エッサネイ社時代とは? わかりやすく解説

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エッサネイ社時代(1915年~1916年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 00:24 UTC 版)

チャールズ・チャップリンの映画作品一覧」の記事における「エッサネイ社時代(1915年1916年)」の解説

1915年チャップリンはエッサネイ社に移籍し15本の映画監督主演した。特に記載のない限りすべての作品フィルム長さが2リールである。 公開年月日邦題 原題 クレジット備考監督脚本製作作曲役名1915年2月1日 チャップリンの役者 His New Job Yes Yes No No 映画エキストラ小さな放浪者1915年2月15日 アルコール夜通し転宅 A Night Out Yes Yes No No 陽気に騒ぐ男(小さな放浪者1915年3月11日 チャップリンの拳闘 The Champion Yes Yes No No 大望抱いた拳闘家小さな放浪者) 別邦題は『チャップリンの珍拳闘』『チャムピオン』。 1915年3月18日 アルコール先生公園の巻 In the Park Yes Yes No No チャーリー小さな放浪者) 1リール。別邦題は『チャップリンいたずら』。 1915年4月1日 チャップリンの駈落 A Jitney Elopement Yes Yes No No 求婚者、偽伯爵小さな放浪者) 別邦題は『チャップリンローマンス』。 1915年4月11日 チャップリンの失恋 The Tramp Yes Yes No No 小さな放浪者 1915年4月29日 アルコール先生海水浴の巻 By the Sea Yes Yes No No 小さな放浪者 1リール。別邦題は『チャップリン海水浴』。 1915年6月21日 チャップリンのお仕事 Work Yes Yes No No 壁紙張の見習い職人小さな放浪者1915年7月12日 チャップリンの女装 A Woman Yes Yes No No チャーリー / 女性小さな放浪者1915年8月9日 チャップリンの掃除番 The Bank Yes Yes No No 掃除番小さな放浪者1915年10月4日 チャップリンの船乗り生活 Shanghaied Yes Yes No No チャーリー小さな放浪者1915年11月20日 チャップリンの寄席見物 A Night in the Show Yes Yes No No ペスト氏 / ラウディ氏 別邦題は『チャップリン芝居見物』。 1915年12月18日 チャップリンのカルメン Burlesque on Carmen Yes Yes No No ダーン・ホウザリー 別邦題は『珍カルメン』。1916年4月22日レオ・ホワイト追加撮影したシーン入れて4リール拡大した再編集版が、チャップリン承認なしに公開された。 1916年5月27日 チャップリンの悔悟 Police Yes Yes No No 前科者小さな放浪者) 別邦題は『チャップリン改心』。 1918年8月11日 三つ巴事件 Triple Trouble Yes Yes No No 雑役夫(小さな放浪者) 別邦題は『チャップリン義侠』。チャップリンがエッサネイ社を退社したあと、同社が『チャップリンの悔悟』と未完成の『生活』の数シーンに、レオ・ホワイト監督したシーン加えて再編集した作品チャップリン承諾していないが、自伝フィルモグラフィー含めている。

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エッサネイ社時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:41 UTC 版)

チャールズ・チャップリン」の記事における「エッサネイ社時代」の解説

キーストン社と契約満了をもって退社確定したチャップリンは、週給1250ドルギャラ1万ドルボーナス提示してきたシカゴのエッサネイ社に移籍し1914年12月下旬スタジオ参加したチャップリンレオ・ホワイトベン・ターピンなどの俳優集めてグループ作り同社2作目の『アルコール夜通し転宅』ではサンフランシスコカフェ見つけたエドナ・パーヴァイアンス相手役採用した。パーヴァイアンスとは8年間に35本の映画共演し1917年までプライベートでも親密な関係を築いたチャップリンそれまで会社の製作慣習従い流れ作業のように映画作り続けてきたが、この頃から慣習には従わない姿勢打ち出し、より時間をかけて映画作るようになった。『アルコール夜通し転宅』と次作の『チャップリンの拳闘』とでは封切り日に27日の間があり、それ以後作品はさらに封切り間隔広がった。 この時期チャップリン小さな放浪者キャラクター変え始めたキーストン社時代キャラクターは、女性子供いじめたりする卑劣残酷な役柄や、性的にいやらしい性格であるものが多かった。しかし、エッサネイ社時代になると、より穏やかでロマンティック性格変化した1915年4月公開の『チャップリンの失恋』はキャラクター変化ターニングポイントとなる作品考えられている。この作品では放浪者ヒロイン失恋しラストシーン一本道とぼとぼ歩き去る姿が描かれている。このシーンその後の作品でも数通り変化させて使用された。チャップリン研究家大野裕之は、この作品を「孤独な放浪者ロマンスというチャップリン・スタイルの芽生え」であるとしている。同年8月公開の『チャップリンの掃除番』には悲しげ結末ペーソス加えられたが、映画史家デイヴィッド・ロビンソン英語版)はそれがコメディ映画革新であるとしている。映画学者のサイモン・ルービッシュは、エッサネイ社時代のチャップリンは「小さな放浪者定義するテーマとスタイル見つけた」と述べている。 1915年チャップリン人気爆発的に上昇しその人気にあやかって人形玩具など関連商品売られたり、新聞漫画や詩が掲載されたり、チャップリンについての曲が作られたりした。同年7月にモーション・ピクチャー・マガジン(英語版)のジャーナリストは、チャップリン真似をする「チャップリニティス」がアメリカ全土広まったと書いた。チャップリン人気世界的に高まり映画業界最初国際的なスターとなった12月にエッサネイ社との契約が切れ、自分価値認識していたチャップリン次の契約先15ドルボーナス要求したユニバーサルフォックス、ヴァイタグラフ(英語版)などの映画会社からオファー受けたが、最終的にチャップリン選んだのは、最も高額な条件提示してきたミューチュアル社(英語版)だった。

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