イワン4世とは? わかりやすく解説

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イヴァン4世

(イワン4世 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/03 15:45 UTC 版)

イヴァン4世Иван IV Васильевич / Ivan IV Vasil'evich1530年8月25日-1584年3月18日[1] / グレゴリオ暦3月28日)は、モスクワ大公(在位1533年 - 1547年)、モスクワ・ロシアの初代ツァーリ(在位1547年 - 1574年1576年 - 1584年)。イヴァン雷帝Иван Грозный / Ivan Groznyi)という異称でも知られる。当時の表記はヨアン4世またはイオアン4世(Иоан IV / Ioan IV)、しかし当時発行された貨幣には、 Иван 又は Iван と表記された。ヴァシーリー3世の長男、母はエレナ・グリンスカヤ。後のソビエト連邦最高指導者となるヨシフ・スターリンにも影響を与えた。


注釈

  1. ^ 皇室付属聖堂ブラゴヴェシチェンスキー聖堂の司祭。著書『家庭訓』の中で「神、教会、ツァーリの団結によってツァーリは絶対的権限をもった家長として振る舞う」ことを説き、マカリー府主教とともにイヴァン4世のツァーリ観に重大な影響を与えた。
  2. ^ 扶持制と地方長官統治制を廃止し、シュイスキー時代に成立した郡(グバー)を活用して土地所有者らに「長老」を選出させた。その選出機関の権限は強く裁判、治安、租税を取り扱った。
  3. ^ 道中の修道院で、イヴァン4世は貴族たちによって追放された元コロムナ主教のヴァシアンと対面した。同行したクルプスキーによれば、ヴァシアンは貴族への憎悪から「専制君主として振る舞うには、自分より有能なものを側近としてはならない。賢しい忠告に左右されてしまう。常にツァーリの意見のみが正しくなくてはならない」と説き、宣誓拒否事件で権威を損ねられた想いのイヴァン4世に感銘を与えた、としている。
  4. ^ 6月でも冷たい湖に落ちたことでの心肺停止が原因とされている。
  5. ^ 代わりにロシアからは蜂蜜、獣脂、塩、毛皮、鯨油などが輸出されたが、これらの品目では高価な輸入品と釣り合わず、貿易額が増えるに従って深刻な輸入超過に陥っていった。
  6. ^ リヴォニアはリトアニア・ポーランド同君連合の保護下に入った。
  7. ^ ポロツクの勝利の後、モスクワへの帰還が許されず、アダシェフが投獄されたドルパート要塞があるユーリエフに赴任するよう要求された。またかつての宣誓拒否問題の再審査を宣言された。クルプスキーは宣誓を行っていたが、従姉妹が後継者に擁立されかけたスターリツァ公ウラジーミルに嫁いでおり、関連が疑われていた。亡命後、イヴァン4世は忠臣の「裏切り」に激怒し、亡命先のクルプスキーと取り交わした自らの正当性を訴える書簡は、ツァーリの理念を修辞法を駆使して表現した第一級の歴史資料となった。
  8. ^ 旧来の貴族の領地。
  9. ^ 当初は500人程度だったが、後に増強されて6,000人の規模となり、皇帝の「親衛隊」化が進んだ。
  10. ^ 反対にリトアニア・ポーランドは全ルーシという称号に旧キエフが含まれていたため、最後まで承認することはなかった。
  11. ^ 「ツァーリが亡命するならばイングランドは受け入れる」この文章は相互亡命とすることで面子を保とうとしたイヴァン4世の真意を蔑ろにし、「共通の敵に対してのみ軍事行動を行う」という約束は事実上の軍事同盟の拒否でしかなかった。
  12. ^ オプリーチニキに参加していた外国人傭兵シュターデンは両者の面談の様子を書き残している。『佯狂者ニコライはイヴァン4世の訪問を受けて生肉をのせた皿を差し出し、皇帝を「正教徒ゆえ斎(ものいみ)に肉は食さない」と憤慨させた。しかし佯狂者ニコライは「お前はすでに人の血肉をすすっている。それどころか神のことすら忘れている。この町で無辜の人を殺せば雷がお前を撃ち殺すだろう」と脅し、同時に雷鳴が轟いたことでイヴァン4世は色を失った』
  13. ^ 他の退位理由としては、政務に疲弊してツァーリから大公の職務を除きたかったという説、皇太子との確執により先手を打って譲位したとする説、単なる気まぐれだった説があげられている。
  14. ^ 停戦後、ローマ教皇はロシアに対トルコ十字軍を呼びかけたが、イヴァン4世は言を左右にして応じなかった。
  15. ^ 北東航路は、1619年に他国とポモールとの交易活動が禁止されたために一時衰退したが、それまでのマンガゼヤ経由に変わり、ロシア唯一の海港とされたアルハンゲリスク経由の貿易が主流となり、ノルウェーとのポモール貿易英語版も続けられた。またコサックも北極海河口に至り、そこからの内陸水路を伝って東シベリアへ進出していった。これは18世紀に始まる北極海探検の下地となった。
  16. ^ 当時、ロシアの女性は何枚か重ね着をしていなければはしたないとされていた。
  17. ^ かねてよりイヴァンが貴族たちと友好的な関係を築いていたことに猜疑心を抱いていたとも言われている[79]
  18. ^ イヴァン4世の死には様々な風説があり、占星術師に算出させた死亡予定日に死んだという説もある。

出典

  1. ^ Ivan the Terrible tsar of Russia Encyclopædia Britannica
  2. ^ a b ダニロフ 2011, p. 209.
  3. ^ a b ダニロフ 2011, p. 217.
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  90. ^ ダニロフ 2011, p. 229.
  91. ^ スクルィンニコフ 1994, pp. 75–77.
  92. ^ 川又 1999, p. 159.
  93. ^ 川又 1999, p. 222.
  94. ^ 熊野谷 2013, pp. 117–126.


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