遠藤誠一との対立
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元上司の遠藤誠一とは不仲だった。 ボツリヌス菌や炭疽菌によるテロ失敗が重なり、遠藤の生物兵器に代わって土谷の化学兵器が重宝されるようになると、遠藤は土谷と一緒に仕事をしたがるようになった。土谷とともに化学兵器を生成していた中川智正は遠藤に追い出され、1994年6月の省庁制導入で土谷は遠藤の部下になった。 遠藤の化学的に間違った指示、高圧的な言動に悩むが、1994年夏に「尊師の意思は大臣を通じて実現される」という麻原彰晃の説法を聞き、遠藤に黙って従うのが自分の立場なのだと理解した。自分が求める理想の化学と、遠藤から出る非化学的な指示との落差については考えないようにして、雑念であると封じこめた。 しかし遠藤の冷遇は続いた。土谷が麻原に会うことを禁止したり、遠藤の実験棟「ジーヴァカ棟」に出入りできないように鍵を取り上げたり、仕事を取り上げたりして関係はさらに悪化。「やりたいことをやらせてもらえない」、「手柄を取られた」と遠藤への不満を周囲に吐露するようになった。土谷は遠藤の配下から独立しようと、業者との担当窓口を探すなど模索をはじめた。 同年11月頃、二人の対立に気づいた麻原から電話で「殴り合いで遠藤の手を折っても構わないから言いたいことは言え、遠慮するな」と言われたが、ステージが上の遠藤に対し意見を述べることはできず、麻原に会えず辛い土谷は新実智光に相談、新実はこれを麻原に伝え、遠藤と土谷のそれぞれが管轄する部署を作ることになった。土谷の新部署名は麻原の意見で「究聖科院」に決まりかけたが、遠藤の横槍により、遠藤率いる「第一厚生省」に対し「第二厚生省」という部署名にされたうえ、以前と変わらず事細かに指図をされたり、土谷の部下に直接指示を出されたり、土谷の部署が生成した薬物を遠藤の部署が納品する形にされたりして、下請け的な扱いをされ続けた。 逮捕後の取調べでは遠藤に対する憎悪を剥き出しにして、同じく目上の村井や中川智正のことは「さん付け」で呼ぶのに対し、遠藤だけは「遠藤」と呼び捨てにして「あの男は汚い」、「わたしの能力に嫉妬していた」などと話した。 一連の事件の裁判が始まると、遠藤は自分の役割を矮小化して、土谷・中川などの悪口を言って責任をなすりつける証言を繰り返した。土谷は当初、自身の法廷でも共犯者の法廷でも黙秘していたが、1999年1月7日に井上嘉浩公判に証人出廷した際、遠藤(と村井秀夫)を名指しで批判したのを皮切りに、5月には自身の公判に証人出廷した遠藤を自ら尋問して詰め寄った。「遠藤の証言には信用性がない」として、教団時代の遠藤の言動を列挙して「あなたは法廷で真実を話すと宣誓したが、偽りのない教団生活を送っていたのか?」となじった。「遠藤は物や人に対する支配欲から出家生活を続けていた」、「遠藤や村井がいたから教団は破滅した」と遠藤に対する批判の口調と罵倒は審理が進むにつれ激しくなり、被告人質問の1項目として「遠藤弾劾」をあげるまでになった(中川智正も遠藤の証言は嘘であるとして対立している)。 土谷正実はAUM13上申書の中で遠藤を かつて遠藤誠一と深く交わり、そして遠藤誠一によく騙されたことのある人物こそ、遠藤誠一のウソを巧みに見抜くことができる。この条件を完全に満たしている人物は土谷正実だ 自己中心的な邪悪 ニッポンの検察のスペルマの中核をなしていたのは遠藤誠一の供述・証言 遠藤誠一は頑強な秘密主義者かつ重篤な大ウソつきであり、遠藤誠一の供述・証言の信用性は極めて低い 遠藤誠一の言葉の中で唯一信用できる言葉は「死刑になるのが怖いんですよ」 遠藤誠一は遠藤自身の量刑を軽くするためには手段を選ばずオウム真理教関係者を次から次へと検察・警察に売り渡した 遠藤誠一は創作の神様の意思に乗っかることで死刑を免れようとした 「実の兄のような気持ちを持っていた」などという大ウソをつきながら青山さんを検察・警察に売り渡し奈落の底に突き落とした遠藤誠一には性格的な問題があるのであろうか、それともそうしなければならない特殊な事情があるのであろうか 遠藤誠一と一緒に仲良くニッポンの検察に命乞いをしたのは、まぎれもなく現場指揮者でありながら「連絡役だった」などと主張している井上嘉浩 いずれにしろ、北海道大学医学部を卒業した遠藤誠一の口から真実が語られることはないであろう と散々罵倒した。 死刑確定後も、大石圭との手紙や接見で、遠藤に対し「正直に話していない」、「遠藤が無能だから自分がサリンを作らされた」、「自分の死刑が確定した時にたまたま遠藤とすれ違ったが実に嬉しそうにしていた」と怨念を募らせていたという。
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