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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 03:42 UTC 版)
溝口は生涯を通して、封建的な社会や男性の犠牲となる女性を描き続けた。映画研究者の斉藤綾子によると、溝口が描く女性には2つのタイプがあるという。1つは、男に尽くし、社会の犠牲となり、身を持ち崩したり極限まで貶められたりするが、それでも情を忘れないひたむきな女性、すなわち男の立身出世を助けるために喜んで身を捧げ、自己犠牲を遂げる女性である。その例は『残菊物語』『雨月物語』『山椒大夫』に見られるが、映画批評家の佐藤忠男は、泉鏡花原作ものの『日本橋』『滝の白糸』『折鶴お千』でも女芸人や芸者が若者の男の出世を助け、その犠牲となって身を滅ぼす姿が描かれていると指摘している。もう1つは、同じく社会や男性の犠牲になるが、そのような社会や運命に必死に抵抗する女性であり、その例は『浪華悲歌』『祇園の姉妹』『夜の女たち』『赤線地帯』に見られ、娼婦や芸者などの淪落の女性を描く場合が多い。佐藤によると、その一方で男性の描き方は、女性を助けることにおいて無力であったり、女性に対して卑怯な態度をとったりする場合が多く、強くて頼もしい男らしい男は滅多に登場しないという。 溝口の特徴的なスタイルは、自然主義的なリアリズムである。溝口は人間とその生活する場所を徹底的に観察し、虚飾のない生身の人間を赤裸々に描くことで、人間のありのままの姿を捉えた。また、その人間は冷徹な目線で突き放すようにして描いている。溝口作品の脚本家の依田義賢によると、溝口はよく「人間の体臭が匂うように描かなくてはだめ」「かんきつ(奸譎)な人間を描いてほしい」と注文したという。溝口のリアリズムは『唐人お吉』(1930年)と『しかも彼等は行く』(1931年)で確立し、『浪華悲歌』『祇園の姉妹』で頂点に達した。『浪華悲歌』では大阪の職業婦人、『祇園の姉妹』では祇園の芸者を主人公にして、男性本位の社会に反抗し、犠牲となる女性の姿を冷徹に描き、セリフで関西弁を徹底的に使用するなどしてリアリズムを追求した。佐藤は、この2作を「日本映画のリアリズムはここでひとつの完成を見た」と評している。 リアリズムと並ぶ溝口の特徴的なスタイルは、唯美的傾向に近い情緒を持つロマンティックなスタイルである。この作風は下町情緒を描いた『紙人形春の囁き』『狂恋の女師匠』で定まりはじめ、泉鏡花原作の『日本橋』『滝の白糸』『折鶴お千』や、1930年代の『神風連』『愛憎峠』『マリアのお雪』『虞美人草』の「明治物」と呼ばれる作品など、明治風俗を様式的に表現する新派悲劇的な作品などに見られた。松竹時代の『残菊物語』『浪花女』『芸道一代男』も明治物の系譜に位置する情緒的な作品であるが、この3本は歌舞伎や文楽などの伝統芸能の世界を描いた作品であることから「芸道三部作」と呼ばれている。 溝口は新しい動向に敏感なところもあり、時流や流行の変化に便乗して新しい題材の作品も作っている。日活向島時代にはルパンを翻案した探偵ものの『813』(1923年)や、ドイツ表現主義の影響を受けた『血と霊』(1923年)を撮影した。1920年代の左翼思想の高まりを背景に、左翼的イデオロギーを打ち出した傾向映画が流行すると、溝口も『都会交響楽』『しかも彼等は行く』で傾向映画に挑戦した。1930年代になると、満州事変直後に『満蒙建国の黎明』、日中戦争開戦後に『露営の歌』を作るなど、軍国主義の時流に便乗した作品も手がけている。終戦直後にGHQの指導で民主主義啓蒙を目的としたアイデア映画が作られるようになると、溝口も『女性の勝利』『女優須磨子の恋』『わが恋は燃えぬ』でアイデア映画を手がけたが、この3本は女性の自立や解放をテーマに描いていることから「女性解放映画三部作」と俗称されている。
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