A級戦犯
英語:Class-A war criminal
「A級戦犯」とは、第二次世界大戦後の国際軍事裁判で連合国により「平和に対する罪」を犯した戦争犯罪人として追訴された被告人のことである。
A級戦犯には、開戦時に首相であった東條英機や、東条内閣の閣僚、大臣、軍の上層部などが指名された。総勢100余名がA級戦犯として逮捕され、そのうち28名が東京裁判(極東国際軍事裁判)にかけられた。東條英機を含む7名が死刑判決を下された。
A級戦犯のうち、刑死した7人を含む14人は、靖国神社に祀られている。
「A級戦犯」の「A級」は、「国際軍事裁判所憲章」で規定された戦争犯罪の区分がABCある中で「区分A(平和に対する罪)に該当する」という意味の表現である。つまり「A級」は「上級」の意味ではなく、「A級戦犯」も「最悪の戦争犯罪人」という意味ではない。
とはいえ、今日では俗に「形勢悪化や敗北の直接の要因を作った最も糾弾されるべき者」を指す意味で「A級戦犯」という表現が用いられる場合がある。
「A級戦犯」の基本的な意味
「A級戦犯」とは、「平和に対する罪」を訴追理由に、ニュルンベルク裁判および極東国際軍事裁判の被告に対して用いられた呼称である。日本では連合国の極東国際軍事裁判によって起訴された28名をさす。このうち2名は判決前に病死、1名は病気により起訴を免れている。残る25名はことごとく有罪判決を受けた。「A級戦犯」の訴追理由となった「平和に対する罪」とは、大日本帝国に対する降伏勧告「ポツダム宣言」が発せられた1945年に、英・米・仏・ソ連4カ国が締結した「欧州枢軸諸国の重要戦争犯罪人の訴追及び処罰に関する協定」で新たに持ち出された概念であり、侵略戦争を計画・準備・開始または実行することなどを犯罪としたものである。この罪状に抵触する恐れありと特定された戦争犯罪人には、A級戦犯の容疑者として計4回にわたり出頭命令が下された。内訳は第一次戦犯指名に東条英機ら17名、第二次戦犯指名に荒木貞夫ら11名、第三次戦犯指名に廣田弘毅ら59名、第四次戦犯指名は近衛文麿ら14名であった。
この中で起訴され裁判が行われたのは28人。病死と精神障害による訴追免除の3人を除いた25人が有罪判決を受け、7人に死刑が宣告された。死刑7人の名前は、元首相の東条英機・元陸軍大臣の板垣征四郎・元奉天特務機関長の土肥原賢二・元中支那方面軍司令官の松井石根・元陸軍省次官の木村兵太郎・元陸軍省軍務局長の武藤章・元首相の廣田弘毅である。処刑日は1948年12月23日であった。死刑以外の18人は終身刑が宣告されたが、このうち4人は収監中に死亡、残りの14人は1958年までに恩赦により順次釈放されている。
A級戦犯のうち14人は東京・九段の靖国神社に祀られている。靖国神社は、戦死者や戦傷病死者などを神として祀る場所であるうえに、A級戦犯が合祀されてもいることから、時の首相や閣僚がこの靖国神社を参拝することに対しては、過去の軍国主義を美化するものとしてアジア各国からの厳しい視線が向けられている。このような国際世論に配慮して、1985年、当時の中曽根首相がA級戦犯の子孫に対して靖国神社からのA級戦犯の分祀を求める署名を集めたことがあったが、東条元首相の遺族は「分祀は東京裁判史観を認めることになる」としてこれを拒否した。
「A級戦犯」と「B級戦犯」の違い
「A級戦犯」と「B級戦犯」の違いは、指定された罪の区分の違いである。「罪の重さ」の差というわけではない。A級戦犯は「平和に対する罪を犯した者」であり、B級戦犯は「通例の戦争犯罪を犯した者」である。B級戦犯に該当する犯罪行為は、たとえば、禁止された兵器の使用、投降してきた者に対する殺傷、捕虜虐待などが挙げられる。
- エーきゅうせんぱんのページへのリンク