中田耕治とは? わかりやすく解説

中田耕治(なかた・こうじ)

1927年(昭2)、東京生まれ明治大学英文科青年座演出をつとめる。「近代文学」「制作同人
1961年(昭36)、「危険な女」を刊行
1964年(昭39)、「近代文学」に掲載したボルジア家人々」で第5回近代文学賞受賞
スピレイン「裁くのは俺だ」、レヴィン死の接吻」などの翻訳がある。



中田耕治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/24 05:38 UTC 版)

中田 耕治(なかだ こうじ、1927年11月5日 - 2021年11月26日)は、日本の評論家小説家翻訳家演出家


注釈

  1. ^ たとえばヘンリー・ケイン作「ドライ・ジンと殺人と」(1961年9月号)では原文の「And then Miss Edith Wilde and Mr. Peter Chambers were all alone.」を「かくて、ミス・イーディス・ワイルドとミスタ・ピーター・チェンバースが二人だけが残った。ワルいねえ。」と訳した。最後の「ワルいねえ」は原文にはない語句。
  2. ^ 紺野俊秋は『日本ミステリー事典』(新潮選書)で「スピレインらのパルプ・アクションの翻訳で培った呼吸が、タフな主人公造形やキレのいい散文、苛烈な暴力描写などに活かされている」とその作風を分析している。
  3. ^ 中田の論考に応答するかたちで稲葉由紀が「ハードボイルドなど死滅しようが」(11月号)、大藪春彦が「ハードボイルドであろうがなかろうが」(12月号)を寄稿するなど、論争は数か月に渡ってつづいた。

出典

  1. ^ a b c 中田耕治 略年譜”. 中田耕治ドットコム. 2020年10月31日閲覧。
  2. ^ 小鷹信光「『マンハント』がおもしろかった頃…」『宝島』、JICC出版局、1978年9月。 
  3. ^ 作家の中田耕治さん死去”. 時事ドットコム. 時事通信社 (2022年2月4日). 2022年2月4日閲覧。
  4. ^ 中田耕治とは”. 中田耕治ドットコム. 2023年3月16日閲覧。


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