セント・ニコラス号襲撃とは? わかりやすく解説

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セント・ニコラス号襲撃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/05 07:05 UTC 版)

リチャード・トーマス・ザーヴォナ」の記事における「セント・ニコラス号襲撃」の解説

同時期、ザーヴォナは部下報告により、ポトマック川巡回する合衆国北軍)の砲艦ポーニー(英語版)の情報を得る。また、ボストン貨客蒸気船セント・ニコラス号(St. Nicholas)がポーニーへの補給担当していることも突き止めた。2隻の船舶押収目的とした襲撃立案したザーヴォナは、バージニア州知事ジョン・レッチャー(英語版)にこれを報告し援助求めた計画は、まずはボルチモアにて大勢南派市民募集し全員で客としてセント・ニコラス号に乗り込む。そしてポトマック川航行中にこれを占拠しコーン川(英語版)へ向かってバージニア側の岸から連合国軍増援搭乗させ、そのまま軍艦ポーニーを襲撃制圧するというものだったマシュー・フォンテーン・モーリー海軍中佐らを交えて行われた会議検討され結果作戦実行可能判断された。レッチャー連合国海軍省に宛てて、ザーヴォナの襲撃隊のために武器弾薬用立てるように要請するとともに陸軍省通じてテネシー連隊から抽出した兵員600人と十分な武器コーン川に用意するように要請したまた、装備調達協力者への報酬などに用い準備金として1,000ドル渡したレッチャー作戦成功した暁にはザーヴォナに大佐への昇進認めると約束し協力者募集にあたって大佐という肩書用いてもよいとした。ザーヴォナは元合衆国海軍機関科士官ジョージ・W・アレクサンダー海軍大佐George W. Alexanderと共にボルチモアへと潜入し準備あたった1861年6月28日民間人扮し襲撃隊員30人がセント・ニコラス号へと乗り込んだ。彼らは当局注意引かないように、1人ずつ別々に乗船手続き行い武器携行していなかった。出港時、セント・ニコラス号には一般乗客含めておよそ60人が乗り込んでいた。 乗客中には小綺麗な服を着てフランス訛りの強い英語で話す若い女性と、彼女の兄だという厳つい髭面をした男の2人組がいた。女性はラ・フォルテ(Madame LaForte)と名乗りワシントン帽子販売事業始めようとしているのだと語った。ラ・フォルテはいくつかのトランク持ち込んでいたが、伝えられるところでは、彼女に見惚れ事務長は一番大きな船室を用意し水夫らに命じてトランク運び込ませたという。彼女は船員男性乗客らにフランス訛りの英語で気さくに話しかけていた。この時、目元と頬にヴェールをかけ、扇を開いていて、顔を正面からは見られないように振る舞っていた。また、唇には真っ赤なルージュ引いていた。ラ・フォルテは兄と腕を組んで酒場からダンスホールまでを練り歩きデッキでは大きな扇を開いては「スペイン人踊り子」のように振ってみせた。その一見して品のない振る舞い女性客らは気分害していた一方船員中には女にキスしようと試みるものまであったという。 真夜中ポイント・ルックアウト英語版)のドッグ停泊した時、初老紳士を含む数人男性客乗り込んだ1910年行われたインタビューで、当時襲撃隊に所属したジョージ・ワッツ元中尉(George Watts)は、船内にザーヴォナの姿が見当たらないので、大佐は船に乗りそこね、作戦失敗向かっているのではないか不安になったと回想している。しかし真夜中を回る頃、ラ・フォルテの兄と称していた男、アレクサンダー大佐彼の元を訪れ、「隣の船室にいる」と伝えたワッツが隣の船室に向かうと、既に他の襲撃隊員集合し、ラ・フォルテ、すなわち女装したザーヴォナがドレスやかつらを脱ぎ捨て真新しいズアーブ兵軍服着替えているところだった。運び込まれトランクには、カットラスリボルバーカービン銃収められていた。この後、ザーヴォナが「武装した30人の男が乗り込んでいる」と伝えると、船長はただちに降伏した制服姿のザーヴォナがデッキへと出ると、ポイント・ルックアウト乗り込んだ初老紳士がかつらと帽子脱ぎ捨てた彼の正体ジョージ・N・ホリンズ海軍中佐George N. Hollins)で、作戦成功確かなものとするべく、部下と共に派遣されのである。彼ら連合国海軍将兵の手でセント・ニコラス号はコーン川へと向かった6月29日早朝コーン川にて増援30人テネシー兵らの到着遅れていた)と合流しこの際ボルチモアから乗り込んだ一般乗客らは全ての手荷物持って退去することが認められた。 コーン川では、砲兵陣地との間で起こった砲撃戦最中船長狙撃され戦死されたため、軍艦ポーニーが葬儀のためにワシントン海軍工廠へと向かったことがザーヴォナに伝えられた。どのように伝えられたのかは定かではなくホリンズ事前に調査してあったとか、コーン川で新聞記事として読んだとも、ポーニーを捜索していた工作員からの報告であったとも言われている。いずれにせよ報告受けたザーヴォナは、合衆国側に察知され前に別の船舶への襲撃を行うことを決断し、セント・ニコラス号をチェサピーク湾へと向かわせた。最初標的ブラジルからボルチモアへとコーヒー輸送していたブリッグ船モンティセロ号(Monticello)である。鹵獲されたモンティセロ号は、連合国軍海軍将兵の手コーヒー不足していたバージニア州フレデリックスバーグへと向かった次の標的は、ボストンからワシントンへと氷の輸送行っていたメアリー・ピアース号(Mary Pierce)だった。メアリー・ピアースまた、病院等で氷が不足していたフレデリックスバーグへと送られた。燃料としての石炭不足すると、アレクサンドリアからニューヨークへ石炭輸送行っていたスクーナー船マーガレット号(Margaret)を襲撃した。セント・ニコラス号鹵獲露呈合衆国海軍による追跡恐れたザーヴォナは、これ以上襲撃行わずマーガレット号を曳航してフレデリックスバーグへと向かわせた。 フレデリックスバーグにて、ザーヴォナと襲撃隊員らは英雄として凱旋した首都リッチモンドでも歓迎を受け、 7月4日には大通り盛大なパレード催された。彼らのために催され舞踏会では、ラ・フォルテに扮して登場したザーヴォナが喝采浴びた。後に笑い話として報じられところによると、ザーヴォナは何人かの仲間にセント・ニコラス号での女装姿をもう1度見せと言うと、他の客には「すぐに戻る」とだけ伝えて会場離れた。しばらくの後に見知らぬ女性が会場現れ事情知らぬ何人かが彼女を歓迎し、さらに「彼女に良いところ見せられるまで大佐締め出しておいてもいいんじゃないか」と相談し始めたところで、突然その女性がスカートまくりあげてドレスの下の軍服カットラス晒し、ザーヴォナその人であることを明かしたのだという。セント・ニコラス号は連合国海軍買い取り軍艦ラパハノック(CSS Rappahannock)として運用された。代金は元の持ち主支払われた。

※この「セント・ニコラス号襲撃」の解説は、「リチャード・トーマス・ザーヴォナ」の解説の一部です。
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