アメリカ合衆国商務長官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/22 15:33 UTC 版)
![]() 商務長官 United States Secretary of Commerce | |
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![]() 商務省章 | |
![]() 商務長官旗 | |
種類 | 閣僚 |
所属機関 | 内閣 |
担当機関 | 商務省 |
指名 | 大統領 (ドナルド・トランプ) |
任命 | 上院の承認 |
初代就任 | 1913年3月3日 |
初代 | ウィリアム・レッドフィールド |
継承 | 第10位 |
職務代行者 | 商務副長官 |
ウェブサイト | www.commerce.gov |
アメリカ合衆国商務長官(アメリカがっしゅうこくしょうむちょうかん、United States Secretary of Commerce)は、アメリカ合衆国商務省の長であり、商工業分野を管掌する。アメリカ合衆国商務省はその任務について、「国内外の商業を育成し、促進し、発展せしむること」としている[1]。アメリカ合衆国商務長官の大統領権限継承順位は第10位。日本における経済産業大臣に相当する。
概要

かつては商務労働長官 (Secretary of Commerce and Labor) が置かれていたが、商務労働省は1913年にアメリカ合衆国商務省とアメリカ合衆国労働省とに分割された[2]。現在アメリカ合衆国労働省はアメリカ合衆国労働長官が統轄する。
長官府は商務副長官、首席補佐官、次席補佐官、上級顧問、副長官首席補佐官、立法府・政府間問題担当次官補、最高財務責任者兼管理担当次官補・最高情報責任者、法律顧問、首席監察官、業務連絡室、政策戦略企画室、広報室、ホワイトハウス連絡室とネイティブ・アメリカン問題専門上級顧問を含む[3]。
バラク・オバマ大統領の下で上院議員のジャド・グレッグがカルロス・グティエレスの後任の次期商務長官に指名され就任が予定されていたが、政策の対立によりグレッグ議員が指名を辞退。その後オバマ大統領はワシントン州前知事でアメリカ民主党所属のゲイリー・ロックを指名、上院に承認され第36代商務長官に就任した。
商務長官職の継承順位は、以下の通り[4]。
- 商務副長官
- 商務省法律顧問
- 国際貿易担当商務次官
- 経済問題担当商務次官
- 標準技術担当商務次官兼国立標準技術研究所所長
- 海洋大気担当商務次官兼海洋大気局長官
- 産業安全保障担当商務次官
- 商務省最高財務責任者兼管理担当商務次官補
歴代商務長官
代 | 肖像 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 大統領 |
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1 | ![]() |
ウィリアム・C・レッドフィールド | 1913年3月5日 | 1919年10月31日 | ウッドロウ・ウィルソン |
2 | ![]() |
ジョシュア・W・アレグザンダー | 1919年12月16日 | 1921年3月4日 | |
3 | ![]() |
ハーバート・C・フーヴァー | 1921年3月5日 | 1928年8月21日 | ウォレン・ハーディング カルヴァン・クーリッジ |
4 | ![]() |
ウィリアム・F・ホワイティング | 1928年8月22日 | 1929年3月4日 | カルヴァン・クーリッジ |
5 | ![]() |
ロバート・P・ラモント | 1929年3月5日 | 1932年8月7日 | ハーバート・フーヴァー |
6 | ![]() |
ロイ・D・チェーピン | 1932年8月8日 | 1933年3月3日 | |
7 | ![]() |
ダニエル・C・ローパー | 1933年3月4日 | 1938年12月23日 | フランクリン・ローズヴェルト |
8 | ![]() |
ハリー・ロイド・ホプキンズ | 1938年12月24日 | 1940年9月18日 | |
9 | ![]() |
ジェシー・H・ジョーンズ | 1940年9月18日 | 1945年3月1日 | |
10 | ![]() |
ヘンリー・A・ウォーレス | 1945年3月2日 | 1946年9月20日 | フランクリン・ローズヴェルト ハリー・S・トルーマン |
11 | ![]() |
