黒岩涙香(くろいわ・るいこう)
本名黒岩周六。1962年(文久2)、土佐国安芸郡川北村生まれ。別名黒岩大。香骨居士など多数。
1882年(明15)、「東京興論新誌」で北海道開拓使長官だった黒田清隆を攻撃し、官吏侮辱罪で起訴。
1882年(明15)、「同盟改進新聞」を創刊。主筆となる。
1885年(明18)、「日本たいむす」主筆となる。
1886年(明19)、「絵入自由新聞」主筆となる。ノルマントン号事件で、公正な判決が得られなかった理由として、日本側通訳の誤りを指摘をして世に知られた。
1888年(明21)、「今日新聞」に英国ヒューコンウェイの「暗い日々」(1884年(明17))を「法庭の美人」の題で訳す。
1888年(明21)、ガボリオ、の「ルルージュ事件」を「人耶鬼耶」として「今日新聞」に訳す。
1889年(明22)、グリーンの「リーヴォンウォース事件」を「真っ暗」として「絵入自由新聞」に訳出。新聞上で犯人宛の投書を募った。
1889年(明22)、「都新聞」主筆となる。「絵入自由新聞」に連載16回まで訳していた「美人之獄」を丸亭素人に引き継ぐ。
1890年(明23)、ボアゴベの「囚人大佐」を「執念」として「都新聞」に訳す。
1892年(明25)、朝報社を興し、「万朝報」を発刊し、次々に翻訳を掲載。
1892年(明25)、ボアゴベの「サンマール氏の二羽のつぐみ」を「正史実歴鉄仮面」として「万朝報」に訳出。
1892年(明25)、コリンズの「月長石」を「我不知」として「都新聞」「万朝報」に訳出。
大好評を博し、丸亭素人、南陽外史、菊亭笑庸などの追随者を排出した。当時の文壇は硯友社の全盛期で、探偵小説に読者をとられた硯友社は春陽堂から匿名で探偵小説シリーズを刊行した。 1893年(明26)に刊行された泉鏡花の「活人形」はそのひとつ。
創作としては、1889年(明22)に小説館の「小説叢」に「無惨」を発表。「情供証拠誤判録」翻訳の第一判例を参考にしたものだった。これは1873年(明6)、アメリカで発行された“Famous Cases of Circumstantial Evidences”が高橋健三によって1881年(明14)に翻訳されたものである。
1891年(明24)、結社理想団を結成。
1893年(明26)に「万朝報」に連載した「白髪鬼」(原作はマリーコレリのヴェンデッタ)の翻案を江戸川乱歩が、1931年(昭6)に「富士」に再翻案し掲載。
1899年(明32)に「万朝報」に連載した「」(原作はAMウィリアムスンの灰色の女)を江戸川乱歩が、1937年(昭12)に「講談倶楽部」で翻案。
1918年(大7)に渡欧し、翌年帰国。
卓越した翻訳家、小説家であるに留まらない偉大なジャーナリストであり、哲学者、史学者、国士。「蝮の周六」の綽名を持つ。
1920年(大9)、肺腫瘍のため死去。
黒岩涙香と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
Weblioに収録されているすべての辞書から黒岩涙香を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から黒岩涙香 を検索
- 黒岩涙香のページへのリンク