ゾクチェンの初転法輪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 14:29 UTC 版)
西暦771年にサムイェー寺が完成した後、パドマサンバヴァは自らサムイェー寺の東北の地にあるティンプーの地においてイェシェ・ツォギャルをはじめとする25人の弟子たちを集めて、マハーヨーガとアティヨーガに関する『大幻化網タントラ』の教えを伝授した。いわゆるチベット仏教における密教の教えは、『大幻化網タントラ』から始まったと言っても過言ではない。一般にはあまり知られていないが、パドマサンバヴァの弟子の数を25人とするのは、この時に無上瑜伽タントラに属する『大幻化網タントラ』の正式な伝授の際に灌頂を受けることのできる人数が、最大で25人までと経典に記されているからである。他の無上瑜伽タントラの主要な経典の場合も同様で、参加人数が25人を超えた場合には、全ての灌頂と教えとが無効とされる。この『大幻化網タントラ』の教えを伝授し終わった上で、聖地タクマル(赤い洞窟)に場所を移して、現時点で考証できるものとしてはチベット史上初めてのゾクチェンの教えが弟子たちに説かれた。そのテキストは古タントラに、講義録は「カンド・ニンティク」に残されている。 この考証ということは現在の日本仏教では常識となっているが、チベット仏教にはまだまだ伝統の壁があり、チベット僧の間では年代考証も文献学的研究も未だ認知されているとは言い難いため、1959年のチベット動乱以前に亡命されたラマに個人的な伝授を受ける際や、伝統的な寺院で学習をする際は注意を要する。チベット仏教の考証家でもあったドゥジョム・リンポチェが亡命チベット人のニンマ派の長に就任後、ニンマ派の各仏教大学の改革に着手し、その後を引き受けたディンゴ・ケンツェ・リンポチェがサムイェー寺の再建と西洋的な学習方法の導入に努め、さらにペノル・リンポチェが外国人も同時に学ぶことのできるシステムの仏教大学を建立したが、考証学の浸透には至っていない。日本が「廃仏毀釈」の影響を拭い、今日の世界の最高水準に近い仏教研究を確立するのに150年ほどかかったので、亡命政府に支えられるチベット仏教が近代化を成し遂げるにはまだ時間がかかる。それ故、ゾクチェンの歴史的な考証には仏教学等の研究成果を取り入れる必要があり、チベット密教の主要な無上瑜伽タントラの経典である五大タントラの学問的研究を含めた解明も急がれる。 古くから大乗経典や密教経典には「五成就」という原則がある。今日的に言い換えるならば 5W、すなわち「いつ、何処で、誰が、何を、どうした」が分からなければ、その教えは正しく説かれたものではないとされている。いわゆる大乗仏教等の顕教とは違って、密教やゾクチェンは人から人への伝承であるから、文献学だけではなく、歴史学や考古学をも含めた今日的な考証方法も必要で、それらの条件を一応は満たしているのが先の聖地タクマルでのゾクチェンの伝授である。 いつ:西暦771年。これは「サムイェー寺の建立後すぐ」という歴史的事実によって算定されており、その証明となる建物も1959年のチベット動乱まで存在していたことが知られている。 何処で:ティンプーの地の聖地タクマルで。ティンプーという地名は現在もあり、タクマルの遺跡の洞窟もチベット人らの篤い信仰によって今も守られていて、その遺風を漂わせている。 誰が:パドマサンバヴァが25人の弟子たちに。パドマサンバヴァは1938年(昭和13年)に、インド学の宇井伯壽監修の辞書に「蓮華生上師」の名で登場するが、仏教学ではまだ歴史上の人物とは認定されていなかった。その後、歴史学的な考証を経て平成になって仏教史上に広く存在を認められた。事実関係としては、1959年のチベット動乱の際に史跡であるサムイェー寺が破壊され、パドマサンバヴァが開眼に立ち会ったとする自身の仏像(蓮華生像)の中からは、ニンマ派の伝承どおりに当時のものと思われる袈裟が発見されている。また、25人の弟子たちの遺物としては、別れの際にパドマサンバヴァの指示によって各々が作ったとされるツァツァの仏像(僧形の蓮華生像)が残されており、それらの弟子の存在を証明している。 何を:『大幻化網タントラ』と『ゾクチェン』を。『大幻化網タントラ』の成立年代も考証されており、その内容や曼荼羅等も、日本人がすでに数々の伝授を受け、松長有慶や木村秀明の学問的研究とともに順次明らかにされており、パドマサンバヴァの用いた原典や、その思想背景とゾクチェン独自の灌頂次第も、その儀軌の内容から成立過程が推察できるようになってきている。 どうした:伝授した。伝授の際の講義録が「カンド・ニンティク」に残されており、各テルマやニンティク系統との共通点も明らかであるので、ロンチェンパが指摘したように、諸派連合であるニンマ派には『ゾクチェン』の教えという共通項があることも事実である。 以上の点で、ニンマ派ではパドマサンバヴァの伝授をゾクチェンの教えの先峰としているが、ボン教の教えのゾクチェンが起源である場合のボン教からの考証は、ボン教の文献の専門的な成立過程の研究や史跡の発掘が始まったばかりなので、さらに時間が必要である。
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