W・アヴェレル・ハリマン | 1946年10月7日 | 1948年4月22日 | ハリー・S・トルーマン |
12 | ![]() |
チャールズ・W・ソーヤー | 1948年5月6日 | 1953年1月20日 | |
13 | ![]() |
チャールズ・S・ウィークス | 1953年1月21日 | 1958年11月10日 | ドワイト・アイゼンハウアー |
14 | ![]() |
ルイス・L・シュトラウス | 1958年11月13日 | 1959年6月30日 | |
15 | ![]() |
フレデリック・H・ミューラー | 1959年6月30日 | 1959年8月10日 | |
1959年8月10日 | 1961年1月19日 | ||||
16 | ![]() |
ルーサー・H・ホッジズ | 1961年1月21日 | 1965年1月15日 | ジョン・F・ケネディ リンドン・ジョンソン |
17 | ![]() |
ジョン・T・コナー | 1965年1月18日 | 1967年1月31日 | リンドン・ジョンソン |
18 | ![]() |
アレグザンダー・B・トロウブリッジ | 1967年1月31日 | 1967年6月14日 | |
1967年6月14日 | 1968年3月1日 | ||||
19 | ![]() |
サイラス・R・スミス | 1968年3月6日 | 1969年1月19日 | |
20 | ![]() |
モーリス・H・スタンズ | 1969年1月21日 | 1972年2月15日 | リチャード・ニクソン |
21 | ![]() |
ピーター・G・ピーターソン | 1972年2月29日 | 1973年2月1日 | |
22 | ![]() |
フレデリック・B・デント | 1973年2月2日 | 1975年3月26日 | リチャード・ニクソン ジェラルド・フォード |
23 | ![]() |
ロジャーズ・C・B・モートン | 1975年5月1日 | 1976年2月2日 | ジェラルド・フォード |
24 | ![]() |
エリオット・L・リチャードソン | 1976年2月2日 | 1977年1月20日 | |
25 | ![]() |
ジュアニータ・M・クレップス | 1977年1月23日 | 1979年10月31日[注釈 1] | ジミー・カーター |
- | ![]() |
ルーサー・H・ホッジズ・ジュニア(代理) | 1979年10月31日 | 1980年1月9日 | |
26 | ![]() |
フィリップ・M・クルズニック | 1980年1月9日 | 1981年1月19日 | |
27 | ![]() |
ハワード・M・ボールドリッジJr. | 1981年1月20日 | 1987年7月25日[注釈 2] | ロナルド・レーガン |
- | ![]() |
クラレンス・J・ブラウン(代理) | 1987年7月25日 | 1987年10月19日 | |
28 | ![]() |
カルヴァン・W・ヴェリティJr. | 1987年10月19日 | 1989年1月30日 | |
29 | ![]() |
ロバート・A・モズバカー | 1989年1月31日 | 1992年1月15日 | ジョージ・H・W・ブッシュ |
- | ![]() |
ロックウェル・A・シュナーベル(代理) | 1992年1月15日 | 1992年2月27日 | |
30 | ![]() |
バーバラ・H・フランクリン | 1992年2月27日 | 1993年1月20日 | |
31 | ![]() |
ロナルド・H・ブラウン | 1993年1月22日 | 1996年4月3日[注釈 3] | ビル・クリントン |
32 | ![]() |
マイケル・カンター | 1996年4月12日 | 1997年1月21日 | |
33 | ![]() |
ウィリアム・M・デイリー | 1997年1月30日 | 2000年7月19日 | |
- | ![]() |
ロバート・L・マレット(代理) | 2000年7月19日 | 2000年7月21日 | |
34 | ![]() |
ノーマン・Y・ミネタ | 2000年7月21日 | 2001年1月20日 | |
35 | ![]() |
ドナルド・L・エヴァンズ | 2001年1月20日 | 2005年2月7日 | ジョージ・W・ブッシュ |
36 | ![]() |
カルロス・M・グティエレス | 2005年2月7日 | 2009年1月20日[注釈 4] | |
- | ![]() |
