プロデビューから東洋王座戴冠まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 05:45 UTC 版)
「青木勝利」の記事における「プロデビューから東洋王座戴冠まで」の解説
少年時代は、家出を繰り返すなどの虞犯少年で、16歳で少年院に入れられた。入院中にテレビ中継でボクシングに出会い、退院直後の1960年4月に三鷹ジムの住み込みの練習生となる。それから2カ月後の6月6日にフライ級でプロデビューを果たし、連勝を重ねた。11月7日に斎藤清作(後のたこ八郎)と対戦した際は、引き分けに終わっている。1961年4月5日、海老原博幸と対戦した際に2回KO負けを喫し、キャリア18戦目での初黒星となった。 海老原戦後はバンタム級に転向し、再び連勝街道を進む。1962年10月29日、後楽園ジムにて東洋バンタム級タイトルマッチを行う。王者米倉健志を判定で破り、19歳11カ月で王座を獲得した。
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