フレデリック・"フリッツ"・ジュベール・デュケイン
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「デュケインのスパイ網」の記事における「フレデリック・"フリッツ"・ジュベール・デュケイン」の解説
詳細は「フリッツ・ジュベール・デュケイン」を参照 フレデリック・"フリッツ"・ジュベール・デュケイン(Frederick "Fritz" Joubert Duquesne)は、1877年9月21日に南アフリカ・ケープ植民地にて生を受けた。第二次ボーア戦争にはトランスヴァール共和国軍の大尉として従軍し、その後1913年にアメリカ合衆国への帰化を果たした。当時デュケインはドイツ帝国のスパイとして活動しており、1916年にはロシア帝国へ向かうホレイショ・キッチナー卿が乗艦した英海軍装甲巡洋艦ハンプシャー号に対するサボタージュ活動及び撃沈に関与したとされることから、「キッチナーを殺した男」(The man who killed Kitchener)の異名でも知られる。また1916年2月18日、火災によって沈没した英船籍の汽船テニスン号にまつわる不正な保険金の請求にも関与したとされる。 1917年11月17日、テニスン号事件への関与の為に逮捕された。彼の自宅からは船が爆破撃沈された事件に関する新聞の切り抜きが大量に保管されたファイルや、在マナグアドイツ副領事補佐から送られたという手紙が大量に発見された。この手紙によって、デュケインがドイツ側の命令に沿って長年活動していた事が判明した。また英陸軍偵察隊指揮官だったアメリカ人フレデリック・ラッセル・バーナム(英語版)少佐の暗殺も命じられていたが、これは未遂に終わっている。 1934年春、デュケインは「76騎士団」(Order of 76)と呼ばれる米国内の親ナチ派組織の情報員となり、1935年1月からは公共事業促進局に職を得ている。ドイツ国防軍情報部長のヴィルヘルム・カナリス提督は第一次世界大戦での戦功からデュケインの名を知っており、米本土作戦主任だったニコラウス・リッター大佐に接触を命じている。また、リッター自身も1931年頃からデュケインの友人であり、彼らは1937年12月3日にニューヨークで再会した。 1940年2月、デュケインはニューヨークにてエア・ターミナル・カンパニー(Air Terminals Company)なる事務所を開設した。セボルドが最初にコンタクトを図った時も、彼らは当初デュケインの事務所で面会した。しかしデュケインは自らの事務所に監視機器が設置されている可能性を考慮し、別の場所で接触を持つ旨を申し出た。彼らは近所のオートレストランに場所を移し、ドイツ側スパイ網のメンバーに関する情報交換を行った。 その後、デュケインはセボルドの事務所で会談し、ドイツ本国に送り届けるべき情報をセボルドに渡した。この会談の様子はFBIエージェントによって盗撮された。デュケインは熱狂的な反英主義者であり、アメリカの国防に関する情報や米英間航路の船舶航行状況及び各種技術に関する情報収集を担当していた。彼はこの活動の為、定期的にドイツから給料を払い込まれていた。 ある日、デュケインはアメリカにて発明された新型爆弾の写真と仕様情報をセボルドに渡した。デュケインは自らがデラウェア州ウィルミントンのデュポン社工場に潜入し、爆弾の材料がある場所を把握したと語った。さらに彼は工場にて火災を起こす準備が整っていると示唆したという。彼は学生を装って企業を訪れ、製品や製造状況に関するデータを要求するという手口で多くの情報を得ていたとされる。 後にワシントンDCの陸軍化学戦部門(Chemical Warfare Service)に宛てて、デュケインは新型ガスマスクに関する情報を求める手紙を書いている。この手紙の中で、彼は自らを「ご存知の通り、責任ある評判の良い作家または講師」と記している。また最後の行には「その情報が機密扱いだとしてもご心配無く。なぜなら情報は愛国的市民の元に届くのだから」と書かれていた。彼が要求した情報はしばらくした後に届けられ、その一週間後にはドイツ本国ベルリンのエージェントの元へ届けられていたという。 デュケインは後の裁判で有罪判決を受け、スパイ容疑で禁錮18年が宣告された。さらに外国代理人登録法違反の為に2000ドルの罰金支払いが命じられた。彼はカンザス州レブンワース連邦刑務所に送られたが、ここで他の受刑者らによる暴力に晒された。1954年、病気を理由に釈放され、ニューヨークの厚生島(現在のルーズベルト島)にある都市病院に入院。1956年5月24日、78歳で死去した。
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