位置・概要
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見附市街地の南方約2キロ、通称耳取山と呼ばれる標高70から77メートルの丘陵頂部に5万平方メートルほどの平坦地があり、ここに縄文時代の集落跡がある。遺跡の存在自体は明治時代から知られていたが、1967年に初めての学術的な発掘調査が実施され、縄文時代中期から晩期に至る集落遺跡であることが確認された。その後、当地に開発計画が持ち上がったことから、2011年から2014年にかけてあらためて発掘調査を実施。遺跡地の中央部に縄文中期中葉、西側に後期前葉、東側に晩期後葉の遺構が位置することがわかった。遺跡は2015年10月7日付けで国の史跡に指定。その後、2016年に再度調査が実施され、従来明らかでなかった晩期の遺構の全容が確認された。2018年に史跡の追加指定が行われた。史跡指定地は2018年の追加指定分を含め、39,418.68平方メートルである。
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位置・概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 07:02 UTC 版)
JR堅田駅の西方約1キロ、標高160メートルほどの通称春日山丘陵上に分布する、前方後円墳2基を含む200基以上からなる古墳群である。前方後円墳2基は4世紀後半、他の多くの古墳は6世紀中頃から7世紀前半にかけての築造とみられる。本古墳群のある堅田・真野地区は、大津市の平野部の最北部に位置し、古代には滋賀郡の真野郷に属した。古代には大和国和邇(現在の奈良県天理市櫟本あたり)を本拠としていた豪族の和邇氏が真野郷を治めていたとされ、春日山古墳群は和邇氏の墓域と推定されている。 1968年に滋賀県教育委員会が調査した際、本古墳群は5つの支群(A支群 - E支群)に分けられ、計171基の古墳が確認された。その後、滋賀県、大津市、および京都教育大学考古学研究会によってたびたび分布調査が実施され、未発見だった古墳の確認が相次ぎ、支群の数は11(A支群 - K支群)、古墳の数は計200基以上とされている。 11ある支群のうちE支群には前述の前方後円墳2基が含まれる。「春日山古墳群」として国の史跡に指定されているのはこのE支群である。その他の古墳の大部分は古墳時代末期(6世紀後半以降)に築造された群集墳で、横穴式石室を主体部とする小円墳である。
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