一ノ関史郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/17 09:27 UTC 版)
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個人情報 | |||||||||
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国籍 | ![]() |
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生誕 | 1944年1月24日(81歳) 秋田県南秋田郡八郎潟町 |
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スポーツ | |||||||||
国 | ![]() |
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競技 | 重量挙げ | ||||||||
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一ノ関 史郎(いちのせき しろう、1944年1月24日[1] - )は、日本の重量挙げ選手。1964年東京オリンピック銅メダリスト。
来歴
1944年1月24日、秋田県南秋田郡八郎潟町出身[1]。中学生の頃に重量挙げを始める[2]。秋田短期大学附属高等学校(現・ノースアジア大学明桜高等学校)3年時にインターハイ優勝[3]、秋田国体少年の部にて準優勝。法政大学に進学し、3年生の時に行われた1964年東京オリンピックにバンタム級の代表として出場[4]。日本勢のメダル第1号となる銅メダルを獲得する[4]。
大学卒業後は秋田県の職員となり[4]、1968年メキシコオリンピック出場[4]。しかし直前の練習中に腰を痛め、その影響から5位に終わる[4]。
現役引退後は書道家となり[4]、雅号「清山」を名乗る[5]。2006年には読売書法展にて入選。
出典
- ^ a b “シリーズ 時代を語る:[一ノ関史郎]しつけ厳しかった父”. 秋田魁新報電子版. 2025年8月17日閲覧。
- ^ “シリーズ 時代を語る:[一ノ関史郎]遊び半分で重量挙げ”. 秋田魁新報電子版. 2025年8月17日閲覧。
- ^ “シリーズ 時代を語る:[一ノ関史郎]高3で全国を初制覇”. 秋田魁新報電子版. 2025年8月17日閲覧。
- ^ a b c d e f “シリーズ 時代を語る:[一ノ関史郎]人生の「金メダル」を”. 秋田魁新報電子版. 2025年8月17日閲覧。
- ^ “バーベルを筆に、人生の挑戦は続く 64年東京五輪重量挙げ「銅」の一ノ関さん”. 47NEWS. 2025年8月17日閲覧。
参考文献
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- 「アングル 書通じ後輩にエール」秋田魁新報 2006年10月23日付夕刊1面
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