ウエイトリフティング
歴史と沿革
バーベルを両手で頭上に持ち挙げて、その重量を競う、ウエイトリフティングは長い歴史をもつ競技です。オリンピック大会には第1回(1896年)アテネ大会から正式種目として採用されています。ただし、第8回(1924年)パリ大会までは、現在とは異なる種目・階級で行われ、第9回(1928年)アムステルダ大会から、両手によるプレス、スナッチ、ジャークに種目が整理され、現在はスナッチとクリーン&ジャークの2種目で行われています。
日本では、1933年に嘉納治五郎氏がオーストリアのウィーンでバーベルを購入し、文部省体育研究所において競技の研究を行ったのち、1936年にルール・競技方法などを公表しました。同年、朝鮮半島から2人の選手を迎えて第1回全日本重量挙選手権大会が開催されています。
1937年に日本重量挙連盟が発足しました。その後、第二次世界大戦の開戦により解散を余儀なくされましたが、1946年、日本ウエイトリフティング協会と改称し、再発足しました。
オリンピックには、1952年の第15回ヘルシンキ大会以来、現在まで連続(モスクワは派遣せず)して参加しています。1960年のローマ大会で三宅義信選手が銀メダルを獲得し、日本人として初のメダリストになりました。続く1964年の東京大会でも三宅選手の金メダルに加え、一ノ関史郎選手、大内仁選手が銅メダルを獲得しています。さらに1968年メキシコ大会では、三宅選手が自身2個目の金メダル獲得したうえ、実弟の三宅義行選手も銅メダルに輝き、兄弟が並んで表彰台に上る快挙を成し遂げました。
女子の競技は、1987年に世界選手権大会が開催され、同年、日本国内でも女子の全国大会を開始しました。オリンピックには2000年のシドニー大会より導入されています。
競技の特徴・魅力
男女別・体重別の競技であることから体格によるハンディがなく、また、年齢別大会もあることから誰でも公平に競技を行える点が大きな特徴です。 最終的にはパワーが勝敗を左右しますが、パワー以外にも、テクニック・スピード・タイミング・バランス・柔軟性などスポーツの基本である要素すべてが要求される競技であるといえるでしょう。 |
競技方法・ルール
◆階級:(ジュニア、シニア)
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◆階級:(ユース)
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◆種目:
・スナッチ:
バーベルを頭上まで一気に差し挙げる種目。床からほぼ垂直方向に引く・引いた高さ付近の位置で支える・立ち上がる・静止する、という一連の動作からなる。
・クリーン&ジャーク:
スナッチと同様に床から引きあげたのち、(1)胸(鎖骨・肩)の位置で一度支持し、(2)その後、脚の力を利用してバーベルを頭上まで差し挙げる、という2つの動作からなる。
◆競技:
選手は、各種目3回ずつ合計6回試技できます。トライする重量は選手の希望で設定できます(競技会によっては設定重量の制限がある場合もある)。競技会の進行は、軽い重量の試技から行い、同じ重量の場合は試技数の少ない選手が先行します。重量は1kg単位で増量されます。
◆判定:
3名のレフリーが審判し、多数決によって決定されます。レフリーの審判に重大なミスがあったとジュリー(陪審)が判定した場合は、ジュリーの決定が優先されます。
◆反則:
挙上中に、反則動作(*)があった場合は、失敗の試技となります。
(*) 日本ウエイトリフティング協会ホームページ:競技規則をご参照ください。
◆順位:
各種目の最高重量を合計したトータル記録によって順位をつけます。同記録の場合は、競技会前に測定した体重の軽い選手が上位となります。
用具
スナッチのファーストプル
◆バーベル:
バー(男子用20kg、女子用15kg)、カラー(ディスクの止め具)、ディスク(円盤型の重り/25kg ・ 20kg ・ 15kg ・ 10kg ・ 5kg ・ 2.5kg ・ 2kg ・ 1.5kg ・ 1kg ・ 0.5kg )を組合せる。
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