ちゅう‐しゃく【注釈/×註釈】
注釈
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注釈(註釈[注 1]、ちゅうしゃく、英: annotation)または注解(註解、ちゅうかい)とは、文章や専門用語について補足・説明・解説するための文書や語句。
注釈
出典
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注釈(出版)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 00:41 UTC 版)
^ 現在、「機上の死」と改題し、グーテンベルク21が電子書籍化している。
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注釈(ゲーム)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 09:00 UTC 版)
「かわいい女 (チャンドラーの小説)」の記事における「注釈(ゲーム)」の解説
^ 創元推理文庫『かわいい女』巻末企画の「文庫データ・ボックス」 "濱中利信 コンピューター・ゲーム「かわいい女」"より。 表 話 編 歴 レイモンド・チャンドラーRaymond Chandler 作品 長編小説大いなる眠り | さらば愛しき女よ | 高い窓 | 湖中の女 | かわいい女 | 長いお別れ | プレイバック | プードル・スプリングス物語 映画脚本深夜の告白 | 愛のあけぼの | 青い戦慄 | 見知らぬ乗客 関連 登場人物フィリップ・マーロウ この項目は、文学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJライトノベル)。項目が小説家・作家の場合には {{Writer-stub}} を、文学作品以外の本・雑誌の場合には {{Book-stub}} を貼り付けてください。
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注釈(付随する伝承)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:37 UTC 版)
^ 八郎太郎は八之太郎、八郎というものがある、出生地については青森県では中津軽郡目屋沢(『新撰陸奥国誌』(天正年間、1573年-1592年))、黒石市山形(『津軽口碑集』(昭和4年、1929年))、北津軽郡相内村(『津軽俗説集』(寛政年間))、岩手県では和賀郡の鬼柳県(現金ケ崎町駒ケ岳の南南西の山中にある八郎沼(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯39度10分28.55秒 東経140度54分43.53秒 / 北緯39.1745972度 東経140.9120917度 / 39.1745972; 140.9120917)という沼に最初住んでいたとする『邦内郷村志』(明和寛政年間、1764年-1801年))、北岩手郡寺田村(太田只雄『岩手の伝説』)。岩手県田山では日泥集落にいた与太郎、三郎、八郎の三兄弟が大多利沢に出かけて八郎がヤマメを一人で食べ大蛇になったとする(『だんぶり』、八幡秀男、だんぶり社、1984年、p.44、『夏氷山の伝説』)。秋田県では鹿角郡大湯村草木(菅江真澄『十曲湖』(1807年))、山形県では西田川郡温海町越沢(戸川安章『羽前の伝説』(1975年))などがある。 ^ 八郎潟北西岸に祀られている妻は三種町芦崎(あしざき 姥を足の先で蹴り上げたための命名とも言われる)の姥御前神社の祭神、夫は八郎潟町三倉鼻の「夫殿の岩窟」(おとどののいわや)の祭神である。夫殿の岩窟は現在国道7号線からも見ることができる大きな岩穴で、大昔ここが海岸だった時代の波の穴と言われている。また、縄文時代には住居としても使われている。また、芦崎地区では夫婦別れの原因となった鶏を不吉なものとして忌み嫌い、他の地区に行っても卵も食べない人が多かったが、敗戦のショックからその風習も廃れていったという。芦崎の地名は八郎太郎の「足の先」から名付けられたとも言われる。八郎潟が作られた日時は大同2年二月二十四日とされ、鷹巣盆地の日時と矛盾するが、水神系の祭日が二月二十四日に多く、大同2年は天台宗の慈覚大師伝承や坂上田村麻呂伝承によく使われる年号で、「物事の起きた年」という意味合いであるとする人もいる。(「東北復興」2013年9月16日 第16号、2面) ^ 八郎太郎には、男鹿半島の一の目潟の女神に惚れ、一の目潟に棲もうとした伝説もある。しかし男鹿真山神社の神職で弓の名人であった、武内弥五郎に片目を射られ撤退したという(『辰子姫と八郎太郎 伝説の田沢湖』、1965年、p.20-22)。