ピース缶爆弾事件とは? わかりやすく解説

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ピース缶爆弾事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 18:41 UTC 版)

牧田吉明」の記事における「ピース缶爆弾事件」の解説

登山趣味があった牧田奥多摩林道工事現場ダイナマイト庫が存在することに注目し共産同叛旗派に爆弾闘争提案。そして1969年9月中旬牧田ら5人は自動車奥多摩工事現場からダイナマイト1箱を盗み出した。同じ頃、牧田大企業から父に贈られ藤田嗣治エッチングなど5-6点を自宅から盗み出し同志の現ミヅマアートギャラリー代表三潴末雄当時成城大学在学中)の仲介大手画廊売却し200万円現金得た。 この200万円ダイナマイト使い共産同叛旗グループ桂木行人当時東京農工大学在学中)らが爆弾教本栄養分析表復刻版などを参考にして爆弾100個を製造。この爆弾牧田らが1969年10月21日までに赤軍派中央軍共産同戦旗派など3つのグループ提供し京都地方公安調査局爆破事件使用された他、立命館大学中央大学使用され、さらに警視庁第8・第9機動隊宿舎爆破未遂事件アメリカ文化センター爆破事件引き起こされた(なおピース爆弾製造と同じ頃、牧田吉田喜重監督映画煉獄エロイカ』でテロリスト役を演じている)。また、このピース爆弾1021国際反戦デーにおける街頭戦で赤軍派による自衛隊攻撃使用されたものの、全て不発終わった。これは、爆弾組立担当した赤軍派メンバー誤って導火線根元接着剤をつけ、火がダイナマイトまで届かなかったためである。 その後警視庁第8・第9機動隊宿舎爆破未遂事件アメリカ文化センター爆破事件を含む一連の爆弾テロ事件容疑者として、1973年3月極左活動家の増淵利行ら18人が起訴されたが、公判継続中1982年5月牧田自ら「自分こそが真犯人」と名乗り出たため大騒ぎになった。この時、弁護団中心人物として牧田証言させたのが仙谷由人であった1983年5月19日東京地裁は増淵ら統一被告人たち全員無罪言い渡した判決は増淵らの自白調書信用性否定しつつ、一方では"疑い強く残るが犯罪の証明がない"との判断示し、また若宮牧田証言についても「証言内容大ざっぱだったり不自然な点が多い」と退けたまた、1984年3月22日東京地裁分離組の被告人たちにも自白信用性認められないとの判断示し全員無罪言い渡した若宮牧田証言については「両名それぞれの事件関与している疑いは相当強い」としつつ「全面的に信用し難い」と無罪根拠には採用しなかった。これに対して東京地検控訴したが、1985年12月13日東京高裁地裁判決支持し、増淵らの無罪確定した一方で牧田行為については既に公訴時効成立していたため、検察牧田逮捕起訴することが叶わず、大失態となった。この裁判に関しては、もともと増淵らの被疑事実裏付ける証拠決め手乏しく検察側の立証にも粗が目立つため、裁判行方大い注目集めていた。 この「真犯人騒動」の頃、テレビ朝日番組牧田インタビュー行った田原総一朗は「左翼というよりは、むしろ民族派的な体質感じられた。彼は共産主義でも社会主義でもなく、アナーキスト色彩ありながら日本について強く憂えていると、私は感じ取った」「あるいは三菱の"天皇"だった父親への強烈な反発ということもあったのかもしれない」と述べている。

※この「ピース缶爆弾事件」の解説は、「牧田吉明」の解説の一部です。
「ピース缶爆弾事件」を含む「牧田吉明」の記事については、「牧田吉明」の概要を参照ください。

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