々と伊豆の旅館へ行ったものの、さんざん扱き使われてタダ働きさせられただけだった。(1974年頃の放送) 小圓遊が「お伊勢参り」を獲得。(1974年5月19日・26日放送) 6代目圓窓が「番組特製笑点カレンダー」を獲得。(1975年1月放送) このカレンダーは非売品であり、視聴者からの問い合わせが殺到したため、翌年の1976年(昭和51年)版から『笑点暦』という名で商品化されて、毎年発行されている。 小圓遊が「隅田川珍身遊び」を獲得。(1975年5月4日放送) 歌丸が「ギリシャマラソン日記」を獲得。(1975年9月7日・14日放送) 松崎と聖火を揚げてアテネ市内を走った。しかし、聖火はオモチャで映像もコント仕立てであり、最後に海に入った。この時の映像は2016年5月15日の50周年スペシャルや歌丸追悼特番などでも放送された。番組史上最も豪華な賞品とされている。 この賞品が歌丸初の座布団10枚として扱われる事が多いが、先述の談志時代に獲得した香港旅行や獲得者不明の賞品もあるため、正確ではない。 こん平が「美女と遊園地デート」を獲得。(1975年9月28日放送) しかし、美女の正体は師匠三平の妻・海老名香葉子であり、後楽園遊園地で幼稚園児のコスプレをさせられ、散々に振り回される羽目になった。 木久蔵が「善光寺参り珍道中記」を獲得。(1977年1月23日放送) 三波が「豪華食べ歩きの旅」を獲得。(1977年4月3日放送) 5代目圓楽が座布団10枚を超えたが、番組を降板するため賞品の獲得は見送られ、その代わりに三方に盛った人参の山と獲得した12枚の座布団を持ち帰った。(1977年3月27日放送) しかし他メンバーの答えの出来が悪かったため、三波が司会者特権で賞品を強奪。メンバーの反感を買い、逆襲に遭う。 夢之助と楽太郎が「東海道五十三次二人旅」を獲得。(1978年3月26日放送 共に初の座布団10枚獲得) 東海道中膝栗毛風、弥次喜多コントをさせられた。 こん平が「落語一席披露権」を獲得。落語「宮戸川」を披露した。(1978年8月13日放送) 夢之助が「湯屋番奮闘記」を獲得。(1978年10月1日放送) 夢之助が「珍佐渡情話」を獲得。(1979年4月22日・29日放送) こん平が佐渡島ガイドとして同行し、「佐渡情話・たらい舟篇」として前後編2週にかけて放送した。 こん平が「餅つきお大尽」を獲得。九蔵と楽太郎が手水役を務め、こん平が餅をついた。(1979年12月23日放送) 九蔵が「最後の楽園騒動記」を獲得。(1980年6月1日放送 九蔵、初の座布団10枚獲得) 三波から「行き先は夢の島だ」と脅されていたが、実際は鹿児島県池田湖でイッシー探しの珍道中だった。 木久蔵が「徳島・阿波踊り」を獲得。(1980年8月24日放送) こん平が「美女と沖縄バカンス」を獲得。(1981年4月19日放送) 今回の美女は当時日本航空の沖縄キャンペーンガールであった津島要だったため、ちゃんとしたバカンスを楽しめた。 楽太郎が「上野公園・花見の狂宴」を獲得。(1982年4月25日放送) しかし、花見の場所取り役を押しつけられただけだった。 朝次が「光り輝く小粒の貴重品」を獲得。しかし、その正体はただのマッチ箱だった。(1982年10月3日放送 朝次、初の座布団10枚獲得)
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