メイヤー=グラハム時代とは? わかりやすく解説

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メイヤー=グラハム時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 06:49 UTC 版)

ワシントン・ポスト」の記事における「メイヤー=グラハム時代」の解説

1929年金融家のユージン・メイヤーは、秘密裏500ドルポスト紙の買収提案したが、ネッド・マクレーンに断られた。1933年6月1日メイヤー連邦準備制度理事会 (FRB) 議長退任した3週間後に、競売かけられていたワシントン・ポスト・カンパニー825千ドル落札した匿名入札していたメイヤーは、他の入札者よりもはるかに高い200ドル入札のために用意していた。他の入札者の中には新聞王」ウィリアム・ランドルフ・ハーストもいた。ハースト以前から、自身経営するワシントン新聞社有利にするために、経営不振ポスト紙を買収して廃刊にしようと目論んでいた。 その後メイヤーポスト社の健全性評判回復させ、ハースト新聞社にも勝利したハースト保有していた『ワシントン・タイムズ』と『ワシントン・ヘラルド』は、1939年合併してワシントン・タイムズ=ヘラルドとなった後、1954年ポスト社に買収されポスト紙に吸収された。合併後題字には『ワシントン・ポスト・アンド・タイムズ=ヘラルド』(The Washington Post and Times-Herald) と書かれていたが、段々「アンド・タイムズ=ヘラルド」の表記小さくなり、1973年には消滅した。この合併により、ポスト紙の競合紙は『ワシントン・スター』と『ワシントン・デイリー・ニュース(英語版)』の2紙のみとなり、両者1972年合併して『ワシントン・スター・ニュース』になった1946年メイヤー初代世界銀行グループ総裁就任するに当たり、新聞発行者の職を女壻フィル・グラハム継承させた。メイヤー世銀総裁半年辞任しポスト社の会長となったが、発行者フィル・グラハムのままとした。1948年実質的な支配権フィル・グラハムとその妻でユージン・メイヤーの娘のキャサリン・グラハム(1917-2001)に譲り1959年メイヤー死後フィル・グラハム社長会長就任したフィル・グラハムは、ポスト紙を全国的な新聞成長させ、ポスト社を他の新聞社ラジオ局テレビ局所有するまでに拡大させたが、1963年自殺した1963年フィル・グラハム死後ポスト社の経営権は妻のキャサリン・グラハム引き継がれた。それまでに、アメリカ出版社このような高い地位就いた女性はおらずキャサリン・グラハムには手本となる人物がいなかった。また、多く男性社員からは軽く見られることが多かったキャサリン・グラハムは、自分知識対す自信のなさと不信感回顧録記している。キャサリン・グラハムは、ポスト紙の発行者1969年から1979年まで務め1973年から1991年まで社長を、1999年から亡くなる2001年まで会長歴任した1971年6月15日ポスト社は株式一部公開しニューヨーク証券取引所上場した。1あたり26ドル1294千公開された。グラハムCEOとして在任した1991年終わりには、1あたり888ドル価値を持つようになっていた。 グラハムポスト社の事業多角化し1984年には4000ドル教育・研修会社カプラン買収した。その20年後、カプラン社の収益新聞上回るようになり、2010年には会社全体収入60%以上がカプラン社からのものとなっていた。 グラハムは、ベン・ブラッドリーポスト紙の編集長として雇ったブラッドリー編集長の下で、若手記者ボブ・ウッドワードカール・バーンスタインは、長期取材により、1972年ワシントンウォーターゲート複合施設英語版にあった民主党全国委員会オフィスへの侵入事件の真相解明していった。この記事は、最終的にリチャード・ニクソン大統領辞任へとつながるウォーターゲート事件発展し1973年ピューリッツァー賞受賞した1972年ピューリッツァー賞受賞した評論家、ウィリアム・マクファーソン(英語版)を初代編集長に迎え、「ブックワールド」というコーナースタートさせた。ジョナサン・ヤードリー(英語版)やマイケル・ディルダ(英語版)などの批評家登場し、ディルダはポスト紙の批評家としてキャリア確立した2009年、「ブック・ワールド」は、読者大きな反発抗議受けて2月15日最後に廃止された。 1975年印刷工の労働組合ストライキ (1975–1976 Washington Post pressmen's strike) を起こしたポスト社は他の印刷工を雇って発行継続し組合員1976年2月現場復帰した1979年キャサリン息子ドナルド・E・グラハム発行者の職を継承し2000年まで務めた1995年、washingtonpost.comというドメイン名取得した同年、"Digital Ink"というオンラインニュースリポジトリを作ろうとして失敗し翌年閉鎖された。1996年6月最初ウェブサイト開設された。

※この「メイヤー=グラハム時代」の解説は、「ワシントン・ポスト」の解説の一部です。
「メイヤー=グラハム時代」を含む「ワシントン・ポスト」の記事については、「ワシントン・ポスト」の概要を参照ください。

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