E支群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 07:02 UTC 版)
E支群のうち1号墳(春日山古墳)が前方後円墳であることは早くから知られていたが、1989年に滋賀県と京都教育大学考古学研究会が実施した調査で、従来円墳とされていた12号墳も前方後円墳である可能性が指摘された。その後、春日山公園造成にともなって実施された1994年の分布調査と測量(調査主体:滋賀県教育委員会、調査機関:滋賀県文化財保護協会)により、12号墳が前方後円墳であることが確認された。1号墳は全長65メートル、後円部径32メートル、前方部幅20メートル。12号墳は全長54メートル、後円部径27メートル、前方部幅15メートルである。2基とも発掘調査が実施されていないため主体部については未詳であるが、木棺直葬とみられる。 E支群には、前方後円墳2基、円墳30基(1994年の調査で新たに確認された13基を含む)の計32基がある。埋葬施設は木棺直葬、箱式石棺、横穴式石室の3種類がある。前方後円墳2基は前述のとおり木棺直葬とみられる。円墳は大部分が横穴式石室を主体部とするが、一部に木棺直葬とみられるものや箱式石棺のものがある。かつては、1号墳(春日山古墳)が最初に造られ、10号墳(円墳、木棺直葬?)と11号墳(円墳、箱式石棺)がこれに次ぐと考えられていたが、1994年の調査で12号墳が前方後円墳と確認されたことに加え、木棺直葬とみられる円墳が新たに3基(20・21・22号墳)見つかった。 E支群の古墳の築造順序と時期について、1995年の滋賀県文化財保護協会の報告は以下のように想定している。まず、2基の前方後円墳は4世紀後半から5世紀初めの築造とみられる。2基のうちどちらが先に築かれたかについては、12号墳が尾根の最高部にあり、琵琶湖や堅田平野を眺望できる場所に占地していることから、こちらが先に築造されたとする。前方後円墳2基の築造を契機として、木棺直葬と箱式石棺の円墳5基がその後150年ほどの間、すなわち、古墳時代後期の群集墳築造が始まる前の5世紀前半から6世紀前半頃までに造られたとする。
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