また、一ノ目潟の龍女に八郎太郎は通っていたが、龍女は我が家が八郎に奪われることを恐れ、北浦の社家紀真康に八郎を射殺して欲しいと頼んだ。真康の射た矢は投げ返され、彼の左目を潰した。そのためこの家の主人は以後7代まで片目で、また湖を舟で渡ることは禁忌であった。しかし、この時の約束でこの家から一ノ目潟に雨を請えば必ず験しがあったという。真康の家は紀丹後正と称し、代々真山の赤神神社の社家であった。(『絹篩』巻3、『秋田風土記』北浦村の条、『雨の神―信仰と伝説』p.242)という話もある。赤神神社や真山神社は古くは天台宗であったが、赤神神社は1391年に真山神社も南北朝時代に真言宗に変わっている。 ^ 後に八郎太郎が辰子と暮らすようになった時、噂を聞きつけた南祖坊が再び八郎太郎へ戦いを挑んだ際、辰子がクニマスを南祖坊へ投げつけ、松明に戻ったクニマスにより南祖坊が火傷を負い、撤退した話が伝わっている。また、八郎太郎が、田沢湖の辰子姫のもとへ通ったとき、湖に落としてしまった松明がクニマスになったという話もある。(『上小阿仁の民俗』、東洋大学民俗研究会、1979年、p.435) ^ 辰子と田沢湖に暮らす以前から、八郎潟が冬になると凍ってしまう事から凍る事の無い一の目潟の女神に一緒に住むことを申し込むがかなわず、渡り鳥から自分と同じく竜となってしまった辰子の存在を知り、辰子に求愛する民話もある(『秋田民話集』、1966年、p.23-25)。 ^ 秋田県仙北市の潟尻集落の神明堂では、毎年夜を徹した宴会を開く。これは、八郎太郎が湖に飛び込む音を聞くと死ぬため、聞かないようにするためという(『羽後の伝説』、1976年、p.49-50)。 ^ 大日堂の社内浮島神社の前にある沼で、伝説では昔は大蛇が住んでいて、参詣の人たちがこの沼に銭を紙に包んで投げ入れ吉凶を占っていた。八郎太郎の伝説はこの沼から始まるという。(『東舘村勢要覧 昭和28年度』、東舘村、1953年、p.52)
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注釈(Commentary)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 22:44 UTC 版)
「リョマル」の記事における「注釈(Commentary)」の解説
^ 日付は初披露日もしくは初公開日。 ^ この他にも共作された曲がある。詳細は「CoverGirls」を参照 ^ 当日の生誕祭でのみ演奏された。 ^ a b 和泉スズへの提供曲 ^ 当日会場限定発売。 ^ 同時期に録音されたと思われるstarryという楽曲のdemoが翌年YasUのsoundcloudにupされた。 ^ a b M3発売DLカード、のちにカラクリコネクションの通販サイトでも販売。 ^ a b リョマルの通販サイトにて販売。
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注釈(登場人物)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 16:47 UTC 版)
「わたるがぴゅん!」の記事における「注釈(登場人物)」の解説
^ 職員室にハブを30匹ばら撒く、校舎の一部をクレーンで破壊、等 ^ スパイク置き、ヘルメット飛ばし、砂かけなど ^ 現実の野球では、ワンバウンドしたボールがストライクと判定されることはまず無い ^ 例:わわ私は、どどど土門です ^ 25打数22安打。あとの3本は運悪く野手の正面をついてしまった。 ^ 3本の指で番傘を回しその上でボールを転がす。最終的には重いボウリングの球にテグスを結び、もう一端にガムテープをつけて対馬小路の前髪に貼った状態で転がす。失敗すると対馬小路の前髪に貼ったガムテープがはがれて前髪が抜けてしまう。この特訓で対馬小路の前髪が大量に抜け4本になってしまった。
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注釈(映画化)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 02:53 UTC 版)
^ 映画のタイトルには原作と違って"The"がつかない。 ^ 尾崎一男 (2019年3月9日). “全編一人称視点の異色作『ハードコア』誕生の背景”. 洋画専門チャンネル ザ・シネマ. 2021年7月10日閲覧。
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注釈(人物解説)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 15:05 UTC 版)
