略歴・芸風とは? わかりやすく解説

略歴・芸風

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ギャルズ」の記事における「略歴・芸風」の解説

2009年4月蓮見手塚太田プロエンタテイメント学院1期生として入学2010年3月同校卒業し同年4月から蓮見手塚コンビで『ギャルズ結成2012年2月ベーグル吉村加入しトリオとなる。太田プロライブ『月笑』では、2012年4月の回で優勝ネタは主にコントで、自作衣装小道具効果音多用した物が多く漫画アニメのようなコントとも言われている(「戦隊ヒーロー怪し裏側」のネタなど)。 蓮見ピン芸には「止まれない男」として、全裸股間新聞隠しただけの姿で走るというものがある。 2020年2月12日TBSテレビ水曜日のダウンタウン』で解散発表された。この放送翌日2020年2月13日出演するライブ復活!シャイニングスーパーボルケーノショー」(K-PRO主催東京新宿ハイジアV-1)が最後活動となり、解散後手塚吉村は新コンビポメラン』を結成蓮見は『蓮見こてつ』名義ピン芸人転向する

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略歴・芸風

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しあつ野郎」の記事における「略歴・芸風」の解説

本人特技である指圧からヒント得て将来に必要とされる時が来る事への願い込めて指圧野郎』と芸名決めたが、指圧はあまり上手くない。 中学時代から大学時代まで柔道をしており、段位3段東海大学時代柔道部所属しており、井上康生1年先輩に当たる。 物真似が得意である。特に、オール巨人物真似は、巨人自身その物真似気に入っており「オール巨人公認となっている。他の物真似レパートリーには、木村明浩バッファロー吾郎)、ケンドーコバヤシ宮川大輔ジョン・カビラアジャ・コング水野晴郎レイザーラモンRG今別府直之、などがある。過去には、石立鉄男久保田利伸物真似もしていた。 R-1ぐらんぷり2008では、2回戦進出デビュー当時2001年7月グランジ結成前の佐藤大1ヶ月だけ「賞金首」というコンビ組み活動していた。ちなみに佐藤とは元同居人という関係でもあった。 2008年7月29日芸名を『指圧野郎』から『しあつ野郎』に改名した現在の住まいであるマンションは、過去木村祐一宮迫博之宮川大輔住んでおり、その後売れっ子になった事から「芸人成り上がり御殿」と呼ばれている。ちなみに宮川の次は水玉れっぷう隊アキ住んでいた。

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ガルウィング (お笑いコンビ)」の記事における「略歴・芸風」の解説

目黒笑売塾4期生出身。同塾卒業後の2006年からホリプロコム所属ネタ漫才多くネタ最初にガルウィングです! ガルル~!」と、の手唸り模したようなポーズあいさつをすることが恒例となっている。また、ネタの中では鈴木柴田しつこくむような流れもあり、ネタによっては「ピーピーピーピーうるさいこと・・・」という台詞が入ることがある上記通り2014年8月31日を以て解散した解散後両名とも芸人引退している。

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ロビンソン (お笑いコンビ)」の記事における「略歴・芸風」の解説

共にピン芸人として活動していた河口森山二人で結成2010年3月より活動開始森山ピン時代ネタには、ディズニーランドなどテーマパーク係員やディズニーキャラ、ファンタジー世界キャラクターなど扮しネタがあった。 コンビでのネタでは、B'zなど河口物真似によるネタが多い。なお、CHAGE and ASKAなど、二人で物真似を行うこともある。 2010年12月6日ニコニコ生放送での「ナタデオッシュナイト(出演イジリー岡田・ホリ・アップルパイン)」に出演日本テレビ系列放送されている「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」等のプロデューサーであるヘイポーモノマネ披露したリスナーからは高い支持を受け、反響呼んだ2011年1月解散発表河口は、引き続きピン芸人として活動続ける。

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銀河の夜」の記事における「略歴・芸風」の解説

2009年6月結成それ以前から、お互いに長年友人関係でもあり、連日恋夜、岬のワルツだった当時2008年7月から約1年間パジャマお兄さん、ミスアルプスと共に自主トークライブ『THE POP』の主催務めていた。 ネタ前に小沢が「おざおざ」のコールをすることが多い。ネタ中では、小沢テンションをかなり高くして高山話しかけるということもある。最近では、小沢ブログに度々現れるという福井県在住男性のことをめくり芸の形で漫才ネタ取り入れることもある。R-1ぐらんぷりでは小沢が「銀河の夜おざおざ」の名前で出場し、この男性のことをネタにしためくり芸形式漫談披露して3年連続2回戦まで進出した2011年ころから銀河の夜ルサンチマン、ごはんパーティー日帰り温泉で月2回、路上ライブ開催した同年東京ビタミン寄席出演事務所ライブエヌフォースワンでは毎回上位ランクインしていた。 2012年THE MANZAI一回戦突破2014年9月解散

