自尊心
自尊心とは、自己を尊重し、自分自身の価値を認識する心の状態を指す。自尊心が高い人は、自己肯定感が強く、自分自身の能力や存在を肯定的に評価する傾向がある。一方、自尊心が低い人は、自己否定感が強く、自分自身の能力や存在を否定的に評価する傾向がある。 自尊心は、心理学の領域で広く研究されており、自己認識や自己評価、自己効力感などと密接に関連している。 自尊心は、生涯を通じて形成され、変化するものであり、育児や教育、職場環境などの社会的環境が大きく影響する。自尊心を高めるための方法としては、自己肯定的な思考の習慣化、適切な目標設定と達成、自己理解と自己受容、他人との良好な関係の構築などがある。
自尊心
「自尊心」とは、自分が価値のある存在であると評価することを意味する表現である。
「自尊心」とは・「自尊心」の意味
「自尊心」とは、自分に価値がある、優れていると評価するという意味で用いられているが、使うシーンによってニュアンスが異なることもある。自己肯定感が高くポジティブという良いニュアンスで用いられることもあれば、プライドが高いというネガティブなニュアンスで用いられることもある。そのため、褒め言葉として用いる時は注意が必要だ。元々は心理学用語であったが、現代においては一般的に使われる表現である。・「自尊心」と「プライド」の違い
「自尊心」と「プライド」は同じ意味として捉えても間違いではないが、厳密にいうと意味が少し違う。「自尊心」が自分で自分のことを価値があると評価する絶対評価であるのに対し、「プライド」は自分に価値があると認めるために相手を打ち負かそうとする相対評価である。「自尊心」は、誰かの評価や何かの結果などに関わらず、ありのままの自分に価値を見出しているという意味となる。
・「自尊心」をテーマとした小説
「自尊心」が上手く描かれている小説としては、中島敦の短編小説の「山月記」が代表的である。「人虎伝」という中国の逸話をもとに作られたストーリーで、自尊心の強い青年が人食い虎に変貌するというものである。青年は高級官僚として採用されるほど優秀であったものの、自尊心が高く役人という仕事を見下していた。仕事を辞め詩人になるために詩作にふけるものの、才能のなさに追い詰められ虎に変貌するという結末である。「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」が大きなテーマとなっているストーリーである。
・「自尊心」の重要性
「自尊心」は自分自身に価値があると認めることであり、人間が生きるために重要性が高い要素である。小さな成功体験を積み重ねていくことは、「自尊心」を高めるのに役立つとされている。
「自尊心」の熟語・言い回し
自尊心を傷つけるとは
「自尊心を傷つける」とは、恥ずかしい思いをするという意味の表現である。誰かに言われた言葉などで、自分を評価する気持ちが傷つけられた時に用いる。
自尊心が高いとは
「自尊心が高い」とは、自分を評価する気持ちが高いことである。一般的には自信に溢れている人のことを指す。「自尊心が高い」のは育ってきた環境によるものも大きいとされており、小さい頃からダメと言われることが少なくのびのび育てられた人は「自尊心が高い」傾向がある。「自尊心が高い」人の方が人間関係を構築するのも上手く、ビジネスでも成功しやすいと言われている。
自尊心が低いとは
「自尊心が低い」とは、自分を評価する気持ちが低い自信がない人という意味で用いられている。物事をネガティブに捉えたり、やる前から諦めてしまったりする傾向がある。小さい頃から親に色々なことを制限・否定されたり、失敗体験があったりする人は「自尊心が低い」という。「自尊心が低い」というのは、能力の有無に関わらず自分を肯定する気持ちが低いということである。
「自尊心」の使い方・例文
・心無い言葉に彼の自尊心は深く傷つけられた。・彼女は自尊心をくすぐるのが上手く、人を上手く操り最終的には彼女の思い通りに事が進む。
・自尊心の高さが態度に透けて見えるので、彼はあまり友だちがいない。
・時々、彼女の自尊心の高さがうらやましくなる。
・自尊心を傷つけられるので、彼女はSNSをやめた。
・温かい人たちに囲まれ、自尊心を満足させることができた。
・彼はあれほど能力があるのに自尊心が低い。
・彼の自尊心を傷つけるために、わざと嫌なことを言ってやった。
・グローバルに活躍するには、語学力だけでなく自尊心を高めることも大事だ。
・自尊心は少しずつ培われていくものである。
・日本人は世界的に見て自尊心が低い民族に分類されるだろう。
自尊心
自尊心とは、自らの価値を認める自己評価であり、自身を優れた存在・価値ある存在・意義ある存在であると位置づける気持ちのことである。または、自己の品格を貶めるような振る舞いを嫌悪する気持ちのことである。
自尊心という言葉は「自ら(を)尊ぶ心」とも読める。ちなみに英語では self‐esteem もしくは self‐respect という。あるいは pride も訳語として対応する。
一般的な文章表現の中では、自尊心は「自尊心が高い」「自尊心が許さない」といった言い回しで用いられることは多い。この両例における「自尊心」は「プライド」の語に置き換えられて用いられる場合も多々ある。
他人から貶されたり馬鹿にされたりした場合の「自分が否定された」という心理的動揺は「自尊心が傷つく」と表現できる。それによってまとわりついた自己否定の感情を払拭することをば「自尊心を取り戻す」と表現できる。
自尊心と似たような意味合いの表現として「自己肯定感」あるいは「プライド」などの語が挙げられる。自己肯定感もプライドも、おおむね自尊心と同義といえる。「自尊心」の語には「尊大である」という否定的ニュアンスが伴いがちであり、その否定的ニュアンスを避ける意味で「自己肯定感」や「プライド」などの表現が用いられる場合は少なくない。
自尊心の対義語にあたる言葉は、「自尊心」の対極に位置づけられるという意味では、「卑下」「卑屈」「劣等感」「自己否定」などが挙げられる。
直接的な「自尊心の対義語」と位置づけられる表現は見出しにくい。字の構成からいえば「自卑心」とか「自貶心」あるいは「自虐心」のような言い回しが考えられ得るが、そういった言い方があるわけではない、少なくとも一般的な国語表現とは認識されていない。同様に「他尊心」のような言い方もない。とはいえ「利己心」に対する語として「利他心」が用いられることがあるように、いずれ使われはじめ人口に膾炙するようになることも考えられなくはない。
じそん‐しん【自尊心】
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