^ 名古屋の素封家である伊藤家第14代当主、元貴族院議員。 ^ 豊橋電気取締役、のち名古屋電灯取締役。 ^ 諱は重慶。明治銀行頭取。1908年(明治41年)より名古屋電気鉄道取締役社長、旧・名古屋鉄道発足時に同社初代社長就任。 ^ 航空機部品および精密兵器の製造メーカーである愛知時計電機社長、1936年(昭和11年)より名古屋市商工会議所会頭。 ^ 諱は金重郎。紅葉屋財閥の指導者で、名古屋財界において主流派とされる「九日会」に属す。1923年(大正12年)より旧・名古屋鉄道監査役、のち名岐鉄道取締役・現名古屋鉄道副社長を歴任し、1945年(昭和20年)現・名古屋鉄道の2代目取締役社長就任。 ^ 鉄道省在ロンドン事務官・名古屋鉄道管理局長などを歴任、1936年(昭和11年)11月より現・名古屋鉄道専務取締役。後年同じく国鉄名古屋鉄道管理局長を務め、東海旅客鉄道(JR東海)の初代社長となった須田寬とは同音異字の別人である。 ^ 岡谷合資創設者、1936年(昭和11年)まで名古屋商工会議所会頭。
※この「注釈(人物解説)」の解説は、「愛知電気鉄道」の解説の一部です。
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注釈(出版)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 23:46 UTC 版)
^ 現在、「エッジウェア卿の死」と改題し、グーテンベルク21が電子書籍化している。 ^ 米題より。改版する前は、著者名は「クリスチィ」表記。 ^ 「すりかえられた顔」は「なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?」、「金の小箱のなぞ」が「エッジウェア卿の死」の翻訳。
※この「注釈(出版)」の解説は、「エッジウェア卿の死」の解説の一部です。
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注釈(日本語訳版)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 00:58 UTC 版)
「ABC殺人事件」の記事における「注釈(日本語訳版)」の解説
^ 著者名は「アガサ・クリスチィ」表記、アクロイド殺害事件(大久保康雄訳同時収録)。 ^ 著者名は「クリスチー」表記、「アクロイド殺害事件」(原百代=訳)、「ポアロ捜査ノート(『西洋の星』の事件、マースドン荘の悲劇、エジプト墓地の冒険、首相誘拐事件)」(堀内英子=訳)同時収録。 ^ 現在、グーテンベルク21が電子書籍化している。 ^ 伊藤整等=編、著者名は「クリスティ」表記、他にアンブラー「あるスパイの墓碑銘」(田村隆一=訳)、ジェームズ・M・ケイン「郵便配達は二度ベルをならす」(中田耕治=訳)、同「スープのなかの蠅」(中村真一郎=訳)同時収録。 ^ 数藤康雄=編、従来講談社文庫で発行されていたものの合本。「スタイルズ荘の怪事件」、「ゴルフ場殺人事件」、「アクロイド殺害事件」、「青列車の謎」、「オリエント急行殺人事件」、「ABC殺人事件」(アクロイドのみ原百代、それ以外は久万嘉寿恵の翻訳)を収録。
※この「注釈(日本語訳版)」の解説は、「ABC殺人事件」の解説の一部です。
「注釈(日本語訳版)」を含む「ABC殺人事件」の記事については、「ABC殺人事件」の概要を参照ください。
注釈
「注釈」の例文・使い方・用例・文例
- 主要な参考文献に注釈をつける
- それは、本の中の10個目の注釈に書かれている。
- 注釈:カードによる支払い額の1.5パーセント分を自動的に追加し請求します。
- 私はその文書に注釈をつける。
- この情報は注釈ではなく本文で扱うべきだ。
- 10ページの注釈を見なさい。
- 注釈.
- 彼は、彼の先生が書いたものに注釈をつけた
- 音楽の、あるいは振付け法のように、注釈をいれる
- 知覚しないまたは注釈しない
- 説明的な注釈を加える、または批判的なコメントをつける
- 学者は、有名な小説の早版に注釈をつけた
- これは注釈の『様々な』に分類される
- 注釈、文字構成または辞書見出し語の対象を示す見出し
- ユダヤ教のタルムードの後半部分で、前半のミシュナの注釈
- 古典注釈者(古代的、または、古典的な文学の解説者)によって書かれた傍注
- 彼はその提案に関するさらに詳しい注釈を書いた
- ユダヤ人の解釈の方法に基づき、聖書の原文に添付されるユダヤ教聖典の一部に対する古代の注釈
- 彼の注釈はその記事の末尾に追加された
- 印刷されたページのテキストの下に置かれる注釈
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