オットー・ウォルフ(代理) | 2009年1月20日 | 2009年3月26日 | バラク・オバマ |
37 | ![]() |
ゲイリー・フェイ・ロック | 2009年3月26日 | 2011年8月1日 | |
- | ![]() |
レベッカ・ブランク(代理) | 2011年8月1日 | 2011年10月21日 | |
38 | ![]() |
ジョン・ブライソン | 2011年10月21日 | 2012年6月11日 | |
- | ![]() |
レベッカ・ブランク(代理) | 2012年6月11日 | 2013年6月1日 | |
- | ![]() |
キャメロン・ケリー(代理) | 2013年6月1日 | 2013年6月26日 | |
39 | ![]() |
ペニー・プリツカー | 2013年6月26日 | 2017年1月20日 | |
40 | ![]() |
ウィルバー・ロス | 2017年2月28日 | 2021年1月20日 | ドナルド・トランプ |
- | ![]() |
ウィン・コギンズ(代理) | 2021年1月20日 | 2021年3月3日 | ジョー・バイデン |
41 | ![]() |
ジーナ・レモンド | 2021年3月3日 | 2025年1月20日 | |
- | ![]() |
ジェレミー・ペルター(代理) | 2025年1月20日 | 2025年2月21日 | ドナルド・トランプ |
42 | ![]() |
ハワード・ラトニック | 2025年2月21日 | 現職 |
脚注
注釈
出典
アメリカ合衆国商務長官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/27 07:26 UTC 版)
「ジャド・アラン・グレッグ」の記事における「アメリカ合衆国商務長官」の解説
2009年2月2日、政治専門紙ポリティコは、バラク・オバマ大統領が次期商務長官のポストをグレッグに打診し、グレッグがそれを受諾したと報道した。ニュース専門放送局CNNもまた、同様の報道を行った。仮に上院がグレッグを承認した場合、グレッグは上院議員を辞職することになるが、そのとき後任の上院議員は民主党所属のニューハンプシャー州知事が指名することになっていた。共和・民主両党の情報筋は、後任の上院議員としてボニー・ニューマンが指名されるだろうと述べた。ニューマンは共和党所属であり、グレッグの元首席補佐官であった。この人事は、グレッグが後任の上院議員に共和党員が指名されることを望み、それが叶わないのであれば商務長官職を受理しないと主張したためであった。 オバマ大統領は2月3日にグレッグの商務長官指名を発表し、アメリカの経済界の再建のためには党派を超えた協力が必要であると述べた。 しかしながらグレッグとオバマ大統領のとの間には、商務省傘下の国勢調査局が実施することになっていた2010年の国勢調査について意見の相違があった。グレッグは国勢調査に関して、黒人やヒスパニックに不利になるような政策を支持する傾向があった。そのためオバマ大統領は、国勢調査に関する権限をグレッグとは別の人物に委ねることを検討していた。そして共和党幹部はこの経緯に対して、国勢調査権の管理をグレッグが行えないのであれば、指名を取り下げて欲しいとオバマ大統領に促した。 商務長官指名から9日後の2月12日、グレッグは記者会見を行い、指名を辞退することを発表した。グレッグは会見において、景気対策法案や国勢調査の方針についての考え方の不一致に言及し、それらの問題は解決不可能であると述べた。ホワイトハウス報道官ロバート・ギブズは同日に声明を発表し、政策対立によるグレッグの指名辞退に不満を示した。 グレッグ上院議員は商務長官候補として自ら売り込み、大統領に連絡を取ろうとしてきました。グレッグ上院議員は大統領と面談を行いましたが、政策に関する過去の相違を越えて、大統領を支援すると明確に述べてくれました。大統領の政治課題に取り組むと約束し、抱擁し合いました。ところがグレッグ上院議員は指名後、経済政策の重要課題において、大統領を支持しないことを明らかにしました。そのためグレッグ上院議員は、オバマ大統領と袂を分かつことになりました。我々は、グレッグ上院議員の心変わりに遺憾の意を示します。 グレッグは指名辞退の記者会見後、指名辞退に関する責任を認め、加えて商務長官の指名を受諾したことは間違いであったと述べた。
※この「アメリカ合衆国商務長官」の解説は、「ジャド・アラン・グレッグ」の解説の一部です。
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