オスマン帝国への勝利
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 06:35 UTC 版)
「アッバース1世」の記事における「オスマン帝国への勝利」の解説
こうして内政、外政を整えたアッバース1世は、1603年いよいよオスマン帝国への対外遠征に臨みた(第三次オスマン・サファヴィー戦争(英語版))。メフメト3世、アフメト1世らと戦い、奪われていたアゼルバイジャンを取り戻した。さらにタブリーズなどイラクの主要都市を奪還し、オスマンとの戦いを優位に進めた。1612年、オスマン帝国とナスフ・パシャ条約を結び、アマスィヤ条約の時の国境に戻し、オスマン側に絹を送ることになった。1615年にサファヴィー側はナスフ・パシャ条約を破棄し翌年に戦争が再開した。1618年に自国有利の和睦を結び、アゼルバイジャンなどの支配権を認めさせた。その後、1623年オスマン帝国と再び戦争を再開してからバグダードを奪還し、100年ぶりにサファヴィー朝の領土を取り戻した。こうして、サファヴィー朝はアッバース1世のもとで最盛期を迎えた。
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