プロデビューからbaseよしもと卒業まで
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「ロザン」の記事における「プロデビューからbaseよしもと卒業まで」の解説
プロデビュー直後は心斎橋筋2丁目劇場での舞台が月に数回ある程度で、アルバイトにも励みながら舞台に立っていた。1998年の夏、CSで放送された心斎橋筋2丁目劇場オーディションを合格した約20組で争う「新人王決定戦」で優勝。この頃からファンが付き、ファンレターが毎日来るようになる。 1999年3月に心斎橋筋2丁目劇場が閉鎖後、新たに建てられたbaseよしもとを拠点とする。高学歴ということから赤本にサインを求められるなど、受験生のアイドル的存在ともなった。 1999年10月、『クヮンガクッ』(毎日放送)で初めてのテレビ出演。千個のハンコを街中の同じ名字を持つ人に配っていくという企画で、終了するまでに39時間を要した。 2001年、『紳助の人間マンダラ』(関西テレビ)の企画で、ランディーズ・キングコングと共にダンスユニット『WEST SIDE』を結成。CD・写真集等を発売し、関西でブレイクした。 2001年に初めて、baseよしもとで単独ライブを開催した。この単独ライブは、うめだ花月・ルミネtheよしもとなどで2011年現在まで毎年複数回行っている。 この頃はアイドル系の顔をしている菅の人気が高く、宇治原はWEST SIDEでも顔のことでイジられるオチを担当するなど、所謂ブサイクキャラであった。 2003年にbaseよしもとを卒業。2000年代初期のbaseよしもとブームにおける、主要メンバーの一組であった。
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