オスマン帝国・ギリシアの文献とは? わかりやすく解説

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オスマン帝国・ギリシアの文献

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 04:27 UTC 版)

ミロシュ・オビリッチ」の記事における「オスマン帝国・ギリシアの文献」の解説

オスマン帝国側の初期の文献多くでは、ムラト1世戦場で共を連れず行動していたところを死体紛れて身を潜めていた無名キリスト教徒襲われ刺殺されたのだとされている。例え15世紀前半詩人アフメディーは「突然、血にまみれて敵の死体中に隠れていたと思しきキリスト教徒一人立ち上がりムラト駆け寄って短剣突き立てた。」としている。 歴史家のハリル・イナルツク(英語版)は、コソヴォの戦いに関する比較的近い時代オスマン帝国資料で特に重要なのが、詩人エンヴェリ(英語版)の1465年作品『デュストゥールナーメ』 (トルコ語: Düstûrnâme)であるとしている。イナルツクによれば、この文献戦い実際に居合わせた人物の証言をもとに書かれているその人物とはおそらく、戦闘前セリム1世ラザル・フレベリャノヴィチのもとに派遣した使者ホジャ・オメルである。エンヴェリの記述によると、暗殺者「ミロシュ・バン」はセルビア貴族になる前はオスマン帝国スルタン宮廷つかえていたムスリムだったのだが、脱走し棄教したのだという。伝えられるところによれば、スルタン何度も彼を呼び戻そうとした。しかしエンヴェリによればミロシュ毎回帰る返答しておきながら帰らなかった。コソヴォの戦いに関しては、この文献によればラザル捕らえられた時、黒い牡馬乗っていたセリム1世のもとにミロシュがやってきて「私はミロシュ・バン、我がイスラーム教え帰り来て御身の手接吻しとうございます。」と言った。そしてセリム1世に十分近づいたところで、袖口隠し持っていたダガー刺し殺したその後ミロシュセリム1世の傍にいた者たちにより、剣や斧で細切れに斬り殺された。 また15世紀活動したエディルネ出身歴史家オルチュ・ベイ(英語版によればオスマン軍逃げる敵を追うのに気を取られて、スルタン暗殺の隙を生んでしまった。そのキリスト教徒ミロシュ)は「みずから犠牲になると約束して一人馬上にいたムラトに近づいた。彼はスルタンの手接吻する見せかけて、鋭いダガースルタン刺した。」。 15世紀後半ごろから、ギリシア語文献でもミロシュスルタン暗殺物語言及され始めたアテネ学者ラオニコス・ハルココンディリス(英語版) (1490年ごろ没)は、ムラト1世暗殺者を「ミロエス」(Miloes)と書き、「貴族生まれで、みずから進んで暗殺という英雄的な行動成し遂げよう決断した(者)。彼はラザル侯から必要なもの貰い受け、馬に乗って脱走者のようにみせかけムラト陣営去ったムラトは、戦い間近にして自軍ただ中立っていたのだが、脱走者受け入れようとしたがっていた。ミロエスはスルタンとその護衛たちの元までたどり着くと、ムラトに向け、彼を殺した。」と紹介している。同じく15世紀後半歴史家ミカエル・ドゥーカス(英語版)は、著書ビザンツ歴史』をムラト1世暗殺の話で締めくくった。ここでは、若い貴族戦場からの逃亡偽装し、トルコ人捕らえられた後に、「勝利への鍵を知っているといってムラト近づき殺したということになっている。 ミオドラグ・ポポヴィチ (1976)は、セルビア伝説語られるうちの、ミロシュ秘密裏に、かつ計画的に事を運んだという要素はすべてオスマン帝国側の文献端を発しており、それらは元をたどれば、敵のキリスト教徒が「よこしまな手だてムラト1世殺した中傷する叙述だったと指摘している。トーマス・A・エマートもポポヴィチの説に賛同している。 エマートによればトルコ語文献早い段階ムラト1世暗殺何度も言及しているのに対し西洋セルビア側の文献同様の言及為されるのはかなり後になってからである。エマートは、セルビア人暗殺事実知っていたにもかかわらず何らかの理由記録しないことにしていたのだと推測している。 オスマン帝国歴史家メフメト・ネシュリ(英語版)は、1512年著作コソヴォの戦い詳述しており、これが後のオスマン帝国西洋文献参考にするコソヴォの戦い基礎文献となった。ネシュリはセルビア良く知られている伝承からもいくつか材を得ており、ムラト1世暗殺経緯を、暗殺者否定的な調子書き記している。

※この「オスマン帝国・ギリシアの文献」の解説は、「ミロシュ・オビリッチ」の解説の一部です。
「オスマン帝国・ギリシアの文献」を含む「ミロシュ・オビリッチ」の記事については、「ミロシュ・オビリッチ」の概要を参照ください。

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