トップ・アーティストとしての苦悩の時期
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「浜田省吾」の記事における「トップ・アーティストとしての苦悩の時期」の解説
1990年6月21日、久々のアルバム『誰がために鐘は鳴る』を発売。それまでの疾走感あふれるロックから、内省的な曲作りへと移行する。そのアルバム内容から引退が囁かれる。アルバム発売後には、こちらも久々となるツアーを開催し、2年間に渡ってホールツアーとアリーナツアー合わせて109公演を行う。 1992年2月1日にテレビドラマ『愛という名のもとに』の主題歌として発売されたシングル「悲しみは雪のように」(1981年リリース曲のリメイク)が、初のオリコン・シングルチャート第1位(8週連続、通算10週)を獲得。当時のトレンディドラマブームにも乗り、累計売上170万枚のビッグセールスを記録した。同時に、過去にリリースされたアルバムが多数チャートインするなど、空前の浜省ブームとなる。しかし、プロモーション等には一切関知せず。"本人はこの時期に鬱状態になり、メディアに全く出てこなかった。同年12月12日にはシングル「アヴェ・マリア」を発表。印税・原盤収入など全ての収益を社会問題化しつつあったエイズの治療・研究に寄付するというチャリティー・シングル。総額で3,500万円程が寄付された。「このまま音楽人生を終わらせてもいいかなと思った」と後に語っている。 精神的にダウンしていた状態から立ち直り、1993年9月6日に3年ぶりのオリジナル・アルバム『その永遠の一秒に 〜The Moment Of The Moment〜』を発表。シンセサイザーを全面的に取り入れた新しい音楽性を示すが、詩世界は前作『誰がために鐘は鳴る』と同様に重苦しいテーマに包まれている。アルバム発売後のツアー中の1994年6月、バンドメンバーの町支寛二に脳腫瘍が見つかり、ツアーを一旦中断した後に再開した。 1995年7月1日、「浜田省吾 with THE R&S INSPIRATIONS」名義でシングル「我が心のマリア」発表。カップリングの「恋は魔法さ」は神戸を舞台にしたラブソングで、その年に発生した阪神・淡路大震災の復興を願い、「アヴェ・マリア」同様に印税収入を全額寄付。このシングルは事務所の後輩であるスピッツや区麗情、Origaらと共に制作した。同年、プライベート・レーベル「クリア・ウォーター(Clear Water)」を発足。 1996年2月29日、2作目となる映像作品『ROAD OUT "MOVIE"』と、そのサウンドトラック盤『ROAD OUT "TRACKS"』を同時発売。同年11月11日には3年ぶりとなるオリジナル・アルバム『青空の扉 〜THE DOOR FOR THE BLUE SKY〜』を発売。それまでの作品とは打って変わり、ポップで明るい作風となっている。アルバム発表後には96年から97年に掛けてアリーナツアーを行う。さらに1997年1月22日には1970年代の楽曲のセルフカバー・アルバム『初夏の頃 〜IN EARLY SUMMER〜』を発売するなど、精力的に活動する。 1997年10月22日、吉田拓郎の50歳を祝って拓郎のデビュー曲「イメージの詩」をカバー。拓郎自身もコーラスとアコースティック・ギターで参加している。CDとアナログ盤が同時発売された。 1998年にはこれまでのチャリティー活動の経験を踏まえて、有志と共に「J.S.Foundation」という基金を設立している。コンサート会場の受付では毎回募金を行っている。 この頃から従来のコンサート・ツアーの在り方に疑問を抱き始め、音楽の旅の意味を見つめ直すべく新たなツアーを企画する。1998年4月10日、20世紀から21世紀を跨ぐ前代未聞のツアー「ON THE ROAD 2001」が4年がかりの構想でスタート。全国のホール、アリーナ、ライブハウス、そして野外コンサートがスケジューリングされた長いツアーが敢行された。このツアー中に初のファンクラブ限定ライブも行っている。4年間で127ヶ所198公演を開催し60万人もの観客を動員。2002年1月には特別公演として20年ぶりに日本武道館でライブを行う。 1999年夏、野外ライブツアー「ON THE ROAD 2001 LET SUMMER ROCK '99 "SUNSHINE PICNIC&MOONLIGHT DANCING"」を開催。北海道公演の会場であるキロロリゾートへ向かう航空機で、バンドメンバーとスタッフらを乗せたANA61便がハイジャックに遭遇。浜田自身は前日に北海道入りしていた。当公演では殉職した機長を悼み黙祷が捧げられた。 そのツアー期間中の1999年9月8日には、『Home Bound』『愛の世代の前に』『PROMISED LAND 〜約束の地』『DOWN BY THE MAINSTREET』『J.BOY』『FATHER'S SON』『誰がために鐘は鳴る』の1980年から90年までのオリジナル・アルバム7作にリマスタリングを施し再発。『DOWN BY THE MAINSTREET』『誰がために鐘は鳴る』はリミックス、『J.BOY』はリミックスとリアレンジメントが施されている。 2000年11月8日、デビュー25周年を記念した初のベストアルバム(ヒストリーアルバム)『The History of Shogo Hamada "Since1975"』を発表。チャート1位を獲得し、120万枚の大ヒットとなる。 2001年には本人が制作に参加する形で、NHKの地上波、BS、BS-hiで自身の音楽活動を広く紹介する番組が放映された。このことは20年ぶりのテレビ出演として話題となる。テレビでは、浜田本人が陣内孝則とコントを披露する。 4年間のツアーが終わり、しばらく表立った活動がない状態が続いたが、2003年3月19日に本人を題材とした異色作のゲームソフト『OVER THE MONOCHROME RAINBOW featuring SHOGO HAMADA』が発売される。浜田も本人役で声優として出演している。プロデュースはライブでキーボードを担当する福田裕彦。 同年11月1日〜12月27日、ファンクラブイベント『official fan club special event 100% FAN FUN FAN 2003』を10公演開催。コンサート形式でかつツアー型のFCイベントは自身初となる。 2004年、春嵐こと小説家の小川糸とアレンジャーの水谷公生と結成したユニット「Fairlife」にメンバーとして参加。シングル「永遠のともだち」、アルバム『Have a nice life』を発売する。ボーカリストにポルノグラフィティの岡野昭仁や元プリンセス・プリンセスの岸谷香らの豪華な面々を迎えた。
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