シンエイ動画時代とは? わかりやすく解説

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シンエイ動画時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 22:40 UTC 版)

シンエイ動画」の記事における「シンエイ動画時代」の解説

こうして再出発したシンエイ動画社屋田無市北原町へと移転しその際には仕上部門切り離し作画スタッフ大幅に削減して経営スリム化している。この時に独立した作画スタッフ設立したものが亜細亜堂等のスタジオである。なお、小山率いた美術部門小山自身独立した形で、早く廃している。そして東京ムービー在籍していた楠部三吉郎専務取締役としてシンエイ動画へと移籍し、兄の大吉と共に経営支えた。またAプロからシンエイ動画として独立した記念として東京ムービー持っていた『ドラえもん』映像化を、藤岡から譲渡されたという逸話がある。 東京ムービーから独立後のデビュー作は、PR用の短編映画草原の子テングリ』(1977年であった。しばらくは他社グロス請けなどをこなしたのち、1979年にはテレビアニメ『ドラえもん』苦心の末、再びアニメ化こぎ着ける。このシンエイ『ドラえもん』成功が、シンエイ動画経営上のとなった。 そして業務拡大のため、1982年には社屋田無市南町移転一部スタッフ旧スタジオ残りあにまる屋(現: エクラアニマル)を設立した。そして1980年代中心に数多く藤子不二雄作品や『月刊コロコロコミック連載作品などを中心に次々とアニメ化し、これらはテレビ朝日系中心に放映された。1992年には田無市本町社屋新築し移転。この青い塗装ビル同社経営支えた『ドラえもん』感謝込めドラえもんビル』という愛称がある。同年にはテレビアニメ『クレヨンしんちゃん』スタート2003年1月には、テレビ朝日シンエイ動画10%株式取得し資本提携する。2009年4月よりテレビ朝日シンエイ動画株式大半取得しテレビ朝日連結子会社になった岩永惠新社長に、部が代表取締役会長就任した2010年10月15日部が保有する株式テレビ朝日追加取得したことによりテレビ朝日100%子会社となった2002年からテレビ朝日がケーブルテレビ・スカパー!、スカパー!プレミアムサービス、他で展開する通信衛星テレビ放送局・「テレ朝チャンネル」で、シンエイ動画製作作品初回放送時にテレ朝系列でない作品を含む。)を集中的に取り上げる「シンエイアニメシアター」という番組毎日放映されている。 2009年11月には旧社屋北西方向、東京都道5号新宿青梅線旧道青梅街道)沿い(西東京市田無町3丁目)に青い塗装新社屋落成入居開始した旧社屋はしばらく空きテナントとなっていたが、2011年平成23年)に社会福祉法人檸檬会がビル借り上げ、「レイモンドたなしほいくえん」に転用された。 2012年7月代表取締役社長梅澤道彦常務昇格し就任した。また別紙博行専務代表取締役専務昇格した梅澤社長は、前任岩永同様にテレビ朝日からの出向であった2015年別紙代表取締役退任し梅澤単独代表取締役務める。 2016年にはアスミック・エーストムス・エンタテインメントジェイアール東日本企画住友商事と共にアニメ製作プロジェクトチームあにめのめ」を立ち上げるシンエイ動画トムス共同アニメ企画制作担当し2018年消滅まで笑ゥせぇるすまんNEW『からかい上手の高木さん』など5作品手掛けた2017年4月SynergySP子会社化同社の代表は元取締役・チーフプロデューサー増子相二郎就任した2018年からは企画開発部門を強化するこれまでテレビ朝日プロデューサーとして数多くシンエイ動画作品携わってきた杉山登執行役員として招聘し、外部クリエイター制作会社提携してコンテンツ共同製作する体制作る2019年には81プロデュースとのコラボレーションによるYouTubeプロジェクト『What 声 You?』を立ち上げ、同プロジェクト通してアイドールズ!』に出演する新人声優発掘したまた、2021年1月放映されストップモーション・アニメーション『PUI PUI モルカー』スタッフ想定超える反響呼び新たなIPビジネス活性化貢献した同年より、シンエイ動画9月9日創立45周年迎えることを踏まえ4月9日から1年間45周年イヤー位置づけると共に旧東動画東映アニメーションインスピレーションにより社名とは別に「シンエイアニメーション」のロゴ採用された。 2021年11月デジタル作画によるアニメーション制作需要応えることを目的ギャザリングホールディングス共同デジタル作画スタジオ東京都中野区設立することを発表したスタジオ運営ギャザリングホールディングスの子会社であるレスプリ担当し新規アニメーター採用育成同社シンエイ動画共同で行う。 2022年9月関西圏での人材獲得並びに新人アニメーター育成などを目的として、兵庫県神戸市スタジオ開設することが同年5月に同市から発表された。東京以外に拠点を置くのはこの事例初めてとなる。

※この「シンエイ動画時代」の解説は、「シンエイ動画」の解説の一部です。
「シンエイ動画時代」を含む「シンエイ動画」の記事については、「シンエイ動画」の概要を参照ください。

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