北海道コンサドーレ札幌 歴史

北海道コンサドーレ札幌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/28 22:45 UTC 版)

歴史

前身

移転経緯[10]
Jリーグブームの高まりを受け1993年10月に札幌青年会議所が中心となり、Jリーグチーム誘致に向けた誘致推進特別委員会を設置して署名活動を開始、1994年1月27日には誘致活動母体となる「札幌SJクラブ」を立ち上げ9月22日までに約31万人の署名を集めた。1995年3月25日には官民の代表を集めた「Jリーグ札幌ホームタウンチーム設立推進協議会」を設立、その後プロ化や実業団チームとしての存続に消極的だった東芝サッカー部に札幌への移転を提案し、同年7月に「札幌フットボール設立企画」を発足させる。1996年1月11日に東芝サッカー部の札幌移転を正式発表、2月8日に日本サッカー協会が移転を正式承認し、3月2日に新チーム名「コンサドーレ札幌」を発表。同年4月に運営会社「北海道フットボールクラブ」を設立した。

1996年 - 1997年(旧JFL)

1996年

「北海道からJリーグチームを」を合言葉に、ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へ参加。東芝時代から監督を務めていた高橋武夫が初代監督を務めた。V川崎からJリーグでの実績を持つブラジル人選手のアルシンドペレイラを獲得。元ウルグアイ代表経験のあるMFオテーロを獲得した他、第74回全国高等学校サッカー選手権大会の得点王となった初芝橋本高校吉原宏太が入団した。Jリーグから移籍してきたプロ選手と川合孝治を含む東芝サッカー部から出向してきた社員選手が混在する41人体制のチーム編成となった。

第1節福島FC戦で吉原宏太がクラブ第一号となるゴールを決めた。同年に獲得したFWアルシンドが第2節富士通川崎戦で審判への暴言で4試合の出場停止処分となり、更に第9節大塚製薬戦で一発退場を受けると、2日後に自らの申し出によって退団することになった。7月30日チェコの一部リーグからヨゼフ、ルボシュを獲得し入団。これにより外国人が6人となり外国人枠が5枠しか無かった為、ペルー国籍を持つ吉成大がペルーへ研修生として半年間派遣されることになった。その後、ペレイラが第20節本田技研戦で負傷退場し、守備の要が欠く形となり、チームは流れに乗れず第23節鳥栖戦と第24節東京ガス戦に連敗してしまいJリーグ昇格ができる2位以内が絶望となった。残り6試合をチームが意地を見せ5勝1敗と健闘した。初年度は20勝10敗の5位(全16チーム)の成績でJリーグ昇格できず終わった。

シーズン終了後、東芝社員選手の契約更新については、チームに残留する意思を示した社員選手は東芝を退社してプロ契約を結んだ。また、チーム得点王の8点をマークした川合孝治が戦力外通告を受け、1987年から1996年まで東芝サッカー部から務めていた高橋武夫監督が今シーズンを持って退任した。

1997年

ウルグアイ代表経験を持つウーゴ・フェルナンデスが監督に就任した。茶木裕司(仙台へ移籍)、平岡宏章新潟へ移籍)、加藤剛と木島敦と川合孝治と後藤静臣(大分へ移籍)、新明正広渡邉晋笠原恵太甲府へ移籍)、小池大樹と村田信行(熊本へ移籍)、白井淳市原へ移籍)、パベル、オテーロ、金鍾成ら1996年まで所属していた選手の多くが退団した。

新たに鳥栖から前身の東芝に在籍していたこともあるパナマ代表バルデスが復帰、福岡から世界的に有名なディエゴ・マラドーナの実弟であるウーゴ・マラドーナ磐田からハーフナー・ディド、大塚FCから古川毅田渕龍二C大阪から渡辺卓山橋貴史コスモ四日市から鳥居塚伸人、市原から新村泰彦ら数名を獲得し、新人では法政大学から赤池保幸、初芝橋本高校の大野貴史亜細亜大学から黄川田賢司ら数名が加入。

『チームはファミリー』を合言葉に、リーグ戦前に行われたナビスコカップ予選リーグでV川崎、G大阪横浜MのJリーグ勢を抑え、2勝3分1敗で1位通過し決勝トーナメントに進出を決めるなどの成績も残した。リーグ戦が開幕し、開幕から6連勝と快進撃を続け、5月25日の第7節川崎戦(厚別)では後半43分に1-3とされ後半44分から怒涛の攻撃を見せバルデスの2ゴールで3-3まで追いつき延長戦へ、最後はバルデスの延長Vゴールによって4-3で勝利した。9月4日の第20節に等々力で川崎と再び対戦し、後半31分に1-3からバルデスの2ゴールで3-3まで追いつき延長戦でバルデスが延長Vゴールを決めた。川崎戦の2試合とも1-3からの延長Vゴールで逆転勝利を収めてた。バルデスとマラドーナのホットラインなどの活躍もあり、10月22日の厚別競技場で行われた第28節大分戦で2-1で勝利して昇格と優勝を決めた。リーグの最終戦も勝利して26勝4敗(全16チーム)でホーム無敗の成績でJFL優勝、Jリーグ昇格を果たした。バルデスは40得点でリーグ得点王となり、この年に7回のハットトリックを成し遂げた。11月18日にJリーグの臨時理事会が東京で開かれ、Jリーグ正会員として正式に承認された。

1996年6月13日JFL第10節の鳥栖戦から1997年10月29日第30節ジャトコ戦までの2年間、厚別競技場でリーグ戦21勝0敗の成績を残し『厚別不敗神話』『厚別神話』という神話が生まれた[11][12]

1998年(Jリーグ)

戦いの場をJリーグに移したシーズン。フェルナンデス体制2年目。工藤英章(青森へ移籍)、中吉裕司(大分へ移籍)、小野甲介(新日鉄室蘭へ移籍)、石塚啓次(V川崎へ復帰)、新村泰彦(ジャトコへ移籍)、朝倉徳明ら数名が退団し、森敦彦冨樫剛一が引退した。

新戦力としてC大阪から深川友貴梶野智、G大阪から木山隆之から加藤竜二有馬賢二のJリーグ経験者を獲得、本田技研から村主博正バウテルらを獲得し、Jリーグで戦える戦力を補強した。

1stステージ開幕戦の清水戦ではいきなり1-4と大敗。第4節のG大阪戦でJリーグ加盟後初勝利をあげたが、第7節以降は毎試合2点以上失点し、磐田戦では中山雅史に4試合連続となるハットトリックを献上。1stステージ4勝13敗の16位に低迷。2ndステージは10月中旬の第11節の時点で5勝6敗と持ち直したが、フロントとの意見の不一致からフェルナンデス監督が解任された。後任に石井肇コーチが監督に就き第12節から指揮を執った。10月のシーズン中の補強でから棚田伸横浜Fから埜下荘司、東京ガスから関浩二を獲得。2ndステージの残りの試合は3勝3敗となり、2ndステージ8勝9敗の10位で、年間順位は12勝22敗の14位(全18チーム)となった。

1999年からJリーグが2部制に移行するため、Jリーグ下位4チームとJFL優勝チームによるJ1参入決定戦に参加した[注 1]。コンサドーレが勝利すればJ1参入が決まるという状況で神戸福岡にホームとアウェイともに敗れ4連敗を喫して、Jリーグ史上初のJ2リーグへの降格チームとなった。

1999年 - 2000年(J2)

1999年

「1年でのJ1復帰」を目指して1998年FIFAワールドカップ(フランス大会)日本代表監督として指揮を執っていた岡田武史を監督に招聘。1996年から1998年まで活躍したペレイラ、マラドーナ、バルデスと、渡辺卓(水戸へ移籍)、太田貴光(ジャトコへ移籍)、後藤義一と有馬賢二(横浜FCへ移籍)、バウテル(山形へ移籍)、鳥居塚伸人(図南SCへ移籍)らが退団。ディドと赤池保幸と木山隆之と浅沼達也と山橋貴史が引退した。

新たに平塚から名塚善寛鹿島から佐藤洋平池内友彦栗田泰次郎から加藤竜二横浜FMから桜井孝司ロナウジーニョの実兄アシスリカルジーニョ、クレーベルらを獲得。藤枝東高校から河村優と北海道札幌市出身の佐賀一平磐田東高校から藤ヶ谷陽介らが入団。

