「アウトサイダー・アート」「アール・ブリュット」の日本への移入とは? わかりやすく解説

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「アウトサイダー・アート」「アール・ブリュット」の日本への移入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/15 00:30 UTC 版)

日本のアウトサイダー・アート」の記事における「「アウトサイダー・アート」「アール・ブリュット」の日本への移入」の解説

前述のように、日本では美術専門家からのアウトサイダー・アート全般に対す言及少なかったそのなかで1968年昭和43年)に、『芸術新潮』に寄稿した東野芳明の文は、「アール・ブリュット」の概念日本輸入した初期の例として注目される東野1965年パリで、「アール・ブリュット」(Art brut, 生の芸術の提唱者である画家ジャン・デュビュッフェ会い彼のコレクションアール・ブリュット・コレクション)を観覧している。しかし、以降東野自身のみならず美術分野での論述絶えてしまった。次には、1989年平成元年)から1992年平成4年)にわたって刊行され都築響一編著の『アート・ランダム』が、アウトサイダー・アートアール・ブリュット概念世に広がる前に取り上げた例として知られるまた、1991年平成3年)から2001年平成13年)にかけて、資生堂日本では先駆的に、小出由紀子企画で、年に一度ほどアウトサイダー・アート展を、所有するザ・ギンザアートスペース(2001年資生堂ギャラリー)にて催していたことも、特筆される日本で「アウトサイダー・アート」、「アール・ブリュット」が話題になりその名が知れ渡ったのは、1993年平成5年)のことである。1992年平成4年)にロサンゼルスロサンゼルス郡立美術館が「パラレル・ヴィジョン」展を企画開催した展覧会年明け1993年から、ソフィア王妃芸術センター(スペイン・マドリード)、バーゼル・クンストハレ(スイス・バーゼル=シュタット準州バーゼル)を巡回し日本では世田谷美術館東京都世田谷区)にやってきたのだった世田谷美術館は、同時に日本のアウトサイダー・アート」展を独自開催し、みずのき寮で生まれた作品展示した小笹逸男、福村大夫吉川敏明)。「パラレル・ヴィジョン」展は評判呼び以降ヘンリー・ダーガー中心にアウトサイダー・アートの名は知れ渡るうになる。 こうして、美術界からの働きかけ出てきたわけだが、1995年平成7年)には福祉分野の方でも、新たに大きな運動生まれた。エイブル・アート・ムーブメントである。運動の中心となっている財団法人たんぽぽの家エイブル・アート・ジャパン旧称日本障害者芸術文化協会)は、活発に展覧会開いたり、企業メセナ事業共同さまざまな障害者美術運動展開しひろがり見せている。日本の、特に――日本のアウトサイダー・アート主流担ってきた――知的障害者による美術制作援助活動は、それぞれ別々に行われてきたが、エイブル・アート・ムーブメントは、これらの連携取持つ役割担っている2004年平成16年)に、滋賀県近江八幡市に、ボーダレス・アートギャラリー NO-MA2007年平成19年)に、ボーダレス・アートミュージアム NO-MA改称)が開館したこの美術館は、世界でほとんどない健常者障害者作品分け隔てなく展示することを目的開設された。これまで日本ではアウトサイダー・アート常時展示する施設がほとんどなく、NO-MA は、その役割を担う存在として期待されている。昭和初期町屋改装した、オルタナティヴ・スペースとしても注目を集める2006年平成18年)からは、ボーダレス・アートミュージアム NO-MAアール・ブリュット・コレクションとの3年間にわたる連携事業開始された。2006年平成18年11月にはリュシエンヌ・ペリー館長始めとするアール・ブリュット・コレクションスタッフ来日しボーダレス・アートミュージアム NO-MA協力のもと、日本各地アウトサイダーアート調査行ったその結果ふまえて2008年平成20年1月から7月にかけて、旭川美術館ボーダレス・アートミュージアム NO-MA、そして松下電工汐留ミュージアムアール・ブリュット・コレクション収蔵作家作品日本アール・ブリュット作家作品同時に展示する展覧会、「アール・ブリュット 交差する魂展」が行われた。 一方2008年平成20年2月から2009年平成21年1月にかけて、アール・ブリュット・コレクションで「日本展」が行われた。この展覧会出品され小幡正雄澤田真一舛次崇宮間英次郎ら、日本作家作品会期終了後アール・ブリュット・コレクション作品収蔵されることになっている精神障害者アール・ブリュット作品については、はたよしこ蒐集した作品企画された「目覚めぬ夢――日韓アール・ブリュットたち」展(土屋正彦、山崎健一高橋重美木本博俊、周愛英)が催され大きくクローズアップされた。それまで閉鎖的と言われ精神科現場看護師協力得られる状況生まれてきている。

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