フランクフルト学派と実証主義論争
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「ドイツ現代思想」の記事における「フランクフルト学派と実証主義論争」の解説
.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} (画像左から)カール・ポパー、ユルゲン・ハーバーマス 第二次世界大戦後、世界は、アメリカ合衆国を中心とする西側世界と、ソビエト連邦共和国を中心とする東側世界に対立する冷戦時代に入っていった。このことは、西ドイツと東ドイツに分裂を余儀なくされたドイツの思想界に決定的な影響を与えた。西欧のマルクス主義者は、ソ連型のマルクス主義(マルクス・レーニン主義、その後継としてのスターリン主義)に対して、異論や批判的立場を持つ者も少なくなかったが、フランクフルト学派と呼ばれるマルクス主義者たちは、アドルノやホルクハイマーを筆頭に、ソ連型マルクス主義のみならず、西洋文明における伝統的理論を批判し、かかる理論が生み出した全体主義を批判する「批判理論」と呼ばれる新しいマルクス主義を展開した。これは、ヘーゲルの弁証法を基礎に、マルクス主義哲学と科学を統合し、非合理的な社会からの人間の解放を目指すというものであり、フロイトの精神分析を応用する。批判理論は、まず、デカルト的な主観・客観の二項対立を前提としている伝統的理論を批判する。このような対立図式は支配される客体としての自然を分析して観念する。そのため、学問は分析される対象ごとに分断され、専門家・技術化していくが、諸学問は、人間の解放を目指すという目的のため統合されなければならないのである。また、伝統理論は世界を支配される客体として自然の総体とみるため、現状追認のためのイデオロギーとして機能する。ゆえに、世界は、マルクス主義的な観点から、具体的な自然に対して労働を加えて作られたところの歴史的社会的なものの総体として把握されなければならない。さらに、批判理論はマルクス主義も批判する。魔術からの解放と合理化を目指した近代的な啓蒙の弁証法の起源は、マルクスが主張したような階級対立ではなく、人間と自然との生存を賭けた闘争である。したがって、伝統的な理論は信頼してきた理性は生に従属する道具的なものにすぎない。ゆえに、近代的な理性が伝統社会を全体主義に導いた真の犯人なのであるとする。 1961年、ドイツのチューピングンで行われた社会学学会においてカール・ポパーが自然科学と社会科学に共通する方法論に関するテーゼについて報告すると、これに対しアドルノが「社会科学の論理によせて」と題する論文で批判した。これをきっかけに、いわゆる「ドイツ社会学における実証主義論争」が始まる。ポパーは、科学と疑似科学の区別を問題にして、どのような現象も自己の理論を正当化できる材料することができる精神分析とマルクス主義を批判し、これを疑似科学であるとする立場をとっていた。アドルノは、ポパーの批判的合理主義を実証主義的であるとして、「実証主義」はその理論の「公壊に立ちいって考えることがなければ論理的な時限爆弾を抱えることになるとして批判する。彼によれば、自身を批判する視点がなければ実証主義は現状追認のイデオロギーになってしまうのである。この批判の射程には、ウィトゲンシュタイン、論理実証主義者、分析哲学者も含まれる。これに対し、ポパーは、論理実証主義を批判する批判的合理主義をそれと同一に扱い、これを実証主義と呼ぶこと自体に反論し、アドルノこそ未来のユートピアにおける権力の正当性を前提に現状の権力を批判すべきと主張しているだけで、実証主義であることに変わりがないと批判した。 この討論について、1963年、ハーバーマスが『分析的科学論と弁証法』を発表。彼によれば、分析的科学論、つまりポパーの批判的合理主義は批判理論と同様に批判という契機を含んでいるだけ論理実証主義よりは可能性があるが、命題と態度との区別を前提にするなどまだ十分でない点が見受けられるのである。これに対しは、ポパーの批判的合理主義をドイツで承継したハンス・アルバートが『全体的理性の神話』を発表してハーバーマスを批判すると、ハーバーマスは更に『実証主義に二分された合理主義』を発表して反論した。 1970年代に入ると、ハンス・アルバートがいかなる基礎付けもミュンヒハウゼンのトリレンマに陥らざるを得ないとしてカール=オットー・アーペルを批判すると、アーペルはそのようなトリレンマは論理的演繹によってのみ論証をしたことに基づくもので超越論的遂行論による基礎づけは可能であると反論。アルバートは、アーペルの基礎付けを超越論夢想にすぎないと批判し、これにまたもやハーバーマスが加わり、議論は再燃する。
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