プロデビュー〜ウェルター級時代とは? わかりやすく解説

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プロデビュー〜ウェルター級時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 02:29 UTC 版)

シュガー・レイ・ロビンソン」の記事における「プロデビュー〜ウェルター級時代」の解説

1940年10月4日19歳米国ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにおけるライト級4回戦にて、ジョー・エチェベリアを2回TKO下しプロデビューロビンソンプロデビューした頃、世界ヘビー級チャンピオンとなった褐色の爆撃機ジョー・ルイスのトレーニング・キャンプに参加していた時期がある。ルイス育てた名伯楽ジャック・ブラックバーンは毎日夕刻になるとロビンソンキャンプ場近くの湖に連れ出しボートを漕がせては釣り興じた不平を漏らす若きロビンソンに、ルイスは「本当に釣りがしたけりゃ大西洋にでも行くさ。あれは君の腕を鍛えるためだ。ボート漕ぎ腕力をつけるのに一番だからな」と知らせたという。それ以降ロビンソン進んでボート漕ぎ励み腕力強化努めた1941年7月21日後の世ライト級チャンピオン、サミー・アンゴットに10判定勝ち。9月25日後の世ウェルター級チャンピオンで、当時42無敗2分のマーティ・サーボ10判定勝ち。 10月31日、元世界ウェルター級チャンピオンで「反則王と言われたラフ・ファイター、フリッツィー・ジビックに10判定勝ち。 1942年1月16日、ジビックとの再戦10TKO勝ち。5月28日マーティ・サーボとの再戦10判定勝ち。 7月31日世界ライト級王座に就いていたサミー・アンゴットとノンタイトル戦で2度目対戦10判定勝ち。 10月2日宿敵ジェイク・ラモッタ最初対戦10判定勝ち。 この年年間14勝9KO無敗戦績、ジビック、サーボ、アンゴット、ラモッタ破った内容評価されリングマガジン ファイター・オブ・ザ・イヤー選出された。デビュー3年目選手としては異例選出だが、ロビンソン快進撃がいかに目覚ましかったかの証左であろう1943年2月6日デトロイトのオリンピア・スタジアムでジェイク・ラモッタ2度目対戦10判定負けプロ黒星喫したデビュー以来連勝40ストップした。この試合ラモッタロビンソンより16ポンド(7.3kg)も体重が重かった。2月26日、わずか三週間後、ラモッタ3度目対戦10判定勝ち。 2月27日アメリカ陸軍入隊軍隊では再びウォーカー・スミスと呼ばれるうになる。この時、基地回りジョー・ルイスエキシビジョンマッチ行ったが、黒人兵が差別から観戦許可されず、ロビンソン抗議をする事もあった。 8月2日三階同時制覇ヘンリー・アームストロング10判定勝ち。 1944年3月29日ヨーロッパ派遣のため配置されていたハミルトン駐屯地から、突然ロビンソン姿を消し4月1日道ばた発見され病院運ばれる事件起きる。4月5日目を覚ましたロビンソン駐屯地兵舎階段から足を踏み外したこと以外、5日間の記憶を完全に失っていると話した。このことで精神遅滞診断されロビンソン6月3日名誉除隊扱いとなるが、不可解な事件兵役逃れ演技と書新聞もあった。 1945年1月16日、トミー・ベルに10判定勝ち。ベルとは後に世界タイトルマッチ再戦することとなる。2月23日ジェイク・ラモッタ4度目対戦10判定勝ち。 5月14日、ホセ・バソラと10引き分け。バソラとはミドル級転向後に再度対戦する9月26日ジェイク・ラモッタ5度目対戦12判定勝ち。 1946年12月20日マーティ・サーボ返上して空位となった世界ウェルター級王座決定戦で、トミー・ベルに15判定勝ち、新チャンピオンとなったロビンソンデビューからジェイク・ラモッタに初黒星喫するまで、後の世界王者アンゴット、サーボラモッタ元王者ジビックを破るなど40連勝。またラモッタへの雪辱重ね元三冠王アームストロング戦にも勝利するなど、再び破竹快進撃続けた結局この連勝英国でのターピン戦まで90伸びる)が、世界挑戦まで5年、実に7573勝(49KO)1敗1分の戦績要した当時王者サーボ2度敗れたロビンソンとの対戦回避したこと、当時ボクシング業界最大勢力だったIBC(インターナショナル・ボクシング・クラブ)との専属契約忌避し自由契約選手立場取り続けたこと、そしてなにより当時ボクシング業界牛耳っていたマフィア協力するのを拒否したことが、その理由あげられる。しかしロビンソンはその華麗なファイトスタイルによる人気と、戦績通り圧倒的実力によってこれらのハンディ乗り越えスーパースターの座に駆け上がった。この時期ロビンソン強さはまさに圧倒的で、同時代中量級における世界的選手ほぼ全員対戦し勝利した数少ない例外としては、フランス英雄マルセル・セルダン、「ジレット・ボクシング」の人気者チャック・デイビー(後年キッド・ギャビランに挑みKO負け)、無冠の帝王呼ばれたチャーリー・バーリー鋼鉄の男トニー・ゼールがいる。 1947年6月24日、ジミー・ドイルに8回TKO勝ち、初防衛成功試合ドイル死亡するリング禍起こった12月19日、チャック・テイラーに6回TKO勝ち、2度目の防衛1948年9月23日後の世ウェルター級チャンピオン、「キューバ」ことキッド・ギャビランにノンタイトル10回戦判定勝ち。後に名王者となるギャビランの健闘評価され熱戦両者翌年タイトル賭けて再戦する。6月28日、バーナード・ドクセンに15判定勝ち、3度目の防衛1949年7月11日、キッド・ギャビランとの再戦15判定勝ち、4度目の防衛1950年8月9日、チャーリー・フサリに15判定勝ち、5度目の防衛

※この「プロデビュー〜ウェルター級時代」の解説は、「シュガー・レイ・ロビンソン」の解説の一部です。
「プロデビュー〜ウェルター級時代」を含む「シュガー・レイ・ロビンソン」の記事については、「シュガー・レイ・ロビンソン」の概要を参照ください。

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