ワクチン忌避の類似例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 14:14 UTC 版)
「ヒトパピローマウイルスワクチン」の記事における「ワクチン忌避の類似例」の解説
詳細は「ワクチン忌避」を参照 HPVワクチンに限らず、ワクチン忌避は歴史的・世界中でも発生している。ワクチンの副反応に関する同様の話題は、過去に以下のようなものが知られている。 MMR(はしか・おたふくかぜ・風疹)ワクチンに関して、医師アンドリュー・ウェイクフィールドが、MMRワクチンを接種すると自閉症になると主張した論文をイギリスの医学誌『ランセット』1998年2月に発表した。子供の保護者らに懸念が広まり、イギリス、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドでワクチン接種の差し控えが広がり、その結果、麻疹に感染する子供が増加していった。MMRワクチンによって自閉症になったとして訴訟も起こったが、巨額の費用を投入して実施された調査では、MMRワクチンと自閉症には因果関係が認められなかった。医事委員会(General Medical Council、GMC)は2010年1月28日、ウェークフィールド医師らの研究は「倫理に反する方法」で行われていたとの裁定を下し、『ランセット』は2010年2月2日に論文を完全に撤回すると発表した。さらに2010年5月、アンドリュー・ウェイクフィールドは、イギリスの医師免許を剥奪された。 百日咳ワクチンについて、1970-80年代には接種に否定的な報道が、世界中のマスコミで行われ、日本・スウェーデン・イギリス・ソビエト社会主義共和国連邦で接種率が低下した。日本でも国の予防接種事故救済制度が発足し、厚生省は1975年(昭和50年)に乳児への百日咳ワクチン接種を中止し、百日咳ワクチンを含む三種混合ワクチンの接種開始年齢を、2歳以上に引き上げた。その結果、百日咳の流行が起きてしまい、1979年(昭和54年)には年間1万3,000人の患者が発生し、うち20人以上が死亡した。厚生省が百日咳ワクチンの接種開始年齢を3か月に戻したのは、14年後の1989年(平成元年)になってからであった。1981年(昭和56年)ごろより感染者数が減少に転じるもの、1970年代前半のレベルに戻ったのは1995年(平成7年)であった。 インフルエンザワクチン集団予防接種が、日本では1987年(昭和62年)度まで、小中学生を対象に行われていた。この集団予防接種は、約300万人が感染し約8000人(推計)が死亡した、1957年(昭和32年)のアジアかぜ大流行の教訓から生まれたもので、1962年(昭和37年)から小児への接種が推奨され、1977年(昭和52年)に予防接種法で小中学生の接種が義務化された。しかし、接種後に高熱を出して後遺症が残ったと国を訴えて、裁判で日本国政府が敗訴するケースも続出したため、1987年(昭和62年)に、保護者の同意を得た希望者に接種する方式に変更され、 1994年(平成6年)には、学校での集団予防接種が廃止され、診療所や病院での任意接種に変わった。また、インフルエンザワクチンの効果に対する疑念も世論に広まり、100%近かった小中学生の接種率は、1990年代には数%に低下した。その結果、インフルエンザ脳症によって死亡する児童が増加しただけではなく、インフルエンザに対する集団免疫の低下により、高齢者施設の入所者がインフルエンザで相次いで死亡することになった。後に、日本での小中学生に対するインフルエンザワクチンの集団予防接種は、年間約3万7000-4万9000人の命を救っていたことが指摘された。多くの犠牲者を生んだこの教訓は、ワクチンの集団免疫という概念を知らしめ、各国のワクチン政策に影響を与えた。
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