ジョンとヨーコ:ベトナム反戦運動とは? わかりやすく解説

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ジョンとヨーコ:ベトナム反戦運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:00 UTC 版)

ジョン・レノン」の記事における「ジョンとヨーコ:ベトナム反戦運動」の解説

1966年ビートルズライヴ・ツアー休止したあと、ジョン映画ジョン・レノンの 僕の戦争』に出演した11月にはロンドンのインディカ・ギャラリー(英語版)で、彼はのちに2人目の妻となる小野洋子出会う美術学校時代東洋文化専攻していた友人がいたこともあり、ジョン日本東洋文化興味持ち、禅や空の概念に強い好奇心寄せていた。これを色濃く反映させた小野洋子アートに強い興味示した洋子個展に出かけたジョン見た彼女の現代アート作品に、白い部屋真ん中天井まで届くハシゴ置いてあって、天井から虫眼鏡ぶら下がっているものがある。白い天井には裸眼では見えないほど小さな文字で何かが書いてあり、虫眼鏡使って見ると、YESとだけ書かれている。Noとかの否定的な言葉でも、何かを罵る言葉でもなく、乱暴な言葉でもなく、肯定的で短いYESだったことに衝撃受けた、と、ジョンがそれをいたく気に入ったという逸話は有名である。ジョンは、「Noとかの否定的な言葉だったら気に入らなかった。」と後に語っている。 2人同年の『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の録音期間に小野洋子個展ジョン出資するなどして交際始めたジョンは、1968年2〜4月インドでの修行中も、小野洋子文通していた。5月小野洋子への思慕募らせジョンは、シンシア旅行に行くように言ってシンシア旅行中ヨーコ自宅招き入れ以後ヨーコジョンとの同棲生活を始めたシンシアとは7月離婚申請11月8日離婚成立した1969年3月ジョンヨーコジブラルタル挙式し、新婚旅行訪れたアムステルダムモントリオールで「ベッド・イン」という平和を訴えパフォーマンス行った結婚後まもなく、ジョンは「ミドルネームWinstonOno変更したい」と申請したが、変更認められなかった。パスポート・グリーンカードなど公文書にはJohn Winston Ono Lennonという表記のままだった。 彼らは多くマスコミから奇妙なカップルとして格好餌食にされる一方反戦運動における重要人物もみなされるようになったまた、左翼団体国際マルクス主義グループ英語版)と関係を持っていたことからFBI監視対象にもなっていた。1969年以降は、ジョンヨーコとともにプラスチック・オノ・バンドとしての活動ベトナム戦争対す反対と平和を求め活動参加したイギリスベトナム戦争支持を受け、大英帝国勲章返上。「バギズム」や「ドングリ・イヴェント」(ともに1969年)などヨーコ共同行ったパフォーマンス・アート、「ベッド・イン」(1969年)や 「War Is Over (If You Want it)」(1971年)の街頭広告行ったジョン本格的なソロ活動前に2人前衛的なトゥー・ヴァージンズ』『ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ(英語版)』『ウェディング・アルバム』の3作のアルバム発表したまた、ジョンソロ時代発表されアルバムと対になってヨーコ心(英語版)』(1970年)、『フライ英語版)』(1971年)、『無限の大宇宙英語版)』(1972年)、『空間感触英語版)』(1973年)が発表されそれぞれにジョン参加した2人共同名義音楽作品として、ほかに『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』(1972年)、『ダブル・ファンタジー』(1980年)、『ミルク・アンド・ハニー』(1984年)が発表された。 ビートルズ時代1968年ソロ活動開始1969年から1976年までプラスティック・オノ・バンドPlastic Ono Band)の名義作品発売。名称に若干推移はあるが、このプラスティック・オノ・バンドヨーコとのユニットで、メンバー流動的だった。初期ベースにビートルズ・デビュー以前からの知り合いであるクラウス・フォアマンドラムアラン・ホワイトまたはジム・ケルトナーピアノニッキー・ホプキンス担当することが多かった1969年シングル平和を我等に』『コールド・ターキー』を、12月にはトロント行われたバンドステージ収録したライヴ・アルバム平和の祈りをこめて〜ライヴ・ピース・イン・トロント1969〜』を発表した。このライヴにはクラウス・フォアマンエリック・クラプトンアラン・ホワイト参加しており、その模様映像DVDスウィート・トロント』に収録されている。

※この「ジョンとヨーコ:ベトナム反戦運動」の解説は、「ジョン・レノン」の解説の一部です。
「ジョンとヨーコ:ベトナム反戦運動」を含む「ジョン・レノン」の記事については、「ジョン・レノン」の概要を参照ください。

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