「1年でのJ1復帰」を目標として掲げていたが、第8節時点で3勝5敗と波に乗れずにいた。外国人の活躍が乏しくリカルジーニョとクレーベルの契約を解除し、代わりにビジュ、ジネイを獲得し第15節から出場した。第24節の時点で12勝6分6敗という成績だったが、第25節以降は負けが込み昇格争いに絡むことなく17勝6分13敗の5位(全10チーム)に終わった。

しかし、明るい兆しがあった。吉原宏太が第9節にハットトリックを記録し、チーム得点王となる15得点を取った。U-22オリンピック代表に選出、シドニーオリンピック代表の予備登録メンバーになった。更にはFW中山雅史が負傷離脱したためコパ・アメリカ(南米選手権)に追加招集された。

2000年

岡田体制2年目。吉原宏太(G大阪へ移籍)、栗田泰次郎(清水へ移籍)、アシスと棚田伸と関浩二ら数名が退団。期限付き移籍していた林晃平(G大阪)と井手口純(横浜FM)が移籍元へ復帰。埜下荘司と梶野智が引退。

一方、市原から 野々村芳和、G大阪から播戸竜二京都から大森健作FC東京からアウミール、V川崎から高木琢也、福岡から森秀昭、川崎から小松崎保伊藤優津樹、ブラジルのサンパウロFCからエメルソンらを獲得。初めて札幌の下部組織(札幌ユース)から遠国信也がトップ昇格、北海高校山瀬功治四日市中央工高校から中尾康二筑波大学から井上敦史らが入団した。

少ない予算でJ1昇格を狙うために、主力選手を期限付き移籍で集めてメンバーを固定して戦った。その結果、エメルソンを含む8人がレンタル選手というチーム編成だった[注 2]。J2を戦うための戦術を確立して、それを実行することができる選手を各ポジションに揃え、14連勝を含む17試合無敗(16勝1分)[注 3][13] を含む31勝5分4敗でJ2優勝(全11チーム)し、J1昇格が決まった。また、エメルソンが31得点でJ2得点王を獲得、山瀬功治と藤ヶ谷陽介がU-19日本代表に選出された。

2001年 - 2002年(J1)

2001年

創立5周年を迎えた2001年シーズン。岡田体制3年目。レンタルで獲得した選手、特にエメルソンを完全移籍で残留させるためにサポーターから増資を募り、3億円近くの資金を集めた。増資の最大の目的であったエメルソンは退団したが、大分ウィルをレンタルで獲得した。

開幕戦でC大阪、第2節で柏に連勝。一時は2位に付け、10勝5分15敗の11位(全16チーム)でJ1残留を果たした。ウィルが24得点で得点王を獲得した他、山瀬功治がJ1最優秀新人選手賞を受賞。この年も新人の今野泰幸が高卒1年目でレギュラーを獲得した。シーズン終了後に岡田が監督を退任した。同年完成した札幌ドームの集客効果も加わり、平均観客動員数は2万人を突破した。

2002年

監督に元日本代表の柱谷哲二が就任。ウィルが横浜FMへ、播戸竜二が神戸へ移籍。また、名塚善寛、野々村芳和が引退した。ウィルに替わるストライカーとして、ロシアサッカー・プレミアリーグFCスパルタク・モスクワからブラジル人ロブソン、東京Vから小倉隆史、G大阪から小島宏美らを獲得した。しかし、ロシアリーグ得点王(後にこの経歴は虚偽と判明)、UEFAチャンピオンズリーグ出場という肩書きをひっさげて鳴り物入りで加入したロブソンが全く振るわず、さらにワールドカップ開催による札幌ドームの利用制約からホームゲームすら遠隔地で開催せざるを得ないというスケジュールの厳しさもあり[注 4]、チームは開幕から黒星を重ねた。結局ロブソンは同年加入したマクサンドロと共に5月末に退団。6月に柱谷は監督を解任された。

後任の監督として リーガ・エスパニョーラレアル・オビエド」のチームコーディネータを務めていたラドミロ・イバンチェビッチを招聘し、また同じくユーゴスラビア(現セルビア)人バーヤック、ブラジル人ジャディウソンの2人の外国人選手をはじめ、日本人選手も次々と獲得して立て直しを図ったが、成績は上向かずにイバンチェビッチは9月に辞任した。後任に張外龍が就任したが、2ndステージ第11節の鹿島戦に敗れて、2度目のJ2降格が決定。シーズン通算で5勝1分24敗の最下位(全16チーム)に終わった。

2003年 - 2007年(J2)

2003年

チームスローガン:We Shall Return

1年でのJ1復帰を掲げ、監督に鹿島や名古屋で監督を務めたジョアン・カルロスを招聘。また横浜FMを退団したウィルが復帰し、ホベルッチベットという2人の元ブラジル代表選手を獲得した。一方、ジョアン・カルロスと確執のあった小倉が退団した他、山瀬功治が浦和へ移籍した。

シーズンに入り、ベットがホームシックで退団、ケガで療養中のウィルが深夜の繁華街で傷害事件を起こしそのまま退団、ホベルッチもジョアン・カルロスとの確執で退団と、外国人選手全員がシーズン半ばで退団した。その後ビタウ、元大分のアンドラジーニャ、元名古屋のウリダを獲得したが、第26節の新潟戦で大敗を喫しジョアン・カルロスが辞任。後任は再び張外龍となったが、昇格争いに絡めないまま13勝13分18敗の9位(全12チーム)でシーズンを終えた。

2004年

チームスローガン:全力蹴球

人件費等の経費圧縮により経営の黒字化を図り、若手主体のチーム編成とユースチームの強化を軸とする長期育成計画の「5段階計画」を立て、レンタル移籍や外国籍選手に頼らずにJ1で安定して戦えるチーム作りを目指す方針を制定。中心選手だった今野泰幸や高年俸のベテラン・外国籍選手が退団した一方、ユースから鈴木智樹蛯沢匠吾、高卒で上田常幸上里一将桑原剛、斉川雄介、大卒で河端和哉、鎌田安啓など新人選手8人、テスト生から入団した静岡FC清野智秋を獲得した。また、磐田元監督の柳下正明が監督に就任した。

開幕から第4節まで負けなしだったが、三原廣樹が怪我で戦線離脱したことや新居辰基中尾康二の不祥事による契約解除(解雇)といった事態が起こったため、シーズン途中で横浜FMから金子勇樹、神戸から西嶋弘之を獲得、前年に特別指定選手としてチームに加わっていた権東勇介と正式契約したが、勝利を度外視して若手育成にあてたメンバー構成のチームでなかなか勝ち点を重ねることが出来ず、5勝15分24敗でJ1経験チーム初のJ2最下位(全12チーム 当時は下位リーグとの降格制度はなかった)に終わった。天皇杯はJ1の市原、大分を破りベスト8に進出した。

2005年

チームスローガン:真っ攻勝負!

柳下体制2年目。GK藤ヶ谷陽介がG大阪へ移籍した一方、広島から林卓人中山元気、鹿島から池内友彦、磐田から高原寿康加賀健一を獲得し、大卒の徐暁飛、ユースの石井謙伍と野田達郎が入団した。

前年と同じく5位以内を目標に掲げてシーズンに臨んだが、堀井岳也、上里一将、西澤淳二らが負傷により長期離脱を余儀なくされたことによりチーム力が低下したものの、シーズン中盤に浦和から西谷正也水戸からデルリスを獲得。西谷は攻撃力の向上に大きく寄与した一方、得点力が期待されたデルリスはチーム戦術に合わず、満足な成績を挙げることができないまま2006年限りで退団した。チームは17勝12分15敗の6位(全12チーム)でシーズンを終え、当初目標としていた5位以内には入らなかったものの、第4クール後半までJ1昇格戦線に食い込む活躍を見せた。特に、DFの要として期待された池内はチームトップの11得点と2桁得点を挙げ、守備だけではなく攻撃でもチームに貢献した。

シーズン中にクラブ取締役が女子中学生買春容疑で逮捕されるという不祥事があった。3月、札幌市西区に選手寮「しまふく寮」が開設[14]

2006年

チームスローガン:

