ジョンとヨーコ:ベトナム反戦運動
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「ジョン・レノン」の記事における「ジョンとヨーコ:ベトナム反戦運動」の解説
1966年にビートルズがライヴ・ツアーを休止したあと、ジョンは映画『ジョン・レノンの 僕の戦争』に出演した。11月にはロンドンのインディカ・ギャラリー(英語版)で、彼はのちに2人目の妻となる小野洋子に出会う。美術学校時代に東洋文化を専攻していた友人がいたこともあり、ジョンは日本や東洋文化に興味を持ち、禅や空の概念に強い好奇心を寄せていた。これを色濃く反映させた小野洋子のアートに強い興味を示した。洋子の個展に出かけたジョンが見た彼女の現代アート作品に、白い部屋の真ん中に天井まで届くハシゴが置いてあって、天井から虫眼鏡がぶら下がっているものがある。白い天井には裸眼では見えないほど小さな文字で何かが書いてあり、虫眼鏡を使って見ると、YESとだけ書かれている。Noとかの否定的な言葉でも、何かを罵る言葉でもなく、乱暴な言葉でもなく、肯定的で短いYESだったことに衝撃を受けた、と、ジョンがそれをいたく気に入ったという逸話は有名である。ジョンは、「Noとかの否定的な言葉だったら気に入らなかった。」と後に語っている。 2人は同年の『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の録音期間に小野洋子の個展にジョンが出資するなどして交際を始めた。ジョンは、1968年2〜4月のインドでの修行中も、小野洋子と文通していた。5月、小野洋子への思慕を募らせたジョンは、シンシアに旅行に行くように言って、シンシアの旅行中にヨーコを自宅に招き入れ、以後ヨーコはジョンとの同棲生活を始めた。シンシアとは7月に離婚申請、11月8日に離婚が成立した。 1969年3月にジョンとヨーコはジブラルタルで挙式し、新婚旅行で訪れたアムステルダムとモントリオールで「ベッド・イン」という平和を訴えるパフォーマンスを行った。 結婚後まもなく、ジョンは「ミドルネームのWinstonをOnoに変更したい」と申請したが、変更は認められなかった。パスポート・グリーンカードなど公文書にはJohn Winston Ono Lennonという表記のままだった。 彼らは多くのマスコミから奇妙なカップルとして格好の餌食にされる一方、反戦運動における重要人物ともみなされるようになった。また、左翼団体の国際マルクス主義グループ(英語版)と関係を持っていたことからFBIの監視対象にもなっていた。1969年以降は、ジョンはヨーコとともにプラスチック・オノ・バンドとしての活動やベトナム戦争に対する反対と平和を求める活動に参加した。イギリスのベトナム戦争支持を受け、大英帝国勲章を返上。「バギズム」や「ドングリ・イヴェント」(ともに1969年)などヨーコと共同で行ったパフォーマンス・アート、「ベッド・イン」(1969年)や 「War Is Over (If You Want it)」(1971年)の街頭広告を行った。 ジョンの本格的なソロ活動前に、2人は前衛的な『トゥー・ヴァージンズ』『ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ(英語版)』『ウェディング・アルバム』の3作のアルバムを発表した。また、ジョンのソロ時代発表されたアルバムと対になって『ヨーコの心(英語版)』(1970年)、『フライ(英語版)』(1971年)、『無限の大宇宙(英語版)』(1972年)、『空間の感触(英語版)』(1973年)が発表され、それぞれにジョンが参加した。 2人の共同名義の音楽作品として、ほかに『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』(1972年)、『ダブル・ファンタジー』(1980年)、『ミルク・アンド・ハニー』(1984年)が発表された。 ビートルズ時代の1968年にソロ活動を開始。1969年から1976年までプラスティック・オノ・バンド(Plastic Ono Band)の名義で作品を発売。名称に若干の推移はあるが、このプラスティック・オノ・バンドはヨーコとのユニットで、メンバーは流動的だった。初期はベースにビートルズ・デビュー以前からの知り合いであるクラウス・フォアマン、ドラムはアラン・ホワイトまたはジム・ケルトナー、ピアノはニッキー・ホプキンスが担当することが多かった。 1969年、シングル『平和を我等に』『コールド・ターキー』を、12月にはトロントで行われた同バンドのステージを収録したライヴ・アルバム『平和の祈りをこめて〜ライヴ・ピース・イン・トロント1969〜』を発表した。このライヴにはクラウス・フォアマン、エリック・クラプトン、アラン・ホワイトが参加しており、その模様の映像はDVD『スウィート・トロント』に収録されている。
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