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「ダトウキョク」の記事における「略歴・芸風」の解説

2015年プロダクション人力舎運営する養成所スクールJCA24期生として入学当初は別々のコンビ活動していたが、授業中諏訪園から岩堀に声をかけ2015年7月結成された。 卒業後、2016年5月アナクロニスティック髙橋ちゃん次いで人力舎史上3組目の飛び級での正式所属となる(当時下部組織である「JCAプロモーション」を経由して所属するのが恒例となっていた)。主に漫才行い10歳年の差活かしたネタを得意としていた。 2018年10月諏訪園の引退に伴いコンビ解散した

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めいどのみやげ」の記事における「略歴・芸風」の解説

2008年よりめいどのみやげとしての活動開始するコンビ名の由来は、美味しい物を食べた時に発するティーチャ口癖から。活動始めたきっかけは、サッチィーバンドの曲と曲の間で、ティーチャ一緒にコント披露したところ好評得て手応え感じたことで、のちに正式にお笑いコンビとして活動をはじめる。当初フリー活動2009年 - 2012年10月までニュースタッフエージェンシー所属2013年6月よりサンミュージック所属。父・ティーチャが「年金ちゃん」、娘・サッチィーが「娘のサッチィー」としてそれぞれピン芸人として活動中。 父・ティーチャ高齢であることをネタしたものが多い。ティーチャは、これまでに「欽ちゃん高校後輩」「歌丸師匠1歳下」などをつかみにしたことがあり、手首用の血圧計のことを腕時計妖怪ウォッチなどと言ってボケたり、大河内傳次郎阪東妻三郎物真似ネタ中に入れサッチィーは「知らないよ!」などと突っ込むというパターンがある。ティーチャ自身太平洋戦争時空襲体験取り入れている。結成当初1年間コント専門だったが、ツインクルクック井上に「コントだと親子見えないティーチャ曰く援助交際にも見える」とも)」と言われ漫才始めたサッチィーは「めいどのみやげ」に掛けてメイド服出演したこともあった。 ネタ最後に二人で、「めいど、めいど、めいどのみやげ!もう一丁!めいど、めいど、めいどのみやげ!」と歌い合掌して終える。最初に「めいど、めいど、めいどのみやげ!」と歌うこともある。 2015年からは「家族の絆」がテーマのショートコントネタも演じている(このネタ締めは「オーマイファミリー」という台詞)。 2012年より主催ライブ生前騒』(せいぜんそう)を行っている。 2019年より、バリアフリー音頭バリアフリー親子コントバリアフリー親子漫才バリアフリー芸人など、バリアフリーテーマにしたネタ中心となる

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名古屋テバサキ」の記事における「略歴・芸風」の解説

2人出会ったのはナイアガラの滝。マクマリーがさちこに声をかけたのがきっかけ。 マクマリーがお笑いやること強く希望したということにより、さちこがそれに乗る形でお笑いコンビとして活動開始松竹タレントスクール16期生として入り2009年松竹芸能所属となる。主なネタには、マクマリーが日本語間違えて、さちこがそれに突っ込むものや、さちこが好きすぎるマクマリーが嫉妬する、などのものがある。「国際派夫婦漫才と言われたこともある。 『きらきらアフロ』の2021年9月9日放送分に、リモート観覧者として一家四人一男一女を含む)で参加アメリカに移住したものの、マクマリーがUSJ弁護士として招聘され、現在、兵庫県芦屋市住んでいること、マクマリーが今なお漫才未練があることを明らかにした。

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桂三段」の記事における「略歴・芸風」の解説

北海道芽室高等学校札幌歯科学専門学校卒業歯科技工士工場勤務パチンコ店員などを経て2005年6月13日桂三枝(後の六代目桂文枝)に入門よしもとクリエイティブ・エージェンシー(現・吉本興業)の「あなたの街に住みますプロジェクト」により島根県派遣され2011年5月から「住みます芸人」として松江市在住2015年4月まで島根県内を中心に活動した2012年古事記編纂1300年に当たることから、ヤマタノオロチ退治題材とした、「古事記落語」と呼ぶ創作落語松江市内で披露した。妻の影響によりクリスチャンであり、キリスト教絡め創作落語福音落語」にも取り組んでいる。 2015年4月からは活動拠点故郷北海道に移すこととなり、それに先立って島根県ふるさと親善大使「遣島使」に就任した北海道帰郷後も島根県住みます芸人継続しPR活動などを続けていたが、その後4代目北海道住みます芸人へと移行した。なお、島根県住みます芸人にはほかにABCDE湯かげん就任していたが、2015年4月から桂三段替わり奥村隼也加わった