創立10周年を迎えた2006年シーズン。柳下体制3年目。川崎からフッキ千葉から芳賀博信山形から大塚真司川崎健太郎、水戸から関隆倫アルビレックス新潟シンガポールから野本安啓、名古屋からセバスティアンを獲得し、ユースから藤田征也西大伍が昇格した。

リーグ戦序盤はフッキの出場停止や大塚ら主力の怪我も影響し、10試合連続未勝利など成績は低迷した。中盤戦以降は状況は改善していったが、20勝12分16敗の6位(全13チーム)で終了した。しかし、第41節湘南戦、第42節徳島戦ではクラブ史上初の2試合連続6得点を挙げるなど、歯車が噛み合った試合では爆発的な攻撃力を発揮した。「走って繋いで撃ちまくれ それが札幌スタイル」という横断幕も登場し、3年間継続した攻撃的サッカーが根付いたシーズンとなった。天皇杯ではJ1の千葉、新潟、甲府を破り初のベスト4に進出。シーズン終了後に柳下が退任。

2007年

チームスローガン:Power to 1

大宮監督の三浦俊也が監督に就任。フッキが東京Vへ移籍、加賀健一が所属元に復帰したが、2006年に途中加入したGK佐藤優也を甲府から完全移籍で獲得。さらにC大阪からDFブルーノ・クアドロスECヴィトーリアからFWダヴィ・MFカウエ、大宮からGK高木貴弘、高卒ルーキーの岡本賢明岩沼俊介を獲得した。

堅守速攻を武器にリーグ序盤に7連勝を果たすなど順調に勝ち点を積み上げ、シーズン途中から首位に浮上。一時は2位に勝ち点差10以上をつける独走状態だったが、シーズン当初から連携強化の為に出場選手を固定してきたことによる主力選手の疲労の蓄積や、台風接近による試合順延で不運な日程を余儀なくされるなど、第3クールとなる8月後半頃から急激に失速、他チームに勝ち点差を詰められ熾烈な昇格争いに巻き込まれた。

この苦しい終盤戦に3年目の石井謙伍、2年目の西大伍、新人の岡本などの若い選手や横浜FCから途中移籍した鄭容臺が起用に応えて活躍し、第45節から48節まで4連勝を飾って首位を死守。最終節の水戸戦に勝利してJ1復帰を果たした。また、東京VがC大阪と引き分けたことでJ2優勝(27勝10分11敗)も決めた。

2008年(J1)

チームスローガン:Progress

三浦体制2年目。広島から吉弘充志を完全移籍で、神戸の坪内秀介、清水の平岡康裕、新潟のMFディビッドソン純マーカスをレンタル移籍で獲得、新人は室蘭大谷高校宮澤裕樹と柏U-18の堀田秀平が入団した。一方でブルーノ・クアドロスが退団。新加入した元柏のMFアルセウはキャンプ中に退団したが(その前日の親善試合で監督が指示した守備的なプレーに反発し、相手チームの選手に対する暴力行為で退場したことが発端)、新たにアトレチコPRから元名古屋のMFクライトンを獲得した。

リーグ戦は、中断期間突入時点で降格圏内の17位。FWアンデルソンや川崎から箕輪義信を獲得したが、10月19日の第29節柏戦に敗れて1年でのJ2降格、10月26日の川崎戦に敗れ、最下位が確定。12月6日の最終節で鹿島に敗れて目の前で優勝を決められた。年間順位は4勝6分24敗の最下位(全18チーム)となった。三浦は来シーズンも続投を要請されていたが、降格の責任としてシーズン終了後に辞任した。

2009年 - 2011年(J2)

2009年

チームスローガン:

大分や柏の元監督の石崎信弘が監督に就任。ダヴィが名古屋へ移籍、西澤淳二・池内友彦・西谷正也・アンデルソンなど10人以上の選手(レンタル選手も含む)が退団した。一方でチームの大黒柱でもあり、退団が噂されていたMFクライトンが残留、前シーズン途中に期限付きで加入した箕輪義信を完全移籍で獲得した。またダヴィの移籍に伴い、移籍先の名古屋から3億円近くの高額な移籍金が入った為、更なる補強を断行した。具体的には、スウェーデンユールゴーデンIFからFWキリノコロンビアインデペンディエンテ・メデジンからMFダニルソン、アジア枠で韓国浦項からDF趙晟桓(チョウ・ソンファン)と3人の新外国人選手を獲得。また、日本人では大宮からGK荒谷弘樹を獲得した。新人は沖縄大学から上原慎也が入団、曵地裕哉古田寛幸がユースから昇格した。7月、MFクライトンが以前から抱えていた怪我が悪化。残りのシーズンに出場出来ないと判断され退団、代わりにハファエルが加入した。さらに、シーズン途中には柏の石川直樹をレンタル移籍で獲得した。

若手中心の布陣のため連勝・連敗の浮き沈みが激しかった。勝ち切れない試合も多く(J2最多の16引分)、年間順位21勝16分14敗の6位(全18チーム)で終了した。

2010年

チームスローガン:「MOVE」 -より速く、より正確に、よりタフに-

石崎体制2年目。西大伍が新潟へ、ダニルソンが名古屋へレンタル移籍、曽田雄志が現役を引退した一方、6チームとの競合を制して磐田から中山雅史を獲得。FC東京から藤山竜仁近藤祐介愛媛から内村圭宏、広島から李漢宰を獲得した。シーズン途中に清水の高木純平をレンタル移籍で獲得した。

開幕に躓き、5・6月は無敗も5分と勝ち点を伸ばせず、7月以降は怪我人が出るなど1年を通して昇格争いに加わることもなく、年間順位11勝13分12敗の13位(全19チーム)で終了した。終盤は怪我による離脱者が多く、ベンチ入り可能な18人のメンバーを埋められない試合もあった。

2011年

チームスローガン:Challenge for Smile

創立15周年を迎えた2011年シーズン。石崎体制3年目。6年半在籍した西嶋弘之が徳島へ、ユース時代から在籍していた藤田征也とキャプテンを務めた石川直樹が新潟へ、佐藤優也が北九州へ、吉弘充志が愛媛へ、堀田秀平が新潟シンガポールへ、李漢宰が岐阜へ、新潟にレンタル移籍していた西大伍が鹿島へ完全移籍した。また、藤山竜仁が引退、箕輪義信が退団するなどし、多くの選手がチームを去った。一方、新潟から高木貴弘、C大阪から山下達也鳥栖から日高拓磨、横浜FMから河合竜二を獲得、レンタル移籍だった高木純平は完全移籍となり、三上陽輔がユースから昇格し、室蘭大谷高校の櫛引一紀が入団した。外国人ではチアゴ(元京都)、ユニバーシアード韓国代表イ・ホスン、ブラジルのクラブからブルーノ、元徳島のアンドレジーニョを獲得した。なお、また、砂川誠は2010年シーズン後に退団したが、2011年シーズン前に再契約した。また、キャンプに練習生として参加していた西村卓朗と契約を締結した。

シーズン中に、アンドレジーニョがAリーグパース・グローリーFCへ移籍、チアゴが退団するも、浦項スティーラースから岡山一成、ブラジルのクラブからジオゴレモスが加入した。

J2開幕戦の愛媛戦に敗れ、東日本大震災の影響による1ヶ月半の中断期間を挟んだ後のホーム開幕戦となる湘南戦にも敗れるなど第11節(4試合目)時点で18位と低迷したが、7月から9月まで10勝3分2敗の成績で9月21日に3位へ浮上。徳島と勝ち点で並んだ第38節、札幌ドームに歴代2位となる観客数39,243人を記録したFC東京戦に勝利。21勝5分12敗の3位(全20チーム)となり、4年ぶりにJ1復帰を果たした。

2012年(J1)

チームスローガン:「We Go On」 -ただ、ひたすらに-

石崎体制4年目。山下達也がC大阪に、2年間レンタル移籍していたダニルソンが名古屋に、ブルーノがグアラニFCに、ジオゴが徳島にそれぞれ完全移籍、レモスは契約満了により退団、西村卓朗が引退、上里一将が徳島にレンタル移籍した。一方で、鹿島から杉山哲、広島から髙柳一誠、大分から前田俊介、清水から山本真希、新潟から大島秀夫、FC東京からオーストラリア代表ジェイド・ノースを完全移籍で、ジュニーニョをレンタル移籍で獲得。前年に大邱FCにレンタル移籍していたキリノが復帰。さらにユースからシーズン終盤に活躍した奈良竜樹をはじめ、荒野拓馬小山内貴哉前貴之榊翔太がトップへ昇格した。なお、湘南から完全移籍の松尾直人FC大阪へ移籍した。

