オスマン帝国・ロシア帝国と正教会とは? わかりやすく解説

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オスマン帝国・ロシア帝国と正教会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 23:59 UTC 版)

正教会の歴史」の記事における「オスマン帝国・ロシア帝国と正教会」の解説

オスマン帝国東ローマ帝国蚕食ていった時期は、ルーシではモンゴル帝国影響強くキエフ大公国衰え新興モスクワ大公国進出する時期にあたっている。1329年キエフおよび全ルーシ府主教座は現在のモスクワ移転したタタールのくびき呼ばれる遊牧民支配下ありながら14世紀から15世紀にかけて、ルーシにおいては荒野修道院運動が活発となり、至聖三者聖セルギイ大修道院ソロヴェツキー諸島修道院群などの原型がこの時代成立輪作技術修道士達が西欧からルーシもたらし国土開拓広く行われた精神面でも荒野修道院多大な影響もたらし当時活躍したイコン画家であり修道士でもあったアンドレイ・ルブリョフイコン至聖三者』は、正教会のみならずカトリック教会でも使用される事がある1453年コンスタンティノープル陥落後、モスクワは「正教最後の砦」を自称する。また1547年以降モスクワ大公ツァーリ自称する首都モスクワは「第3のローマ」「第3エルサレム」と呼ばれたこのような宗教と結びついた民族意識高揚は、一面民族結束につながる一方選民意識と他民族土地への領土拡大正当化する意識ロシア人与えることともなった1589年ロシア正教会独立教会祝福正式に受け、モスクワ総主教座成立コンスタンティノープル管轄正式に離れたロシア正教会帝国国教とされ、カトリックなど他の宗派活動制限された。反面ピョートル1世皇帝正教会への介入統制正教会史上類をみない厳しいものであったピョートル1世西欧化政策教会にも及ぼし北欧プロテスタント国の国教制度にならう統制制度導入した1700年モスクワ総主教アドリアン没すると、後任をおくことを禁じ皇帝直接任命する聖務会院かわって設置した。 また1721年には総主教制を廃止し聖務会院教会と修道院管理するとした。この体制ロシア革命が起こる1917年まで続いた国家介入高位聖職者にもおよび、修道院閉鎖財産国有化推し進められた。ドイツ出身エカチェリーナ2世も、教会への統制厳しくした。この統制のもとで、ロシア教会精神的に荒廃したとしばしばいわれる。この荒廃時期18世紀末まで続いたが、後述する『フィロカリア』の紹介中心とした静寂主義修道院拠点広まったことで、ロシア正教会信仰生活は復興したといわれる一方オスマン帝国の側も一応はキリスト教信仰認めたものの、とりわけ帝国中期以降イスラーム絶対的優越性理念の下クリスチャン厳し迫害抑圧苦しみ帝国領内での神学教育禁止イスラーム教徒への布教禁止など宗教活動でも制限受けたこのため聖職者養成は、ローマなど西方留学して神学を学ぶことにより行われた。これは東方正教会のなかにローマ・カトリック教会影響強めることになった1782年ギリシア聖歌集フィロカリア』が出版された。タイトルギリシア語で「美を愛する」を意味しここでいう美とは神のことである。アトス山修道士ニコディム・アギオリトとコリント主教マカリーの編纂したこの聖歌集は、正教会伝統である神秘思想静寂主義を、美しくわかりやすい表現移し一般信徒日々礼拝のなかで接することのできる形を与えた。『フィロカリア』は各国言語訳され、全正教会広まり停滞していた教会内で信仰再興つながった。『フィロカリア』は現在でも正教会共有する精神財として、世界各地正教会使われている(日本語への部分訳あり、ただし正教会による翻訳ではない。エンデルレ書店より刊行。またこれと別に2006年より全文翻訳刊行日本人研究者によりなされている)。

※この「オスマン帝国・ロシア帝国と正教会」の解説は、「正教会の歴史」の解説の一部です。
「オスマン帝国・ロシア帝国と正教会」を含む「正教会の歴史」の記事については、「正教会の歴史」の概要を参照ください。

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