カウエ・サントス・ダ・マッタ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/01 02:05 UTC 版)
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 本名 | カウエ・サントス・ダ・マッタ | |||||
| カタカナ | カウエ | |||||
| ラテン文字 | CAUE Santos da Mata | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | |
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| 生年月日 | 1986年5月1日(38歳) | |||||
| 出身地 | バイーア州サルヴァドール | |||||
| 身長 | 178cm | |||||
| 体重 | 72kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
カウエ(Caue Santos da Mata、1986年5月1日 - )はブラジル出身のサッカー選手。ポジションはMFで、主にボランチを務める。
来歴
ユース時代はセンターバックとして活躍していたが、身長が伸び悩んだこともありボランチへ転向。U-17ブラジル代表に選出されるなど活躍し、2003年にECヴィトーリアに入団。2006年にはキャプテンを務めチームをまとめた。また、サッカー選手として活動しながら大学にも通い理学療法を学ぶなど、学業とサッカーを両立させた。
2007年にコンサドーレ札幌へ期限付き移籍。当初は2007年7月31日までの契約であったが、これまでの活躍が認められ2008年1月31日まで契約が更新された。しかし後半戦、ケガで離脱すると復帰後も出場機会が減少し、J1の選手枠の関係で2008年以降の契約は結ばれないこととなってしまった。
2008年はUSL1部・マイアミFC・ブルースに所属した。
人物
- ポルトガル語の他に英語、フランス語、スペイン語を習得している。札幌入団後は誰よりも熱心に日本語と日本文化の習得に励み、周囲が驚くほどのペースでそれらを習得。日本語も理髪店で1人で髪型を注文できるほどであるという。
- 座右の銘は「元気があれば何でも出来る」で、色紙にもカタカナで「ゲンキガアレバナンデモデキル」と書いている。
所属クラブ
- 1998年 - 2007年
ECヴィトーリア
- 2008年
マイアミFC・ブルース - 2009年
ECイピタンガ・ダ・バイーア - 2010年
ECサン・ジョゼ - 2011年
ポルト・アレグレFC
個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2003 | ヴィトーリア | ||||||||||
| 2004 | |||||||||||
| 2005 | |||||||||||
| 2006 | |||||||||||
| 日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2007 | 札幌 | 17 | J2 | 32 | 2 | - | 1 | 0 | 33 | 2 | |
| 北中米 | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2008 | マイアミ | USL | - | ||||||||
| 通算 | ブラジル | ||||||||||
| 日本 | J2 | 32 | 2 | - | 1 | 0 | 33 | 2 | |||
| 総通算 | |||||||||||
タイトル
- コンサドーレ札幌
代表歴
- 2002年 ブラジルU-17代表
関連項目
外部リンク
- カウエ・サントス・ダ・マッタ - FootballDatabase.eu (英語)
- カウエ・サントス・ダ・マッタ - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- カウエ・サントス・ダ・マッタ - J.League Data Siteによる選手データ
- 北海道日刊スポーツ記事 (2007年1月28日)
- 北海道新聞記事 (2007年2月2日)
- 報知北海道記事 (2007年2月7日)
- カウエ・サントス・ダ・マッタのページへのリンク