なお、室蘭市入江運動公園陸上競技場函館市千代台公園陸上競技場Jリーグクラブライセンス制度のスタジアム基準を満たさなかったため、初めて全ホームゲームを札幌で開催した[15]

リーグ戦は第2節から7連敗。第9節のC大阪戦で初勝利を挙げたが、第10節から9連敗を喫した。7月、全北現代モータースより金載桓(キム ジェファン)をレンタル(それに伴い李昊乗の選手登録を抹消[16])、ナウチコからハモンフォス・ド・イグアスFCからテレを完全移籍で獲得。一方でキリノが湘南へ完全移籍、横野純貴が金沢へレンタル移籍し、ジュニーニョと契約解除した。その後も成績は伸びないどころか逆に敗退を重ね、これで負けてしまえば自力での挽回が不可能という状態となった9月29日の第27節の川崎戦でも惨敗。これによってJ2降格が完全に決定(9月中の降格決定はJリーグ史上初、7試合を残しての降格決定は史上最速)。年間順位は4勝2分28敗の勝点14で最下位(全18チーム)。連勝は無く、年間28敗、総失点88、得失点差-63、アウェー13連敗はいずれもJ1ワースト記録。勝点14はJ1がリーグ戦18チーム年間34試合制となって以降最低タイの記録である[注 5]。シーズン終了後、石崎は監督を退任した。

2013年 - 2016年(J2)

2013年

チームスローガン:北海道とともに、世界へ

監督に札幌のユース及びトップチームコーチを務めた室蘭市出身の財前恵一が就任。財前はチーム初のOB、北海道出身者の監督となった。また、3月に札幌OBの野々村芳和が北海道フットボールクラブの代表取締役社長に就任。強化費が前年の推定5億円から推定2億5000万程度に減額されるのを受けて本来なら契約延長を行いたい主力級の選手にも契約満了後他チームへの移籍を容認せざるを得ない状況に追い込まれた。中山雅史、元主将の芳賀博信が引退、高原寿康及び高木純平(共に清水へ移籍)、岡山一成(奈良クラブへ移籍)、高木貴弘(岐阜へ移籍)、山本真希(川崎へ移籍)、髙柳一誠(神戸へ移籍)、大島秀夫(北九州へ移籍)が契約満了に伴い退団、金載桓がレンタル終了で全北現代へ復帰、ハモンがブラジルクラブに、ジェイド・ノースがブリスベン・ロアーFCに、近藤祐介が栃木SCに、岩沼俊介松本山雅に完全移籍した。

一方、讃岐から趙成眞(チョ ソンジン)を完全移籍で、ブラジルのクラブからパウロンをレンタル移籍、2年間FC東京・徳島にレンタル移籍していた上里一将、金沢にレンタル移籍していた横野純貴が復帰、また、東洋大学で札幌ユースU-18出身の松本怜大が入団、前年度にJユースカップで全カテゴリを通じて初の全国優勝を達成したユースから中原彰吾永坂勇人堀米悠斗神田夢実阿波加俊太深井一希の6人がトップへ昇格した。3月にタイコーンケンFCとクラブ間提携パートナーシップを結び、シーズン中に中原、永坂がコーンケンFCへレンタル移籍した。シーズン中にはテレが規律違反で退団(その後町田へ移籍)したが、2014シーズンの加入が内定している阪南大学工藤光輝特別指定選手で登録。7月、練習生として参加していたフェホベトナム代表レ・コン・ビンをレンタル移籍で獲得(それに伴い李昊乗の選手登録を抹消。契約は継続。)。

開幕戦で2006年以来の勝利を収めたが、第2節から3連敗し第4節終了時点で21位まで落ちる。その後は大きな連敗はないものの大きな連勝もないという一進一退の展開が続き、第2節から第24節までは2桁順位が続く。第25節で開幕戦以来の1桁順位となる9位に浮上した後は、第29節で11位、第36、38節で10位になった以外1桁順位を維持し、第39節からシーズン初の3連勝を達成したことにより、最終節に勝利すれば得失点差と他の対戦カードの関係で自力でのプレーオフ進出が決まるところまで迫ったが、最終節の北九州戦で引き分けたためプレーオフ出場は成らなかった。なお、最終成績は20勝4分18敗の8位(全22チーム)。天皇杯は4回戦で甲府に敗北した。

2014年

チームスローガン:北海道とともに、世界へ

財前体制2年目。曵地裕哉(愛媛へ移籍)、三上陽輔(富山へ移籍)が退団、岡本賢明が熊本へ、フェホが中国北京八喜足球倶楽部へ、趙成眞が韓国水原三星へ完全移籍、横野純貴がタイのコーンケンFCへ、堀米悠斗が福島へ、神田夢実と阿波加俊太が相模原へレンタル移籍、レ・コン・ビンがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。

一方、愛媛から5年ぶりに復帰になる石井謙伍、長崎から金山隼樹、栃木から菊岡拓朗、川崎から薗田淳、神戸から都倉賢、韓国の慶南FCから丁成勳(チョン ソンフン)オランダ2部アルメレ・シティFCからステファノを完全移籍で、ブラジルのクラブからヘナンをレンタル移籍で獲得、中原彰吾、永坂勇人がレンタル移籍から復帰、昨シーズン特別指定選手で登録していた工藤光輝、北海道教育大学上原拓郎が加入、ユースから前寛之内山裕貴がトップへ昇格した。

シーズン中には、1月に仮契約していた小野伸二オーストラリアAリーグウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCから完全移籍で加入、李昊乗の負傷離脱に伴い相模原へレンタル移籍していた阿波加俊太が育成型レンタル移籍契約を解除し復帰した。また、前貴之が富山、古田寛幸が讃岐へレンタル移籍した。

開幕戦で前年J2降格の磐田にアウェーで勝利するも下位に低迷。一時は17位まで順位を落とし、第24節から第28節までの間5戦連続で勝利がなかったことや、途中加入の都倉賢の起用に消極的であったことから、8月28日に成績不振を理由に財前監督を解任し、新監督にかつて愛媛で監督をしていたイヴィッツァ・バルバリッチが就任した。なお来日の関係で指揮を振るうのが第31節の岐阜戦からのため、第29・30節はコーチの名塚善寛が監督代行として指揮することになった[注 6]。監督交代後は、都倉が積極的に起用されるようになり、都倉もバルバリッチの期待に応える活躍を見せた。また、3バックを使用するようになった。監督交代後4勝2敗5分の成績を残したが、最終的には15勝14分13敗の10位(全22チーム)の成績に終わりプレーオフ進出を逃したものの、チームの状況を立て直した手腕を高く評価してバルバリッチの続投が決まった。天皇杯は2回戦で清水に敗北した。また、女子サッカーチームとして「北海道リラ・コンサドーレ」を創設し、宗像訓子が初代監督に就任した。

2015年

チームスローガン:北海道とともに、世界へ

バルバリッチ体制2年目。日高拓磨(富山へ移籍)、前年タイリーグにレンタル移籍していた横野純貴(福島へ移籍)、松本怜大(町田へ移籍)、上原拓郎(熊本へ移籍)、丁成勳、ステファノ(インドネシア・スーパーリーグのペルシジャ・ジャカルタへ移籍)が契約満了、ヘナンがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。またイ・ホスンが湘南へ完全移籍、奈良竜樹がFC東京へ、工藤光輝が相模原(7月からは盛岡)、内山裕貴がシンガポールSリーグホウガン・ユナイテッドFCへレンタル移籍した。シーズン中には、小山内貴哉が長野、砂川誠が岐阜へレンタル移籍した。