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爆烈Q」の記事における「略歴・芸風」の解説

1995年8月より、高見河合梅本らを含めたメンバー活動開始当初は他にも大勢メンバー在籍していたため、9人組で活動していた頃もあった。その後メンバー相次ぐ脱退経て4人体制となる。2007年3月解散時にはトリオ活動していた。 爆烈コント題し1人嫌な事や誰だよと思うよう一言言い、それに対して3人が片膝をついた体制応援団のように両腕大きく振りながら「だーれーやーねん!!」「いーやーやーわ!!」などと叫んで行くショートコント形式ネタや、途中で中村肖像印刷されお札バラ撒いて行くというパフォーマンス恒例となっていた。また、パチンコ扮した3人に対して残り1人がツッコんで行くという形式ネタがあった。

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ジャンク (お笑いコンビ)」の記事における「略歴・芸風」の解説

2018年結成。共にスクールJCA26期生で、同期には竹内ズ車海老のダンスなどがいる。主に漫才行い2021年M-1グランプリでは準々決勝進出

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柳家小半治」の記事における「略歴・芸風」の解説

東京府東京市浅草区出身本名田代藤太郎。浪曲師浪花亭峰吉義理の息子美声だったが浪曲向きの声ではなかったので、浪曲師断念柏木昇という名前で俳優として活動し新派大部屋属していたという。 1918年頃に3代目柳家小さん門下小半治を名乗り音曲師になったひとりで掛け合い演じながら、オリジナル都々逸やさのさを歌った寄席番組においては、膝代わり(=トリの前の出番順)で重宝された。 晩年は生活が苦しく自身若い頃書き留めていた日記正岡容らの演芸評論家売って生計立てていた。1959年脳溢血のため地下鉄銀座線上野広小路駅倒れ救急車運ばれるそのまま死去60歳没。

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三等分」の記事における「略歴・芸風」の解説

2008年中にメンバー3人のそれぞれのコンビ解散、その中からみよ(山中美代子、元『マンゴスティン』)、たまこ(元『フリーサイズ』)、ちーちゃん中野千絵、元『ブルームフラワー』)により2009年1月結成三等分としての初のライブ出演2009年2月11日の『三波伸一凸凹大楽園』(中野・橋公会堂)だった。 2009年11月29日に、結成後初となる単独ライブ残り者には福がある』を、東京新宿バイタスで行ったトリオ時代主なネタには、どっちにしようかという悩みを持つみよの所へ二択ルンルン二択ルンルンお悩み解決、ルルルン」と言って他の二人現れ、そのたまことちーちゃんとで二択対決をするというコント演じるものがあった。また、いつでもどこでも三等分!」という定番のセリフがあった。 2010年2月たま子体調不良により脱退以後も「三等分」の名前のままで、コンビ活動継続二人になってからは、「いつもは二人で半分ずっこ、今日あなたと三等分」というキャッチコピーを自ら付けている。また、ちーちゃんがみよを「綾戸智恵」といじってネタにすることも多く、みよも綾戸智恵物真似ネタ披露することもある。 2010年12月に、松竹芸能所属になったことが発表された。 2010年5月から瞬間メタル一緒に相撲テーマトークをするライブうっちゃりトーク』(第一回=“初場所”は2010年5月23日)を行っている。 2013年11月2日ライブ『MUSIC-ECO-#55』(東京高田馬場live cafe MONO)を最後にちーちゃん脱退したことにより、コンビでの活動終了、みよは『三等分みよ』としてピン芸人となる。みよは2015年2月から芸名を『みよこ』に変更

