「サロメ」ダンサーとは? わかりやすく解説

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「サロメ」ダンサー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 04:16 UTC 版)

モード・アラン」の記事における「「サロメ」ダンサー」の解説

彼女が「サロメ」という主題発見したのは、1906年のことであった19世紀末からの「サロメ」ブームヨーロッパ全土広がり芸術重要なテーマとして盛んに取り上げられていた。文学ではオスカー・ワイルド戯曲『サロメ』1891年初出)、絵画ではギュスターヴ・モローオーブリー・ビアズリーグスタフ・クリムトなど、音楽ではリヒャルト・シュトラウスオペラ『サロメ』1905年)などが知られるモードもこのブームとは無縁ではなかった。彼女とレミ直接「サロメ」触れたのは、1904年ライプツィヒ初演されワイルド戯曲マックス・ラインハルト演出といわれる2人はこの戯曲ベルリン鑑賞している。サロメその物語はダンステーマ向いていて、他にもロイ・フラー始めとする何人かのダンサーたちが舞台化取り組んでいた。 レミサロメ物語新たな解釈与えた。それはサロメモード実人生投影し、彼女自身悲劇踊り表現するというもので、洗礼者ヨハネ生首処刑されセオドア象徴でもあった。『サロメ幻影』(Vision of Salomé)は、レミ台本作曲によって1906年ウィーン初演された。しかし、作品創造大きな役割果たしたレミ初演のわずか10日前に死去している(自殺といわれる)。 『サロメ幻影』が大評判になったのは、ウィーン次にブダペスト行われた公演であったモードサロメ衣装自作したが、それは20世紀初頭としては露出度の高い大胆なもので、胸当てこそつけているものの手足、肩、腹部などをむき出しにしていたために「わいせつ」だとされた。すでにウィーンでの初演時から、彼女の衣装問題視されレオタード着用するように申し渡されていた。モード表現芸術的な効果理由として抵抗試みたものの、多少妥協余儀なくされた。それでも大胆な衣装について報道が、彼女の踊りへの興味宣伝効果引き出していた。 モードはミュンヘン・パリなどで公演続けたパリ公演では偶然にリヒャルト・シュトラウス自身指揮によるオペラ『サロメ』パリ初演同時期となり、そのこと話題になったチェコマリエンバードで、モードさらなる成功への機会得た1907年9月、彼女はその地を訪問していたイギリス国王エドワード7世の前で踊り披露したエドワード7世は彼女の踊る7つのヴェールの踊り気に入ってロンドン公演するようにと強く勧めた1908年モードロンドン進出してパレス・シアターで公演行った。彼女の宣伝はアルフレッド・バットという有能なインプレサリオ担当しセンセーショナルな惹句をもって売り出した当時宣伝パンフレットでは、モード踊りがかもし出すエロティシズム明白に表現されていた。 彼女の脚はすらりとして、感覚的なリズム刻んでいる。(中略)彼女の唇から燃え上り、彼女の赤い口の熱い炎へと燃え移る欲望は、空気情熱狂気によって冒している。(中略) ミス・アランは、彼女のすばらし肉体の罪の許し得ようとする欲望甘美な権化のである。 — 『モダンダンス歴史』pp.140-144。 当時ロンドンは、ヴィクトリア女王禁欲的な治世から解放された「エドワーディアンといわれる時代であったヴィクトリア女王長い治世第一次世界大戦間隙にあたるこの時代は、開放的かつ快楽的として知られるモードの踊る『サロメ幻影』はこの時流乗って空前ヒットとなり、イザドラ・ダンカンかなわないほどであったという。 同年モード新聞インタビュー答えて自分の踊るサロメは「やっと14,5歳」だと述べている。「死者の首をみだらに抱く幼い女性」というモード踊りスキャンダル引き起こし教会からの非難受けた上にマンチェスターでは公演禁止となった。それでもモード公演1年以上ロングランとなり、彼女にとって最高の成功となったこの年には『マイ・ライフ・アンド・ダンシング』という著書出版しイギリス国内1年足らずの間に250回の公演行っている。

※この「「サロメ」ダンサー」の解説は、「モード・アラン」の解説の一部です。
「「サロメ」ダンサー」を含む「モード・アラン」の記事については、「モード・アラン」の概要を参照ください。

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