一方、川崎から元日本代表の稲本潤一、岐阜から前年J2得点4位のナザリト、甲府からインドネシア代表イルファン、C大阪から韓国U-21代表のク・ソンユン(具聖潤)を完全移籍で、川崎から福森晃斗、ブラジルのアヴァイFCから前年東京Vに所属していたニウドをレンタル移籍で獲得、古田寛幸・前寛之・前貴之・堀米悠斗・神田夢実がレンタル移籍から復帰、ユースから進藤亮佑がトップへ昇格した。

開幕戦で勝利し、5月には都倉が6得点でJ2月間MVPを獲得する活躍などがありチームも好調。前半21試合でアウェー戦負けなしのプレーオフ圏内の6位で折り返した。ところが後半戦に入ると3連敗するなど第19節から7試合勝利がなく、7月24日にバルバリッチ監督を解任してU-18監督の四方田修平が就任したが、新監督就任直後から4試合連続無得点、前監督時代から含めて12戦連続勝利なしなどチームは勝ちきれず、最終的には14勝15分13敗の10位(全22チーム)でシーズンを終えた。天皇杯は3回戦で鳥栖に敗北した。

2016年

チームスローガン:北海道とともに、世界へ

創立20周年を迎えた2016年シーズン。運営会社名を株式会社北海道フットボールクラブから株式会社コンサドーレへ、チーム名をコンサドーレ札幌から北海道コンサドーレ札幌へ(但し公式記録などの略称については従前に同じ)、ホームタウンを札幌市から札幌市を中心とする北海道へ変更[7]。 また、リージョナルマーケティング及びF-Powerと共同事業契約を結び、「株式会社エゾデン」を設立。小売電気事業者として電気事業に参入した[17]。また、博報堂DYメディアパートナーズと7年にわたってクラブビジネス戦略パートナー契約を締結した[18]

四方田体制2年目。前年に岐阜へレンタル移籍していた砂川誠が引退、古田寛幸(金沢へ移籍)、前田俊介(鳥取へ移籍)、薗田淳(熊本へ移籍)、菊岡拓朗(相模原へ移籍)、ナザリトが契約満了、二ウドがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。また、FC東京にレンタル移籍していた奈良竜樹が川崎へ完全移籍、長野にレンタル移籍していた小山内貴哉とパウロンが福島へレンタル移籍した。

一方、神戸から増川隆洋、ブラジルのECバイーアからヘイスマセードオペラリオ・フェロヴィアリオECからジュリーニョを完全移籍で獲得。さらに、阿波加俊太と内山裕貴がレンタル移籍先から復帰した。またシーズン途中には鳥栖から菊地直哉が期限付き移籍で加入した。

開幕5戦で3勝1分1敗といいスタートを切ると、5月3日の第11節で首位に立った[注 7]。試合では先制した後に無失点に抑える1-0での勝利(ウノゼロ勝利が11試合)、5年ぶりの函館開催となった第21節横浜FC戦や第25節岐阜戦のような5点を取っての勝利など、攻守がかみ合い好調をキープし、ホームでは開幕から18試合無敗(16勝2分)で昨年から続いていた無敗記録がJ2タイ記録の23試合まで伸ばした。しかし、終盤に差し掛かり第37節東京Vにホームで敗戦し、ホーム無敗のJ2新記録を逃してからの4試合を1勝3敗で昇格へ足踏みが続いた。サポーター3000人以上がアウェーに駆け付けた第41節千葉戦で劇的な逆転勝利。引き分け以上でJ1昇格とJ2優勝が決まる最終節のホーム金沢戦で引き分けて、25勝10分7敗の1位(全22チーム)となり、J2最多記録となる9年ぶり3回目のJ2優勝と、5年ぶり5回目[注 8] のJ1昇格が決まった。天皇杯は2回戦で岡山に敗北した。

2017年 - (J1)

2017年

チームスローガン:北海道とともに、世界へ (シーズンスローガン:WE LOVE A CHALLENGE)

四方田体制3年目。11年間在籍していた上里一将(熊本へ移籍)をはじめ、神田夢実(愛媛へ移籍)、内山裕貴(鳥取へ移籍)、イルファン(バリ・ユナイテッドへ移籍)、盛岡へ期限付き移籍していた工藤光輝(引退)が契約満了、前貴之が山口、櫛引一紀が名古屋、中原彰吾がG大阪、福島へレンタル移籍していたパウロンが水戸へレンタル移籍、堀米悠斗が新潟、小山内貴哉がレンタル移籍先の福島へ完全移籍した。また、シーズン途中には阿波加俊太が育成型期限付き移籍で愛媛へ、永坂勇人が水戸へレンタル移籍した。

一方で、仙台からキム・ミンテ金園英学、鳥栖から早坂良太、神戸から田中雄大、横浜FMから兵藤慎剛を完全移籍で、大宮から横山知伸をレンタル移籍で獲得。レンタル移籍だった福森晃斗は完全移籍となり、菊地直哉はレンタル移籍期間が延長され、U-18から前年2種登録選手で出場していた菅大輝濱大耀が昇格した。またシーズン中には、2016年12月に仮契約していた[19]タイ代表チャナティップ・ソングラシンタイ・リーグムアントン・ユナイテッドFCからレンタル移籍で、仙台から6年半ぶりの復帰となる石川直樹を完全移籍で獲得。また昨年まで磐田でプレーしていたジェイが加入した(それに伴い外国籍枠の関係で負傷で長期離脱が決まっていたジュリーニョの選手登録を抹消)。

開幕5戦を1勝1分3敗の勝ち点4と2005年以降のJ1昇格チームがJ1残留している勝ち点5に届かず、第11~16節には6連敗するなど前半は残留圏ぎりぎりの15位で折り返した。後半初戦となる第18節大宮戦では0-2から福森がJ1史上7人目となるFKでの2得点で同点とし、第24節仙台戦・第25節磐田戦に勝利して16年ぶりのJ1で連勝した。その後夏以降に加入したチャナティップ、ジェイ、石川直樹らがかみ合うと10月以降も第29節柏戦・第30節FC東京戦でも連勝、第32節清水戦に勝利して2001年以来16年ぶりとなるJ1残留を決めた。その後も16年ぶりとなる3連勝で締めくくり12勝7分15敗の11位(全18チーム)で終了した。5年ぶりの出場となったルヴァンカップはプレーオフステージでC大阪に敗退、天皇杯は2回戦で福島県代表のいわきFCに敗れ、初戦敗退となった。

2018年

チームスローガン:北海道とともに、世界へ (シーズンスローガン:冒険コンサドーレ)

監督に約11年に亘って広島と浦和で指揮し、2017年J1第19節の札幌戦翌日に浦和を解任となったミハイロ・ペトロヴィッチが就任[20]。前年まで監督を務めていた四方田修平は監督を退任し、ヘッドコーチに就任した。増川隆洋(京都へ移籍)、石井謙伍(タイのサムットサーコーンFCへ移籍)、マセード(ブラジルのCAブラガンチーノへ移籍)が契約満了、杉山哲が東京ユナイテッドFC、金山隼樹が岡山、上原慎也が愛媛、前貴之が前年レンタル移籍先の山口、櫛引一紀が前年レンタル移籍先の名古屋に完全移籍した。また、前寛之が水戸、金園英学が甲府、前年G大阪にレンタル移籍していた中原が長崎へレンタル移籍した。

一方で、愛媛から白井康介、広島から宮吉拓実を完全移籍で、川崎から三好康児、浦和から駒井善成、京都から菅野孝憲をレンタル移籍で獲得。レンタル移籍だった菊地直哉と横山知伸は完全移籍となり、U-18から前年2種登録選手でカップ戦に出場していた藤村怜が昇格、レンタル移籍だった阿波加俊太、昨シーズン途中でケガにより登録抹消されていたジュリーニョが再登録された。

シーズン開始前の、2018年2月8日と2月10日の2日間、アロハスタジアムで開催された「パシフィックリムカップ2018」に出場し、優勝した。[21]