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トンツカタン」の記事における「略歴・芸風」の解説

2012年結成。3人ともプロダクション人力舎運営する養成所スクールJCA21期生であり、お抹茶櫻田学生時代アルバイト先で出会い一緒に入学している。 養成所時代お抹茶櫻田コンビであり、そのときからコンビ名は「トンツカタンであったトリオ名は櫻田の兄が命名したもので、響き重視で特に意味はない(元々は「トンツカタントンツカタン」であったが、長すぎるため省略された)。 コンビ時代ツッコミのいないボケっ放しコントをしており、森本は「おもしろいんだけど、わかりにくいからウケづらかった」と感じていた。卒業間近になって、他のコンビ解散していた森本が加わる形でトリオとなった卒業後はJCAプロモーション昇格し2013年よりプロダクション人力舎正式に所属した2016年第7回お笑いハーベスト大賞優勝2019年第5回Laughter Nightチャンピオン大会にてマイナビ賞を受賞ネタは主にコントで、奇妙な設定持ち味とする。近年漫才披露することもあり、2021年M-1グランプリでは準々決勝進出した

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こじらせハスキー」の記事における「略歴・芸風」の解説

2人とも吉本総合芸能学院NSC東京校8期2002年 - 2003年在学出身卒業後は2人とも吉本興業よしもとクリエイティブ・エージェンシー)へ所属するも別々の道を行き橋爪1人で、ドイツコンビグリングリン(当時相方大久保薫(現・カシスプリン」))』、その後2006年4月からトリオライオンパンチ』として活動2007年9月20日ライオンパンチ解散後ピン芸人となる。 その後2人ともよしもと離れ橋爪サンズエンタテインメントへ、ドイツ2010年4月三木プロダクション移籍橋爪同じくサンズ所属していた井本みさおとのコンビ『ローハイズ』を結成。ローハイズは井本2008年2月20日をもってサンズ退社したことにより実質コンビ解消その後再びピン芸人として活動していた。橋爪2010年2月28日付けサンズエンタテインメント円満退社し、2011年より太田プロダクション所属となる。 後にこの2人ライブ出演し一緒にネタ披露などをすることが多くなる2014年正式に現在のコンビ結成。それに伴ってドイツ太田プロ所属が決まる。同年第6回仙台お笑いコンテスト』で決勝進出2015年第7回仙台お笑いコンテスト』で「サンドウィッチマン賞」受賞2016年1月2日NHKラジオ第1放送新春おめでた!しゃべくり一直線』で優勝し、「しゃべくり王」を受賞2016年7月28日2017年1月2日の同番組でもそれぞれしゃべくり王に選ばれ3連覇達成。同番組殿堂入りを果たす。 ネタ漫才コントともに演じている。コントネタは“漫才コント”とも言われている。自ら(2人とも)声が嗄れていると話している。またドイツ水前寺清子ものまね持ちネタであり、BSフジ水前寺清子情報館』で水前寺本人共演したこともある。 これまでこじらせライブ』『恵比寿aimライブ』『女女女ライブ』『昼から寄席』と、主催ライブ多く持っている

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法薬女子大学」の記事における「略歴・芸風」の解説

2007年3月3日結成結成当時コンビ名は『MK研進会』(二人の名前のイニシャルを採り、夢路いとし・喜味こいしらが参加していた『MZ研進会』の名をもじる)。2か月後の2007年5月に『エルアール30』に改名リクルートフリーペーパーの『L25』と『R25』に由来)、2008年7月現在のコンビ名改名結成以来フリー活動して来たが、2009年6月4日付でホリプロ所属となった時事ネタ法律ネタなどを取り入れた漫才ショートコントが多い(法律絡め構成のものなどのショートコントなど)。2人ともツッコミボケ両方務めネタによってポジション変わっている以前は、オリジナルの「法薬女子大学校歌」をネタ冒頭歌ったこともあり、あいさつ自分好きな嫌いな種類法律紹介しショートコントネタの間に「勉強なります」という台詞入れていたことがあった。その後あり得ないことがテーマ掛け合い漫才行っている(この時は二人で一緒にあり得ない!」というセリフ発している)。 ネタ中心にやっているが、実はネタ全てかずなが書いている。 2009年12月30日深夜放送された『クイズ雑学王年越しSP』にコンビ出場し優勝したかずなが同年年越し特番年越し雑学王』に「芸人Aチーム」として出場した。尚、番組内では観客としてスタジオ来ていた中村紹介された。なお、『芸能人雑学王 最強No.1決定戦』(2010年3月22日)は、二人とも解答者として出場2010年5月3日の『森田一義アワー 笑っていいとも!』の「ショップリ!」コーナーでは、先輩バナナマン・日村勇紀の紹介者として出演した2010年7月中村が髪を短くして蓮舫のような髪型にし、同じ白のスーツ着て同月行われた参議院議員選挙向けて蓮舫街頭演説全て追っかけるということ行い、その模様画像アップして掲載している。この中で日刊スポーツ取材も受け、2010年7月9日付けの同紙にも掲載された。以後ライブでも蓮舫キャラクターネタ出演することが多くなった。なお、一方でかずなは自分のことを「蓮舫じゃないほう芸人と言うようにもなった。

