その他の古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 08:45 UTC 版)
風土記の丘として整備される以前は一帯が田畑であり、古墳はまったく整備されず野ざらしであった。そのため、小型のものの多くが明治末から昭和にかけて田畑や埋め立て用土として開拓された(さきたま古墳周辺は沼地が多く、農地には適していなかった)。 戸場口山古墳 - 方墳。1918年(大正7年)に消滅。現在は宅地で地中に周濠の痕跡が残る。 埼玉1号墳(天王山古墳(てんのうやまこふん)) - 円墳。 直径27メートル。築造年代は6世紀前半。頂上部に八坂社と神木杉があったが、1908年(明治41年)に合祀とともに伐採。古墳公園として整備される以前は宅地であった。 埼玉2号墳(梅塚古墳) - 円墳。麿塚古墳(まろづかこふん)とも。 直径24メートル。築造年代は6世紀前半。明治初期には大きな白梅があったが、1878年(明治11年)の冬に暴風によって倒れ枯失。 埼玉3号墳(ボッチ山古墳) - 円墳。 直径13メートル、高さ2メートル。築造年代は6世紀前半。水鳥埴輪出土地。 埼玉4号墳 - 円墳。直径18メートル。築造年代は6世紀前半。 埼玉5号墳 - 円墳。直径26メートル。築造年代は6世紀前半。 埼玉6号墳 - 円墳。直径22メートル。築造年代は6世紀前半。 埼玉7号墳 - 円墳。直径22メートル。築造年代は6世紀前半。 山宮古墳(さんぐうこふん) - 円墳。 将軍山古墳と二子山古墳の中間にあった。1906年(明治39年)に開拓。 天祥寺裏古墳 - 円墳。 直径40メートル。築造年代は6世紀の中頃。二子山古墳の西にあった。1981年(昭和56年)の排水路工事の際に発見。 大人塚古墳(うしづかこふん) - 前方後円墳。 高さ3メートル、全長45メートル。築造年代は6世紀後半。渡柳地区の西端にあった。1913年(大正2年)に開拓。1914年(大正3年)に埴輪数点が出土した。行田市No.95遺跡はこの古墳址とみられる。 渡柳地区の西側などに存在していた小円墳十数基(現在はいずれも開拓され消失)と、この大人塚古墳を含めて、「渡柳古墳群(わたりやなぎこふんぐん)」として区別することがある。 この他、稲荷山古墳の東側などにも小円墳が存在していたことが、伝聞や発掘により判明している。 天王山古墳址(埼玉1号墳) 円墳址(埼玉5号墳) 円墳址(埼玉6号墳) 1975年の全景。一部の小円墳、クロップマークが確認できる。出典:国土地理院ウェブサイト
※この「その他の古墳」の解説は、「埼玉古墳群」の解説の一部です。
「その他の古墳」を含む「埼玉古墳群」の記事については、「埼玉古墳群」の概要を参照ください。
その他の古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 07:09 UTC 版)
20・21号墳では墳丘を囲む列石が検出され、墳径8メートル前後とされた。他の多くも同規模と見られているが必ずしも確認された数値ではない。発掘調査された古墳では横穴式石室が検出され、ほとんどは全長約4メートルだが、5号墳では約7メートルの石室が確認されている。調査されること無く撤去された古墳については資料が残っていないため、詳細は不明である。
※この「その他の古墳」の解説は、「炭焼平古墳群」の解説の一部です。
「その他の古墳」を含む「炭焼平古墳群」の記事については、「炭焼平古墳群」の概要を参照ください。
- その他の古墳のページへのリンク