シーズン中には横山知伸が熊本、ジュリーニョが山口へレンタル移籍、ヘイスは契約解除(のちに新潟へ移籍)した。

フォーメーションは前年までと同じ[3-4-2-1]だが、攻撃時にはボランチの一人が下がり左右のCBがサイドに広がってSBのようになり、両WBが高い位置を取ることで5トップの形になる[4-1-5]、また守備時には両WBが最終ラインまで下がって5バックの形になる[5-4-1]で、いわゆる「ミシャ式」と呼ばれる可変システムを採用した。また左右CBの福森と進藤の攻撃力を生かすために、攻撃時に両ボランチを1列下げて中央CBと3CBを形成し、左右CBを1列上げる[5-0-5]システムを採用することもあった。前年までのしっかり守ってロングボールなどで長身FWにあてる形を時折織り交ぜつつ、GKを含めた最終ラインからボールをしっかりつないでいくスタイルをキャンプから繰り返し練習してシーズンを迎えた。

序盤は連携面でのミスが重なりカップ戦を含む公式戦5試合で1勝4敗11失点と結果が出せなかったが、第4節に前年J1昇格をした長崎戦にシーズン初勝利すると第14節のFC東京戦までクラブ最長記録となる11試合負け無し(7勝4分)で第12節終了時には3位に浮上、ロシアワールドカップによるJ1リーグ戦中断前を5位で終えた。再開後も第23節FC東京戦は0-2から逆転で3-2にするなど好調を維持し、第25節までの3試合を3連勝で9月の中断期間に入った。中断期間中の9月6日に北海道胆振東部地震が発生して北海道全域がブラックアウトとなるなど大きな被害を受け、選手やスタッフは自宅待機となるなど練習やコンデションに影響を及ぼした[22][23]。再開後の第26節の川崎戦では0-7と大敗し次節の鹿島戦にも負けて連敗したが、第30節まで暫定4位から7位の間を推移し台風の影響で延期していた第18節の振替試合[24] に勝利してクラブ初となる2年連続J1残留を決めた。第33節の磐田戦に勝利して勝ち点54とすると最終第34節は勝ち点56で2位の広島と直接対決となり、勝利すれば2位となる可能性のあるホームに34,250人が集まる中、試合は前半21分までに2点をリードしながらも後半に同点に追いつかれそのまま引き分けた。その結果、AFCチャンピオンズリーグ2019の出場権は獲得できなかったが、15勝10分9敗の4位(全18チーム)とクラブ史上J1最高成績で終え、大躍進のシーズンとなった。なお、ルヴァンカップは予選敗退、天皇杯はベスト16だった。

シーズン終了後の2018Jリーグアウォーズにおいて、チャナティップがベストイレブン[25]、ペトロヴィッチが優秀監督賞(J1)に選出された[26]

2019年

チームスローガン:北海道とともに、世界へ (シーズンスローガン:ミシャ、第2章。)

ペトロヴィッチ体制2年目。9年間在籍していた内村圭宏(FC今治へ移籍)や8年間在籍していた河合竜二(引退)をはじめ、田中雄大(秋田へ移籍)、菊地直哉(福岡へ移籍)、稲本潤一(相模原へ移籍)、熊本へレンタル移籍していた横山知伸(9月に岐阜へ移籍)、山口へレンタル移籍していたジュリーニョ、水戸へレンタル移籍していた永坂勇人(7月に北海道リーグ十勝へ移籍)が契約満了、三好康児がレンタル移籍期間満了に伴い退団(その後横浜FMへレンタル移籍)、都倉賢がC大阪、宮吉拓実が京都、兵藤慎剛が仙台へ完全移籍、前寛之が前年レンタル移籍先の水戸、金園英学が前年レンタル移籍先の甲府に完全移籍した。

一方で、京都から岩崎悠人、長崎から鈴木武蔵、仙台から中野嘉大FCソウルから元広島のアンデルソン・ロペスを完全移籍で、ECヴィトーリアからルーカス・フェルナンデスをレンタルで獲得。U-18から前年2種登録選手でカップ戦に出場していた中村桐耶が昇格、直前の高校サッカー選手権で優勝した青森山田高校から檀崎竜孔が加入。菅野孝憲はレンタル移籍期間が延長され、2年間G大阪と長崎へレンタル移籍していた中原彰吾が復帰、レンタル移籍で加入していたチャナティップ、駒井善成が完全移籍となった。

シーズン中には2020シーズンの加入が内定している日本大学金子拓郎と札幌ユース出身で筑波大学の高嶺朋樹大阪体育大学田中駿汰を特別指定選手で登録した。小野伸二が琉球に、中原彰吾が仙台に完全移籍、中村桐耶がHonda FCに育成型期限付き移籍した。

シーズン序盤では第2節アウェー浦和戦に完勝し、第3節ではロペスの4得点の活躍などで13シーズン振りにホーム開幕戦に勝利した。その後失点が多く3連敗したが、第7節にキム・ミンテを中央CBに入れてから守備が安定してクラブ初のJ1リーグ4連勝を記録するなど前半を6位で終えた。同時期にクラブの選手が各国代表に選出されるようになった。3月には鈴木がクラブ20年ぶりに日本代表に選出されると、菅はユース出身で初となるコパ・アメリカに臨む東京五輪世代中心で構成された日本代表に選出された。また、進藤も11月の国際親善試合での日本代表に選出された。韓国代表のクソンユン、タイ代表のチャナティップ、日本代表の鈴木はFIFAワールドカップ・アジア2次予選に定期的に選出されるようになると、J1リーグ戦・ルヴァン杯・代表戦で過密日程となり、シーズン後半は1度も連勝できずに最終的に13勝7分14敗の10位(全18チーム)で終了した。天皇杯は2回戦敗退となった。

シーズン終了後のEAFF E-1サッカー選手権2019の日本代表に鈴木と菅と特別指定選手の田中が選出され、鈴木は中国戦、菅は香港戦で代表初ゴールを記録した。

初のルヴァンカップ決勝
2019年YBCルヴァンカップ決勝戦

ルヴァンカップではJ2に降格した長崎、前年のファイナリスト(優勝した湘南、準優勝の横浜FM)が同居するグループAを1位で突破。プレーオフの磐田戦はロペスの3得点などの活躍で2戦合計4-2(アウェー:第1戦2-1、ホーム:第2戦2-1)で1997年以来21年ぶりに決勝トーナメント(プライムステージ)に進出。準々決勝の広島戦でもアンデルソン・ロペスの3得点の活躍や福森の直接FKなど2戦合計4-3(ホーム:第1戦3-2、アウェー:第2戦1-1)で準決勝に進出。準決勝は直前のリーグ戦と合わせて10日間で3連戦となるG大阪が相手。直前のリーグ戦で0-5と大敗した同地でのアウェー第1戦は、先制点を許したが後半42分にCKからキム・ミンテが同点ゴール。終了間際に失点して1-2で敗れはしたが、貴重なアウェーゴールを獲得した。ホーム第2戦はJリーグ杯でのクラブ史上最多となる15996人の観客動員を記録する中、後半31分の鈴木のゴールを守りきり1-0で勝利。2戦合計2-2もアウェーゴール数の差で公式戦初となる決勝に進出した。

決勝はJ1リーグ戦でこれまで1度も勝利をした事がない川崎と対戦。前日の関東地方の悪天候の影響で当日の飛行機が一部欠航する中、北海道から会場となる埼玉スタジアム2002まで別の移動手段を急遽手配して何とか辿り着いたり、行けなくなったサポーターも多くいた。それでもゴール裏を埋め尽くす程の多くのサポーターが駆けつけて48119人の観客動員を記録。試合は前半10分に右WBの白井からのクロスを左WBに入った菅のボレーシュートで先制するも、その後は川崎が徐々に押し返す展開となりアディショナルタイムに左CKから阿部浩之に押し込まれて1-1で前半を終了した。後半も川崎に主導権を握られ、後半43分に小林悠に決められて1-2となるも、後半アディショナルタイムのラストプレーで福森の右CKに深井が頭で得点し同点に追いつき試合は延長戦に突入した。延長前半4分にピッチ中央付近から個人技で中央突破を図ったチャナティップに対して川崎の谷口彰悟が後ろから倒してファールの判定。一度はイエローカードを提示されたが、ビデオ・アシスタント・レフェリー (VAR)が介入しオンフィールドレビューとなった結果、「決定的な得点の機会の阻止」と判断されてレッドカードが提示され退場となった。さらに、このファウルで得たフリーキックを10月21日のトレーニング中に負傷して左腓腹筋の肉離れで欠場した宮澤に代わってキャプテンを務めた福森が直接ゴールし勝ち越しに成功。しかし延長後半4分に再び小林に決められ3-3のまま120分でも決着つかずにPK戦となった。PK戦では4人全員(ジェイと替わって途中出場のロペス、鈴木、深井、白井と替わって途中出場のフェルナンデス)が成功したのに対して川崎は4番手の車屋紳太郎が失敗し、5人目を終えて3-2。福森との交代で出場した5番手の石川が決めれば初優勝となる(聖杯が津軽海峡を超える)状況で新井章太に横っ飛びでセーブされてサドンデスに突入。川崎は6番手の長谷川竜也が決めた一方、決めて7人目に持ち込まなければならない6番手の進藤が新井に立て続けにセーブされて試合終了。川崎を退場で10人に追い込み、尚且つPK戦でも先に失敗したのは川崎だったにも関わらず準優勝という結果となり、ペトロヴィッチは史上初めて3クラブを跨いで[27] のJリーグカップ準優勝監督となった。

