ベルデハ1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 18:24 UTC 版)
「ヴェルデハ (戦車)」の記事における「ベルデハ1」の解説
その後、製造されたベルデハ1の試作型の状況はベルデハ少佐が最初に設計したもともとの想定により近かった。車体は細長く、リアプレートを傾斜させ燃料容量と戦闘範囲がさらに増加し、弾薬容量の多さと装甲の厚さが向上していた。戦車はスペインで唯一装甲車両の組み立てラインが存在するビルバオで製造された。スペイン内戦の終結と資金の不足から、製造は1940年5月まで延長された。試作型は3ヵ月後に完成し、マドリードのカラバンシェル試験場に送られた。旧型と新型の主要な外観の違いは車高の低い砲塔であり、主砲は45mm砲で角度を8度から70度まで動かすことができた。旧式のソ連製1932年式45mm対戦車砲はスペインのプラセンシア・デ・アルマス(Placencia de las Armas S.A.)によって生産された45mm マークI 戦車砲に交換された。一方、新型試験車両でも旧型のサスペンションと履帯は継続的に採用された。本質的には、新型試験車両の大半の利点はその低い車高、高い位置の主砲、12度から45度の装甲の傾斜の増加に由来していた。なお、ベルデハ1は乗員の生存性を高めるためにフロントにエンジンを配置するオリジナルの形状を保持していた。 カラバンシェル到着後、さまざまな地形での可動性や火力についてT-26と比較して試験された。車両はそれぞれ5点満点の試験に、各テストの重要性の係数をかけた数値に基づいて格付けされた。テスト期間、ベルデハは500kmをメンテナンスの問題なしに走行した。一方、問題は効率的な放熱器がないことによる大量の水の消費と、履帯の一つからゴムライナが欠落したことであった。最大速度は類似する外国製の車両と同等以上であり、2m程度の塹壕を渡ることができ、40度程度の傾斜を登ることができた。火力に関しては、車両は高角度でも45mm戦車砲の反動に耐えられることが証明された。車両のデメリットの一つとして45mmマークI型のための照準の製造のための時間がなかったために戦車指揮官の照準機が37mm対戦車砲用に設計されたものであるという問題があった。テストでは比較対象になるT-26Bが合計205ポイントであり、試作車両が合計243ポイントを獲得した。テストの完了後、試作型は返却されエンジンの欠陥、駆動輪の高さ、戦車の装甲を最低でも10mm以上に増加させるなどの変更を含む幾つかの問題が修正された。これらの変更によって、試作車両は再度試験され、261.98点を獲得した。 1939年12月2日に100両ずつ10度に分けて1000両の製造計画が承認された。ベルデハ生産の試作車両は120馬力のリンカーン・ゼファーガソリンV12エンジン(英語版)を採用しており、量産にはスペイン政府とフォードのスペイン支部であるフォードモーター・イベリカとの間で契約が必要だった。同時に、フォードとスペインの間の交渉が失敗した場合に備え、マイバッハなど幾つかのドイツ企業ともコンタクトを取った。生産開始後、最低でも月5両の最終組み立てができるようにサラゴサの戦車作業所は拡張される予定となっており、資金調達が行われ、建設のために2年が割り当てられたが、工場建設や拡張などは行われなかった。また、フォードやマイバッハとの合意にも至らなった。その後、スペインの弱い経済、スペイン軍以外の顧客の不在と喪失、スペイン企業が建設計画を分かち合う動機がなかったことなどの要因からベルデハ1の製造計画は停止されることとなった。一方では実験的な目的で2両のベルデハ戦車の製造をADESA(Armamento de Aviación, S.A.)に請け負わせる試みが行われたが、エンジン調達の失敗にもかかわらずASESAは300両の製造を請け負ったものの、この試みも失敗し1941年には計画が放棄された。
※この「ベルデハ1」の解説は、「ヴェルデハ (戦車)」の解説の一部です。
「ベルデハ1」を含む「ヴェルデハ (戦車)」の記事については、「ヴェルデハ (戦車)」の概要を参照ください。
- ベルデハ1のページへのリンク