ディーゼルエンジンの導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 08:45 UTC 版)
「鉄道輸送」の記事における「ディーゼルエンジンの導入」の解説
「ディーゼル機関車」および「気動車」も参照 鉄道用の内燃機関の最も初期に記録された例には、1888年にウィリアム・トムソン卿がそれを 「[プリーストマン・オイル・エンジン]は、機関車に使用する目的で石油エンジンの適応を示すために一時的な線路上で作業されているトラックに搭載されていた。」と表現したウィリアム・デント・プリーストマンによって設計されたプロトタイプが含まれていた。1894年にプリーストマン・ブラザーズによって製作された20馬力(15キロワット)の2車軸車両がハル・ドックで使用された。 1906年、ルドルフ・ディーゼル、アドルフ・クローゼおよび蒸気機関とディーゼル機関の製造業者スルザーがディーゼル機関車を製造するためにディーゼル-スルザー-クローゼ有限会社を立ち上げた。スルザーは1898年以来ディーゼルエンジンを製造していた。プロイセン邦有鉄道は1909年に同社にディーゼル機関車を発注した。世界初のディーゼル機関車は1912年の夏にスイスのヴィンタートゥール-ローマンスホルン鉄道で運行が開始されたが、商業的には成功しなかった。この機関車の重量は95トンで、出力は883キロワット、最高速度は時速100キロメートルであった。1920年代半ばまでに少数の試作ディーゼル機関車が多くの国で生産された。 ゼネラル・エレクトリックの電気技師ヘルマン・レンプが信頼性の高い直流電気制御システムを開発し特許を取得した1914年に、ディーゼル機関車に大きな進歩があった。レンプの設計は、エンジンと発電機の両方を協調的に制御するために単一のレバーを使用する、全てのディーゼル電気機関車制御システムのプロトタイプであった。1914年にラシュタット車両製造がブラウン・ボベリの電気機器とスルザーのディーゼルエンジンを使用して世界初の機能的な電気式ディーゼル機関車を製造し、王立ザクセン邦有鉄道に納入した。それらの機関車はDET 1形とDET 2形に分類された。電気式ディーゼル機関車は当初旅客列車や貨物列車の牽引ではなく構内での列車の入換用として使用されていた。また、ゼネラル・エレクトリックは1930年代にいくつかの小型入換用ディーゼル機関車を製造し、1940年には有名なGE 44トンディーゼル機関車が導入された。ウェスティングハウス・エレクトリックとボールドウィン・ロコモティブ・ワークスは1929年から共同で入換用ディーゼル機関車の製造を行った。 1929年、カナディアン・ナショナル鉄道はウェスティングハウスから9000号機と9001号機の2両を購入し、北米初の本線系統でディーゼル機関車を使用する鉄道会社となった。 日本では1923年に堀之内軌道が馬車鉄道から動力変更するためにオットー・ドイッツ社製のディーゼル機関車を使用し、公共鉄道として日本で初めてディーゼル機関車を導入した鉄道となっている。また、普通鉄道では1929年と1930年にそれぞれドイツから鉄道省に納入されたDC11形ディーゼル機関車とDC10形ディーゼル機関車が日本初となる。しかしながら、この段階では量産を行えるほどの技術がなく、また技術の成熟している蒸気機関車の性能の方が高いこともあって量産は行われなかった。本格的な量産が行われたのは1957年より量産の開始された電気式のDF50形ディーゼル機関車からで、翌1958年からは液体式で入換用のDD13形ディーゼル機関車、4年後の1962年からは液体式で本線運用に就くDD51形ディーゼル機関車が量産され始めた。ディーゼルカーでは液体式のキハ10系気動車がDF50形ディーゼル機関車より前の1953年から量産されており、本形式が日本初の量産されたディーゼルカーとなっている。これ以前にも"気動車"という括りでは機械式ガソリンカーのキハ41000形気動車を1932年より量産している。
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