2020年

チームスローガン:北海道とともに、世界へ (シーズンスローガン:乗り越えろ ~ BEYOND THE LIMITS)

ペトロヴィッチ体制3年目。岩崎悠人が湘南にレンタル移籍した。またシーズン途中には鈴木武蔵がベルギーKベールスホトVAに完全移籍、檀崎竜孔がオーストラリアAリーグのブリスベン・ロアーFCにレンタル移籍した。

一方で、前年までレンタル移籍だった菅野孝憲とルーカス・フェルナンデスを完全移籍で、ブラジルのルヴェルデンセECからドゥグラス・オリベイラ、ベルギーのOHルーヴェンからタイ代表のカウィン・タンマサッチャーナンをレンタルで獲得した。また、前年特別指定選手の金子拓郎、高嶺朋樹、田中駿汰が加入、2021シーズンの加入が内定している法政大学の中野小次郎明治大学小柏剛国見高校中島大嘉を特別指定選手で登録した。またシーズン途中にはポルトガルジル・ヴィセンテFCを退団したウーゴ・ヴィエイラが加入した。

新型コロナウイルス感染拡大で2月26日(ルヴァン杯第2節)から7月4日まで長期にわたって公式戦が中断となった。4月6日には大幅な収益減を余儀なくされるクラブに対して、外国籍選手を含めた28人の全所属選手が年俸の一部を返納することを申し出た[28]。また5月29日に、6年間在籍したク・ソンユンが兵役義務のため当初の予定よりも早く韓国へ帰国することを決め、韓国の大邱FCへの完全移籍が発表された[29]。また新型コロナウイルスを受けてブラジルに一時帰国していたアンデルソン・ロペスは、出入国制限のためにJ1再開までに日本への入国が認められなかったが、7月に入国許可が下り2週間の隔離措置を取った上でチームに合流し[30]、8月5日のルヴァンカップ第2節広島戦での試合復帰した。

感染予防の観点から近隣クラブとの対戦を優先的に実施するJリーグの方針[31] により飛行機移動の繰り返しを避けるため、6月22日から約1カ月間にわたり千葉県にあるサッカー日本代表の新拠点である高円宮記念JFA夢フィールドを日本サッカー協会の協力で提供され[注 9]、アウェイ4連戦(開幕戦を含めると5連戦)となった。

中断明け後の第4節鹿島戦では敵地でリーグ初勝利を飾るなどアウェイ4連戦を2勝2分の負けなしとして、7月下旬にホーム開幕戦を迎えた。同時期に当時チーム得点王の鈴木武蔵が移籍し、アンデルソン・ロペスも帰国後の隔離措置でコンデションが上がらない中、第7節の横浜FM戦で初めて「ゼロトップ」の役割の荒野を最前線に入れると、豊富な運動量で前線から中盤までの広い範囲で守備に貢献。局面での優位性を保つ事で相手の特徴であるパスワークをうまく封じこみ3-1と勝利した。また「オールコートマンツーマンデイフェンス」で1対1でボールを奪ってショートカウンターから得点する戦術で挑んでいった。しかし、前線から激しいプレスによる体力の消耗の激しさやコロナ禍による試合間隔の短さによるコンディションの調整や戦術の落とし込みが出来ず、第10節川崎戦で6失点を始め、その後の3試合でも4失点を喫すなど守備が崩壊。8-9月の13試合を1勝2分10敗(31失点)と大きく負け越した。10月になると主力選手のコンデションが上がり戦術の理解度も深まっていき、第23節では鹿島相手に初となるシーズンダブルとなる勝利した。第26節では12連勝中で圧倒的な強さで首位に立つ川崎にアウェイで再び荒野を最前線に置く「ゼロトップ」かつ「オールコートマンツーマンデイフェンス」で挑んだ。川崎の得意なパスワークを封じて主導権を握り幾度もチャンスを作り出すと、高い位置でボールを奪ってショートカウンターで2得点。終盤でも菅野が好セーブを連発して終始相手を圧倒する試合で完勝。川崎にリーグ戦で初めての勝ち点3をアウェイの地でつかんだ。その後も第34節浦和戦もシュート20本で2-0で完勝するなど攻守両面において完成度高い試合も出る一方、チャンスは多いけれどもなかなか決め切れない試合も多くあり、最終的に10勝9分15敗の12位(全18チーム)で終了した。天皇杯はコロナの影響でリーグ戦上位2チームのみの参加となったため未出場となった。

2021年

チームスローガン:北海道とともに、世界へ (シーズンスローガン:仕掛けろ ~ NO CHALLENGE, NO CHANGE.)

ペトロヴィッチ体制4年目。石川直樹と早坂良太が引退、ウーゴ・ヴィエイラが契約満了、カウィンが期限付き移籍期間満了に伴い退団、進藤亮佑がC大阪に完全移籍、前年湘南にレンタル移籍していた岩崎悠人が千葉(8月に鳥栖へ移籍)、白井康介が京都、濱大耀が富山、藤村怜が山形、シーズン途中で中野嘉大が鳥栖、7月までAリーグのブリスベンにレンタル移籍していた檀崎竜孔が千葉、キムミンテが名古屋にレンタル移籍した。

一方で、群馬から岡村大八、新潟から大谷幸輝、FC東京から柳貴博、名古屋から青木亮太モロッコウィダード・カサブランカからガブリエル・オケチュク(8月に福島へレンタル移籍)、琉球から1年半ぶりの復帰となる小野伸二を完全移籍で獲得した。また、Honda FCにレンタル移籍していた中村桐耶が復帰、前年特別指定選手の中野小次郎、小柏剛、中島大嘉が加入した。また2022シーズンの加入が内定している立正大学田中宏武を特別指定選手で登録した。またシーズン途中には、ベルギーOHルーヴェンからミラン・トゥチッチが完全移籍で加入、札幌U-18の西野奨太がクラブ史上初となる高校在学中でのトップチーム昇格[32] となった。

開幕前にペトロヴィッチ監督が母国で怪我で手術[33]、杉浦大輔コーチ兼通訳が病気で手術[34]、ジェイが母国で新型コロナウイルス感染症PCR検査を受けて陽性判定[35]、新加入のガブリエルが2020年1月に2度目となる緊急事態宣言による検疫の強化に伴い同宣言が解除されるまでの期間入国制限[36] となり、キャンプの合流に遅れる事となった。

9年ぶりとなる第1節でのホーム開幕戦の横浜FC戦は5-1と勝利するも、第6節神戸戦では3-0から4失点での逆転負けなどシーズン序盤では苦しんだ。その中でゴールを量産していたアンデルソン・ロペスが6月に移籍したが、第18節大分戦で金子が2得点、第23節浦和戦から第25節大分戦で小柏が3試合連続得点するなど若手が躍動し、4チームが降格する厳しいレギュレーションの中で残留争いすること無く残留を決めた。最終的には14勝9分15敗の10位(全20チーム)で終了した。ルヴァン杯はベスト8、天皇杯は3回戦敗退となった。

シーズン終了後には小柏剛が日本代表に選出された。

2022年

チームスローガン:北海道とともに、世界へ (シーズンスローガン:突き進め Our Legacy,Our Future.)

