「サラ系」の烙印
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 00:38 UTC 版)
「サラブレッド系種」の記事における「「サラ系」の烙印」の解説
「サラ系」の馬は、明治から昭和中期の頃はレースで強さを見せればさほど問題にはならなかった。これは、競馬開催の目的が、軍馬の改良を主に置いており、血統よりも強く、能力の高い馬こそが重要であり、馬匹改良に役立つと考えられていたからであるが、戦後を迎え、純粋に競馬を目的とした馬産に移行するにともない、サラブレッドにとって「強さより血統」の重要性が認識され、一方サラ系の馬は嫌われた。 牝馬はある程度の競走能力が認められ、仔出しが良ければ、牧場・生産者にとって大切な存在になったが、牡馬の場合は能力以前に種牡馬になると種付けをして生まれた仔が全てサラ系になってしまうため嫌われた。昭和以降ではサラ系で種牡馬として一応成功といえるの実績を残した馬はキタノダイオーなどごく一部で、キタノオー、ヒカルイマイといったダービーや天皇賞などに勝ったウマですら嫌われ、種牡馬としては全くと言っていいほどチャンスを与えられなかった。 結果として、サラ系の馬は消えていった。1970年代までは中央競馬でも条件戦では1レースに1頭くらいはサラ系の馬は見つけられたし、1980年代前半まではグランパズドリームなどクラシック路線に進むサラ系馬も少なくなかったのだが、1980年代以降はほとんど見られなくなっている。しかし実力主義の地方競馬ではサラ系馬も多く見られた。1990年代以降は1920年あたりまでに輸入されたサラ系牝馬から8代前後続けてサラブレッドを交配された時期に来ており、サラブレッドとして認められた牝系が増え始めている。2009年度に登録されているサラ系の繁殖牝馬は僅か6頭に過ぎない。21世紀を迎えた現在でも生き残っているサラ系馬は多くがミラとバウアーストツクの子孫である。 なお、JRAはヒカルイマイやランドプリンスの登場をきっかけに、ミラなどの「豪サラ」と通称されるサラ系の血統を調査するべくオーストラリアに職員を派遣したことがある。しかし、調査時点でも既に70年以上前の古い馬であるために調査も限界があり、結局つきとめられなかった。 また最近、アングロアラブ馬産の壊滅により用途が無くなったアングロアラブ牝馬を活かす、または牧場にとって由緒の深いアラブ系の血統を残すための手段として、アラブ血量が比較的薄い(30%以下)アングロアラブ牝馬にサラブレッド種牡馬を配合して産まれたサラ系馬(準サラ)が再び出現している。 例:トライバルジャパン この馬の場合、母のアラブ血量は26.91%とかなり薄く、サラブレッドを配合された本馬はアラブ血量13.46%のサラ系馬になる。血統の86%以上はサラブレッドだけに、ほぼサラブレッドと変わりない能力も期待しうる。
※この「「サラ系」の烙印」の解説は、「サラブレッド系種」の解説の一部です。
「「サラ系」の烙印」を含む「サラブレッド系種」の記事については、「サラブレッド系種」の概要を参照ください。
- 「サラ系」の烙印のページへのリンク