ものまね四天王時代とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ものまね四天王時代の意味・解説 

ものまね四天王時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 03:20 UTC 版)

ものまね王座決定戦」の記事における「ものまね四天王時代」の解説

1987年木村忠寛プロデューサー就任し同年3月放送の『第2回爆笑!スターものまね王座決定戦』から、それまで司会務めたあのねのね代わり新たな司会者所ジョージ榊原郁恵就任した1988年4月の『第20回オールスターものまね王座決定戦』からはそれまで桑野信義タッグ組み出場者側だった田代まさしも加わる)。更に審査員淡谷のり子加えてからは、お笑いパロディとしてのものまね無論お笑い要素のない歌まねを排除したわけではなく並行)に方針転換する。 コロッケ清水アキラ栗田貫一並びにビジーフォーグッチ裕三モト冬樹)による、いわゆるものまね四天王前面に出す番組作り衣替えし、ダチョウ倶楽部笑福亭笑瓶松村邦洋ピンクの電話のような一発芸終始したネタ頻繁化され1990年代ものまねブーム巻き起こした1986年までは3ブロック制で90分での放送だったが、1987年90分での放送が2ブロック制に改める。1987年から1998年までは年に3回(『オールスター』が秋、『爆笑!スター』が春と11月頃に放送)この2番組が並行して行われたが、1997年・1998年11月頃に放送された分はそれまで優勝者決勝進出者常連組揃ったグランドチャンピオン大会になった1989年に入ると、春の改編期に『爆笑!スター』、秋の改編期に『オールスター』を放送するようになり、この年10月放送され第21回以降の『オールスター』から3ブロック制に変更され、翌1990年4月にも第7回以降、春の改編期放送する爆笑!スター』も3ブロック制に変更された。また1989年3月5日には、『花王名人劇場』(関西テレビ制作)でも『ものまね刑事』に四天王主演したドラマ放送された(ナレーター当時王座決定戦司会一人だった所ジョージ)。 1989年12月の『爆笑!スター』からは、審査員ネームプレート手書き体からナールフォルト体に変更された。また、それとは別に火曜ワイドスペシャル』や『金曜おもしろバラエティ』→『金曜ファミリーランドで、年数回、特別版番組舞台裏ドキュメント放送した1991年にはオリジナルビデオ作品にも進出し、『ものまね四天王 オリジナルムービー ひょうたん』を発表した。この『ひょうたん』は、1992年2月21日同局放送された『大公開!最初で最後!ものまね四天王ドラマスペシャル!!』(『金曜ファミリーランド)内で放送された。 しかし、プロデューサー木村四天王一角コロッケ対立発端になり、コロッケ1992年3月31日放送分の第11回爆笑!スター』を最後に降板した。さらに、コロッケ含め研ナオコ岩本恭生篠塚満由美らが、日本テレビスタートした史上最高そっくり大賞』→『ものまねバトル大賞』に移った一方で清水アキラ栗田貫一ダチョウ倶楽部松居直美松村邦洋など、当番組に残留した出演者多く、この時期では、かつて計25回も放送されフジテレビ代表する特番だった『オールスター紅白大運動会』を、当番組の出演者メイン復活し5回放送1994年 - 1996年)、また1997年1998年には『オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!』と並行した正月特番初笑い!爆笑ものまね新年会』も放送された。 やがてビジーフォー降板し、『ものまねバトル』より視聴率が下がるなど番組弱体化進み1999年以降1回減らした年2回の編成となる。番組司会の顔であった榊原2000年4月7日放送の『第25回爆笑!スター』で降板同時に司会者全員の赤いブレザーや、1980年10月28日放送回から続いてきた100点満点採点方式もこの回で終了した2000年10月3日放送第32回テコ入れをして下記のように多数演出大幅なリニューアルし、プロデューサー木村から水口昌彦交代(この回は司会今田耕司東野幸治篠原ともえ基本的にバンドであった演奏事前収録効果音変わった。これ以降ネタ伴奏は生バンドによる事前収録となる)するが、視聴率番組最低の13%となり、この回を最後に打ち切られた。 司会陣も所・田代1990年12月の『第8回爆笑!スター』で降板し、1991年4月の『第9回爆笑!スター』からは研ナオコ1994年11月の『第16回爆笑!スター』まで)に交代。その研も上記通り日本テレビものまね番組司会移り井上順1995年4月の『第17回爆笑!スター』から)の復帰松本伊代1996年4月第19回爆笑!スター』から)の審査員からの移行など、司会者が目紛るしく変わることもあった。 司会者人数も3人から、1996年4月の『第19回爆笑!スター』からは4人に、1998年10月の『第30回オールスター』~1999年10月の『第31回オールスター』には5人までに増えた1998年11月の「グランドチャンピオン大会」と2000年4月の『第25回爆笑!スター』は4人に戻る)。 トーナメント制も、1997年10月の『第29回オールスター』から2000年4月の『第25回爆笑!スター』まで、春・秋改編期の『爆笑!スター』、『オールスター』が4ブロック32組となる。複数名のユニット作られるようになり、最大50人を超えたこともあった。 番組のセットに関しては、中央従来トーナメント表を表したセットだったが、周り電飾中心セットになり、出演者席も中央のトーナメント表の所から両側に座ることになったまた、トーナメント表もコンピュータ処理になり、表示されたが1999年10月 - 2000年4月の回はなかった。審査員席の後ろ1997年10月お台場新社屋での収録初回)からは観客埋められ1998年4月 - 1999年4月ものまねターゲットとなった出演者グラビアアイドル埋められたが、1999年10月第31回オールスター - 2000年4月第25回爆笑!スター回は周りが花に埋められた。 1997年4月第21回爆笑!スターからテロップ乱発カラフル化するうになる放送送信河田町からお台場移転したことも背景にあると思われ司会者審査員の名前を表示する際に3倍ほどの特大サイズ表示になった(このデザイン2000年4月第25回爆笑スターまで使用)。ただし、引き続き針すなおイラストと、ものまね歌手名のテロップ表記オリジナルの手書き調を引き続き使用していた。

※この「ものまね四天王時代」の解説は、「ものまね王座決定戦」の解説の一部です。
「ものまね四天王時代」を含む「ものまね王座決定戦」の記事については、「ものまね王座決定戦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ものまね四天王時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ものまね四天王時代」の関連用語

ものまね四天王時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ものまね四天王時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのものまね王座決定戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS