グレートソルトレイク砂漠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/24 03:30 UTC 版)
グレート・ソルト・レーク砂漠[1] (Great Salt Lake Desert[1]) | |
Desert | |
名前の由来: グレートソルト湖 | |
国 | ![]() |
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州 | ![]() |
郡 | ジューアブ郡, トゥーイル郡 |
面積 | 4,000 sq mi (10,360 km²) |
グレートソルトレイク砂漠(グレートソルトレイクさばく、Great Salt Lake Desert)は、ユタ州北部、グレートソルト湖の西側に広がる広大なプラヤ(乾燥地域の内陸低所にみられる堆積平野)。グレートソルト湖から西はネバダ州との境界まで広がる乾燥した地域である。面積は10,360 km²。
ここの砂は、土壌中の濃い塩分濃度のため白色をしている。塩分は主に、過去に存在していたボンネビル湖(現在はグレートソルト湖とユタ湖のみ残っている)により残された蒸発岩鉱床に由来する。シーダー山地、レイクサイド山地、シルバーアイランド山地、Hogup山地、ニューファンドランド山地といったいくつかの小さな山脈が、砂漠内や砂漠のふちにそって交差している。砂漠の西の端、ネバダ州との境界を越えたあたりにパイロット山脈のパイロット峰がある。
グレートソルトレイク砂漠は、1840年代に推進された西へ向かうカリフォルニアへの移民のための4輪荷馬車の道の代替路であるヘイスティングズ・カットオフの大半が位置していたことが、おそらく歴史的に最も重要なことである。
砂漠の大部分は軍事用に使用されている。ヒル空軍基地が北に、ユタ試験訓練場とダグウェイ性能試験場が南にある。
砂漠内の目立った町はウェンドーバーとダグウェイのみであり、人口は共に1500人程度である。
脚注
- ^ a b “グレート・ソルト・レーク砂漠 ぐれーとそるとれーくさばく Great Salt Lake Desert”. 日本大百科全書. 小学館 (2016年8月21日). 2018年8月16日閲覧。
外部リンク
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グレートソルトレイク砂漠
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「ドナー隊」の記事における「グレートソルトレイク砂漠」の解説
8月25日、ルーク・ハロランが結核で客死。その数日後、一行は破れてぼろぼろになっているヘイスティングズの手紙を見つけた。それによるとこの先には2昼夜に及ぶ草も水もない難路が控えている。一行は牡牛を休ませて旅に備えた。36時間後、進路を阻む1,000フィート(300メートル)の山越え にかかり、頂上に至ると、そこから見えたのは今しがた越えてきたよりさらに広く水のない不毛な平原で、完璧に平坦で白い塩に覆われており、ラリックによれば「地球上でもっとも居住に適さない土地のひとつ」だった。牡牛はすでに疲弊し、水はほとんど尽きていた。 8月30日、一行はほかに選択肢もなく前進した。日中の暑熱で表層の塩の下から湿気が湧いて地面を粘土状に変えた。幌馬車の車輪はその中に沈み、中には車軸の高さまで沈んでしまう馬車もあった。日中は酷暑で夜間は酷寒だった。何人かは湖と馬車列の幻を見て、ついにヘイスティングズに追いついたと思い込んだ。3日後、水が尽き、一部の者は牡牛に水場を捜させようとあえて馬車から解き放った。何頭かの家畜はあまりに衰弱がひどく、馬車の軛につないだまま遺棄された。リードの牡牛は10頭のうち9頭が渇きで狂奔して脱走し、砂漠の中へ駆け去った。ほかの多くの家族も同様に牛馬を失う。過酷な行程で何台かの馬車は修理不可能な損傷を負ったが、人命の喪失はなかった。40マイル(64キロ)2日間と言われたはずが、グレートソルトレイク砂漠を抜けるには80マイル(130キロ)6日間を要した。 砂漠を越えて泉で休養するころには、一同はヘイスティングスの近道に対する信頼を完全になくしていた。そこで数日間を費やして牛を休ませ、砂漠に残してきた幌馬車を捜して食料と物資をほかの馬車に積み替えた。リード家の損失がもっとも大きく、リードは一層強情になって、すべての家族に対し手持ちの物資と食料の目録を差し出すよう求めた。彼はカリフォルニアのサッター砦(英語版)に向けて2人の男子を先行させるよう提案した。ジョン・サッターが身勝手な開拓者にもきわめて寛容で余剰の物資を分けてくれると聞いていたからである。チャールズ・スタントンとウィリアム・マクカッチェンがこの危険な旅に志願した。残った中で実用に耐える馬車は牝牛、牡牛、騾馬を混ぜて牽かせた。時期は9月中旬になっていて、逃げた牡牛を捜しに出た2人の若者が、この先にさらに40マイル(64キロ)に及ぶ砂漠(英語版)が広がっていると報告した。 家畜と牡牛は今や疲弊し痩せこけていたが、ドナー隊はその次の砂漠区間を比較的無傷で通過し、旅程は捗り始め、ルビー山脈(英語版)沿いの渓谷では特に順調だった。ヘイスティングスに対してはもはやほとんど憎悪を抱いていたが、彼が何週間も前に残したと思しき轍をたどるほかに選択肢はなかった。9月26日、近道に踏み入ってから2か月後、ドナー隊は今日で言うフンボルト川(英語版)に沿う旧来の街道に合流した。近道で時間を節約するどころか、逆に少なくとも1か月は遅れたことになる。
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