1月11日付けの取締役会において、代表取締役社長・CEOの野々村芳和が代表取締役会長に就任、後任の社長・CEOは置かずにゼネラルマネージャーの三上大勝が代表取締役GMに就任した[37]。野々村は3月15日に行われた公益社団法人日本プロサッカーリーグ理事会で第六代Jリーグチェアマンに就任し[38]、同日クラブの会長職を退任した。また、4月27日には株式会社CREATIVE OFFICE CUE取締役会長でコンサドーレオフィシャルサポーターでもある鈴井貴之が社外取締役に就任した。

ペトロヴィッチ体制5年目。ジェイと福島にレンタル移籍していたガブリエル・オケチュクが契約満了、白井康介が前年レンタル移籍先の京都、中野嘉大が前年レンタル移籍先の鳥栖、前年名古屋にレンタル移籍していたキムミンテが鹿島に完全移籍した。また、チャナティップが国内移籍における移籍金としては過去最高と思われる金額提示を受けて川崎に完全移籍した。また、ヘッドコーチであり前チーム監督であった四方田修平が横浜FC監督に就任するためチームを離れた。またシーズン中に柳貴博が福岡にレンタル移籍(7月に福岡にて選手契約解除)した。

一方で、浦和から興梠慎三がレンタル移籍、名古屋からガブリエル・シャビエルを完全移籍で獲得した。また、千葉にレンタル移籍していた檀崎竜孔(7月に再びAリーグのブリスベンにレンタル移籍)、山形にレンタル移籍していた藤村怜が復帰、前年特別指定選手の田中宏武、札幌ユース出身で筑波大学の井川空が加入した。さらに浦和を契約満了となり沖縄キャンプに練習生として参加していた西大伍が完全移籍で13年ぶりに復帰した。またシーズン途中には、タイのブリーラム・ユナイテッドFCからスパチョークがレンタル移籍、京都からユース出身の松原修平、韓国の水原三星からキム・ゴンヒが完全移籍で加入した。

開幕節から6試合連続引き分けでスタート。その後も主力に怪我人が続いてベストが組めずに守備が崩れて大量失点で負ける試合が多くなり、8月までJ1残留圏ギリギリの順位が続いた。声出し応援が解禁され始めた9月以降は怪我人も戻り始め、第28節5位のC大阪戦は後半ATでの逆転勝利、第30節アウェーでの首位横浜FM戦は引き分け、第31節厚別での2位川崎戦でも点の取り合いの上後半ATに逆転とし4-3で勝利するなど、ラスト8試合を5勝2分1敗(上位チームにも3勝1分)として6年連続J1残留となる11勝12分11敗の10位(全18チーム)で終了した。ルヴァン杯はベスト8、天皇杯は3回戦敗退となった。

2023年

チームスローガン:北海道とともに、世界へ (シーズンスローガン:共に勝利を、わかち合おう Fight together, Win together.)

ペトロヴィッチ体制6年目。レンタル移籍満了に伴い興梠慎三が退団(浦和に復帰)。ガブリエル・シャビエル、Aリーグのブリスベンにレンタル移籍していた檀崎竜孔(スコティッシュ・プレミアシップマザーウェルFCに移籍)、濱大耀(サッカースクールのコーチに就任)が契約満了で退団、高嶺朋樹が柏、岩崎悠人が前年レンタル移籍先の鳥栖、藤村怜が岩手に完全移籍した。また中野小次郎が金沢、井川空が岡山、ドゥグラス・オリベイラが盛岡にレンタル移籍した。またシーズン中には中島が名古屋、金子がクロアチアNKディナモ・ザグレブ、田中宏武が藤枝、西大伍が盛岡にレンタル移籍した。

一方で、広島から浅野雄也、神戸から小林祐希、東京Vから馬場晴也、レンタル移籍で加入していたスパチョークを完全移籍で獲得。ク・ソンユンが2020年以来の復帰(同年7月に京都へレンタル移籍)、順天堂大学大森真吾が加入した。また、2024シーズンの加入が内定している福岡大学岡田大和、2025年シーズン加入内定の大阪体育大学の木戸柊摩を特別指定選手で登録した。またシーズン途中には、大分から高木駿が完全移籍で加入した。

前半は点の取り合いとなる試合が多く、失点数はワースト3位となる32失点も加入した浅野を始め金子や小柏などがゴールを量産して、得点数リーグ1位の38得点を記録し7勝5分5敗の8位で折り返した。後半も失点は改善されずに29失点する一方で、右サイドで攻撃の柱になっていた金子が海外移籍した戦力を埋められず18得点に留まり、3勝5分9敗と前半の半分の勝ち点しか取れずに苦しい結果となった。それでも7年連続J1残留となる10勝10分14敗の12位(全18チーム)で終了した。ルヴァン杯はベスト8、天皇杯はベスト16となった。

またこの年で引退発表をしていた小野伸二が第34節浦和戦に11年ぶりのJ1先発出場をした。前半22分の交代時には両チームの選手が歩み寄り、場内からスタンディングオベーションが送られた。

2024年

ペトロヴィッチ体制7年目。小野伸二が引退、ルーカス(C大阪に完全移籍)、大谷(北九州に完全移籍)、ミランが契約満了、小柏がFC東京、田中駿汰がC大阪、松原が水戸に完全移籍した。ク・ソンユンが前年レンタル先の京都、井川が前年レンタル先の岡山、西が前年レンタル先の盛岡に完全移籍した。また福森が横浜FCに、前年名古屋にレンタル移籍の中島が藤枝にレンタル移籍した。

一方で、横浜FCから長谷川竜也近藤友喜、G大阪から高尾瑠、いわきから家泉怜依、鈴鹿から2021年まで札幌に在籍していた阿波加を完全移籍で加入、G大阪から2020年まで在籍していた鈴木がレンタル移籍で加入。金沢にレンタル移籍していた中野と藤枝にレンタル移籍していた田中宏武が復帰。明治大学の田中克幸と前年特別指定の岡田が新加入、札幌U-18から前年2種登録選手の出間思努が昇格した。


注釈

  1. ^ 参加対象は1997-98年のJリーグ2シーズン通算の順位ポイントによるものだったが、1997年シーズンは下部リーグJFLにいた札幌には1998年1シーズンのみの順位ポイントしか計算されなかった。
  2. ^ 佐藤洋平、森秀昭、大森健作、ビジュ、アウミール、伊藤優津樹、エメルソン、播戸竜二
  3. ^ 当時は引き分けを挟んでも連勝記録として認定されていたため、J2記録となる16連勝として記録されていた。
  4. ^ ワールドカップによる中断前のリーグ戦は4月20日の第7節までで終了だったため、札幌厚別公園競技場も利用できず、中断前のホームゲーム3試合は高知、室蘭、函館での開催だった。札幌市でホームゲームを開催したのは4月30日、厚別でのヤマザキナビスコカップ第2節、その次はリーグ再開後の7月24日1stステージ第10節、札幌ドームにおける同年初の公式戦ホームゲーム開催であった。
  5. ^ 2013年大分2014年徳島。いずれも勝ち点14の最下位で降格。
  6. ^ 名塚は本来Jリーグの監督をするのに必要なS級ライセンスを保持はしていないが、新監督が決まっていることもあり特例で監督代行になった。
  7. ^ 第12節アウェー熊本戦は4月に起きた熊本地震の影響で試合延期。そのため第12節で3位に落ちたが続く第13節で再び首位となった
  8. ^ 1997年の旧JFLから当時1部制のJリーグへの昇格の1回を含む
  9. ^ 2020年4月7日に開所式を予定していたが、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため開場が延期され、日本代表よりも先に札幌が利用することとなった。
  10. ^ 例えばAFCチャンピオンズリーグ2019の場合、予選が2月に組まれており、コンサドーレが進出する可能性のあった日本第3代表ならびに第4代表は2月19日にホームゲームを行うものとされていた。
  11. ^ 第26節のレノファ山口戦からロゴ入りユニフォーム着用。
  12. ^ 高円宮杯U-18サッカーリーグ チャンピオンシップ準優勝
  13. ^ a b c 2020年の北海道女子サッカーリーグは、皇后杯予選を兼ねるノックアウトトーナメントとして実施された[120]。皇后杯の出場権を得ていた札幌大学ヴィスタが出場を辞退したため、予選で次点のチームとして皇后杯に出場することとなった[121]

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