その他の古典祝詞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:51 UTC 版)
天皇の即位の日や践祚大嘗祭のときに中臣氏が奏上した「中臣寿詞」(天神の寿詞)も重要な文献である。近衛天皇の康治元年(1142年)、大中臣清親が奏上した中臣寿詞は藤原頼長の日記である『台記』別記に所収。他に、その二代前の鳥羽天皇の天仁元年(1108年)、大中臣親定の奏上したものなどがある。また、『延喜式』巻十六、陰陽寮の「儺祭料」条には、十二月晦日の儺祭において陰陽師が唱えた祭文が収められている。 中世以降、祝詞は時代がくだるにつれて、おおむね簡略化、形式化してゆき、神仏習合の流れから漢語、仏教語が取り入れられていった。だが、延喜式の祝詞が官製のものであったのに対し、民間の諸社で実際に奏された祝詞を知ることができる点では貴重なものである。 ある程度まとまった形で残るものとしては、皇大神宮『年中行事詔刀文』や若狭彦神社『詔刀次第』、『住吉大神宮祝詞』『日吉社祝詞口伝書』『諏訪社年内神事次第旧記』がある。断片的に諸書に登載されたものには、『拾芥抄』『執政所抄』に記載のある「宮咩祭文」があげられ、その他『皇太神宮年中行事』『小右記』『柱史抄』『類聚大補任』『吾妻鏡』『朝野群載』『勘仲記』『園太暦』『康富記』『本朝世紀』などに、伊勢大神宮を初め、賀茂、石清水、平野、祇園、北野、春日など諸社の祝詞が収められている。
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