ヴァジラヤーナ以降 − 名声失墜
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「遠藤誠一」の記事における「ヴァジラヤーナ以降 − 名声失墜」の解説
上の選挙戦では党首・麻原、出馬した24人の弟子全員が落選。真理党は惨敗した。「オウム主宰の祭政一致国家の樹立」という大願を正攻法では叶えられないと思い知った麻原は、教団進出のためなら人殺しも厭わない旨の殺人教義・「ヴァジラヤーナ」を打ち立てて、教団武装化を目指した。今まで主にイニシエーション・食品開発を担ってきた遠藤だったが、この方針転換によって大量殺戮のための生物兵器開発――主にボツリヌス菌・炭疽菌・ペスト菌の培養を指示されるようになっていった。しかし遠藤はこれら全ての培養に失敗し、結局生物兵器開発の点で麻原の期待に応えることはできなかった(これは遠藤がウイルスの研究者であって、細菌学については門外漢であったためだとされる。出家前は大腸菌の培養しか経験がなかった)。イニシエーション・食品開発による布施獲得の点で多大な貢献を果たし、着実に教団内での地位を築き上げてきた遠藤だったが、培養失敗を重ねたことで(教団が生物兵器開発に大量の人員と資金を投入していたこともあり)麻原の信頼を失ってしまう。一方、遠藤による生物兵器開発を諦めた麻原は、化学兵器に期待を寄せるようになる。そこで村井・土谷正実を通じて生まれたアイデアが毒ガス「サリン」の製造であった。 1993年、末端の信者である元理系大学院生の土谷正実(教団においてサリンの製法を確立したとして死刑)がサリンの合成を成功させたと知ると、遠藤は土谷を部下にしたいと考えるようになる。すると当時土谷の直属の上司だった中川智正に対し「何か困ったことはないか」と聞き、中川がないと答えると「君は僕が入るのが嫌なのか」と因縁をつけ、中川を化学のワークから外すための根回しを始めた。1994年、中川に「はっきり言って出ていってほしい」と告げ、中川を研究施設から強引に追い出し、土谷を自身の部下にした。その後、遠藤は土谷とともに違法薬物である幻覚剤LSDの合成を成功させた。のちに口も聞かない間柄になる二人だが、中川によると「この頃の二人は仲が良かった」とのこと。 土谷正実が出家した背景として、遠藤の生物兵器開発が失敗を重ねたことで化学兵器に目をつけた教団が、化学の素養を有する土谷に有用性を見出し、強引に土谷を出家させたということがある。これは「遠藤が無能なせいで教団の悪事に加担させられた」として土谷が遠藤に恨みを募らせる遠因となった(土谷正実#遠藤誠一との対立も参照)。 1994年6月に教団における独自の省庁制が発足すると、CMI・AFIの責任者であった遠藤は厚生省大臣、土谷は厚生省次官に任命され、土谷は正式に遠藤の部下となった。その後、遠藤は土谷に対するそれまでの態度を一変させ、高圧的に振る舞うようになり、さらには土谷に「僕の許可なく尊師と直接会ってはダメだからな。今後はすべて僕に報告するようにしてくれ。僕が尊師に上げるから」と申し向け、土谷と麻原の接触を絶つなどした。土谷の化学兵器に対して自身の生物兵器がことごとく失敗していったことから、功名心の強い遠藤は土谷に対して激しい嫉妬をぶつけ、さらには部下に八つ当たりを起こすようになる。遠藤は機嫌が悪いと部下に物を投げつけたり、口汚く罵ったりすることから畏怖嫌厭され、省内で孤立していき、土谷との関係は修復不可能なものになっていった。のちに土谷は、遠藤が極めて嫉妬深く、他人の手柄を独り占めにしたり、他人を陥れる言動は平気な人物であったと振り返った。 貪欲な振る舞いの甲斐あってか、1994年7月に教団内における「尊師」、「正大師」に次ぐ位である「正悟師」の称号を得る。 1994年12月6日、遠藤と土谷の不仲が原因で、厚生省を分裂させることが決まった。麻原・ 村井秀夫・早川紀代秀・土谷の四人で、土谷が新たに責任者となる省庁名について話し合いが行われ、麻原の提案により「究聖科院」に決まるが、その後、遠藤による麻原への直訴で「究聖科院」は「第二厚生省」に、遠藤が統括する「厚生省」は「第一厚生省」に名称変更され、しかも「第一厚生省大臣」である遠藤が土谷が責任者であるはずの第二厚生省のメンバーに土谷の了解なくワークの指示を出したりするなど、「第二厚生省」は実質「第一厚生省」の下請けとして扱われることになり、結局土谷(と土谷の部下)は遠藤の配下から逃れられなかった。このような二人の確執の一因について、麻原がわざと二人の対抗心を煽り、競わせることで教団の兵器開発を促していたのではないかという見方もある。 遠藤は、土谷のような純粋な探究心や知的好奇心に突き動かされる科学者というよりも、地位や名声を求めて仕事をする科学者だと見なされていた。前述の通り教団には、修行の進度に応じたステージから構成されるピラミッド型の階級制度が存在していたが、結局そのステージの昇降自体が麻原の一存とされていたので、信者達は麻原に取り入って歓心を買うことで出世を求め、遠藤もそうした背景事情の下で麻原の企てる違法行為に足を踏み入れていった。
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