レストランとボウリング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 17:02 UTC 版)
「ウィリアム・C・デュラント」の記事における「レストランとボウリング」の解説
74歳のデュラントだったがまだ企業家精神が残っていた。1936年の破産の年の9月には10年前にデュラント・モーターズの営業所を置いていたニュージャージー州アズベリーパークのノース・アズベリーの平屋のビルを買い、オフィスを置き、12月にはレストランとスーパーマーケットのオーナーとなった。 1936年9月28日のタイム誌が「新任マネージャー、WCデュラントに貴方様の御用を申しつけください。沈まない男、74歳のデュラント氏が楽しげに皿を洗う」というタイトルの記事で記している。「資本家デュラントであってカウンターに立つ男ではないはずだったが、デュラントはノースアズベリーに先週向かい、グランドオープンの用意がすべて整っていることを確認した。甥のウォレス・R・ウィレットによれば、新しい事業で旋風を巻き起こすとのこと。デュラントはある店内ではモップをもち、別の店内では皿拭きをし、自身のアイデアに一部の汚れもないことを公開した。アズベリーでの開店に向けた準備の一方で、翌日は故郷フリントに向かい、デュラントは「デュラント・スペシャル・ランチ」でもてなした。このランチは一品5セント、パン2切れ12セント、砂糖5ポンド15セント、ポテト1ポンド2セントである。甥のウィレットによれば、デュラントは自動車のときと同様にフードマーケット建設に熱心に取り組んでいる。事実、自動車のことはもうまったく考えていない。ということである。」 一方、「ビッグベア(Big Bear)」はニュージャージーのオールド・エリザベスの自動車工場をスーパーマーケットとしたもの。資本1万ドルだが現金は1000ドル用意しただけだった。スーパーマーケットはロスアンゼルスで10年前に始まった。全米のスーパーマーケットは2年間で94店舗から1500以上に増加していた。通常の店舗の100倍の売上があり、欲しいときに手に入れられる、便利で、快適で、熟練した店員を要し、よく考えられた商品棚構成で、米国の流通の主要な形態を占めるようになってきた。チェーンストア、独立店舗、ともに、これを脅威ととらえ、戦う姿勢を見せていた。ビッグベアがニュージャージーで50マイルの遠方から客を呼び寄せるようになると、ニュージャージーの商業主たちは地元出版業者に対してビッグベアの広告掲載を拒否するよう求めた。ビッグベアへの商品納入はブラックリストに載せられた。ニュージャージー法務当局はスーパーマーケット捜査をおこなった。しかしビッグベアはそういった攻撃にもかかわらず盛況だった。他のスーパーマーケットでも同様の状況で、時代はスーパーマーケットに向かっていた。() 1939年3月までにデュラントは3つの運を失った。1つは2回のGM社からの解任であり、1つはデュラント車の失敗。3つ目は美術品オークションであった。今回は、77歳になったデュラントは農務省長官ヘンリー・A・ウォレスからAlexander Eisemann & Co. とH. W. Armstrong & Co.を不正に仲買したと訴えられた。 1940年、デュラントの最後の会社となったのはミシガン州フリント北部のビュイック工場を核して造成されたビュイック・コンプレックス地区につくられたレクリエーションセンターでのボウリング場経営であった。デュラントはレクリエーションやレジャーが次世代産業となると確信していた。アルコールを出さないボウリング場は若者とファミリーに受けると考えた。ボウリング場がアメリカ中の家族がレジャーを過ごす場所となると信じ夢を託していた。常に大きく考えるデュラントは、このセンターを全米50か所でチェーン展開しようとした。友人みなをボウリングに誘った。しかし時代はこれも早すぎた。 デュラントは「禿げ」防止、ふけ(雲脂、頭垢)治療の薬への支援をおこなおうとした。1942年にネバダに事業とすべきかどうかの調査で辰砂(しんしゃ)を調査に出かけた。そのすぐ後に重度の脳卒中を患(わずら)った。最後に支えてくれたのは自身の設立したGMではなく、初期の自動車産業を共に過ごし支えた4人の友人だった。ニューヨークで起業していたがビュイック時代のデュラントにフリントに来るよう要請され98歳でなくなるまで60年間GM役員を務めたチャールズ・スチュワート・モット、ビュイック車とシボレー車をカナダで販売しGMカナダ創業者となったロバート・サミュエル・マクローリン、ビュイックと契約していたマクローリンが同時にシボレー事業をおこなうことに問題がないことを確認したシボレー創業期の顧問弁護士のちGMの法律担当副社長となったジョン・トーマス・スミス、そして部品メーカーの社長だったがデュラントに買収され、のちにGM社長となりデュラントの描いた夢を実現しGMを世界の模範企業としたアルフレッド・P・スローンだった。
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