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八福亭」の記事における「略歴・芸風」の解説

メンバー二人幼馴染み同士最初は『福福亭』というコンビ名だったが、実家近所に同じ名前の店があったということ秀吉の母から聞いたということから、ライブ1回出演後間も無く八福亭』に改名かつての所属事務所はドルフィンプロダクション。2009年9月からフリーとなった期間を経て2010年11月から三木プロダクション所属ネタは主に漫才。みずほが秀吉差し置いて喋り倒したりするなどのスタイルがある。みずほのステージ衣装は、ピンクの色を基調とした派手なものや、オーバーオールなどが多い。 秀吉には、竹内力物真似で、竹内力らしいセリフ発するというネタがある。 『賞金争奪戦!ギャンブラー集い』『芸人ウォーズ』(いずれもStudio twl)のそれぞれのライブでは、共にメインMC務めていた。 2013年8月6日三木プロダクション所属離れて再びフリーに2015年12月22日スカパー!公開生放送最後に八福亭解散解散後、みずほはエーミュージックに移籍して「八福☆みずほ」の芸名活動秀吉プロ野球選手伊藤光そっくりさん芸人伊藤ピカル」として活動プロ野球選手そっくりさん芸人チーム『偽(いつわりJAPAN』のメンバーとしても活動している。

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海獣クラブ」の記事における「略歴・芸風」の解説

ワタナベコメディスクール24期生同士結成し2017年4月より台風クラブ』として活動開始。 主にコント先輩である四千頭身気持ち悪いネタばかりと評している。成岡の特技であるギター使ったコント演じることも多い。普段漫才はあまりしないM-1グランプリ出場したこともある。 2021年6月1日双方の公式ツイッターアカウントにてコンビ名現在のもの改名発表した2022年2月1日解散発表

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ビートルホーク」の記事における「略歴・芸風」の解説

2007年5月結成2010年11月27日解散ネタは主にコントで、以前は「遭難」や「病院」のコント、「妖怪ハンター」(主な設定に、100円ショップで、100円ではない物を売っている妖怪退治するというものなど)のネタなどがあった。その後古代人風の衣装演じる「神の造りしもの」「全知全能の神」などのネタ始め、「異端者裁判」では、縄に縛られ阿部振りネタ言い、鞭を持った荒井が「何~~~!」など大きな声と動き出して「~~の刑!」などの落ちを言うなどの掛け合い行い定番ネタ一つとなっている。 特撮造詣の深い荒井は、知識生かし特撮イベント司会などを務めることが多い。

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すきっぱマーチ」の記事における「略歴・芸風」の解説

同じ千葉県立千葉北高等学校同級生同士2人により2009年結成2人の出会い演劇部だった。まりかから誘う形で結成されたという。最初コンビ名を『マフィントラップ』に決めていたが、初のライブ出演直前になってすきっぱマーチ』と改名コンビ名は、まりかの歯がすきっ歯なのと、みぃが3月March生まれであることが由来一つ。なお、すきっぱマーチとしての初のライブ出演同年5月30日の『笑いの輪』(東京都中野区なかの芸能小劇場)だった。 ネタにはコント多く(時々、漫才スタイルネタ演じる)、まりかがこれまで演じて来たミュージカル調のキャラクター取り入れたものなどがある。主なものには、かつてはまりかがピン芸人時代にも演じていた『ベルサイユのばら』のキャラクターなどその後ミュージカルの『アニー』になりきってタップ踏んだしながら様々なネタ演じるもの、などがあった。 2010年3月30日の『下克上ライブ』(東京しもきた空間リバティ)を以って活動休止以後、まりかは「マリカ」として再びピン芸人として活動した後、2010年7月7日ライブTEPPENハニー』(なかのZERO 視聴覚ホール)にて、ゆっぴぃとの女性コンビ「オビディエンスロック」として初出演。みぃも、2010年6月29日下克上ライブ』(しもきた空間リバティ、「足立栄美子」として)、2010年8月5日ガールズガーデン』(Studio twl、「みぃ」として)などでピン出演2010年5月29日音楽ライブ『マサシンライブ番外編 第10次カワサキアニヲタ集合』(あさがやドラム)では、マリカ、みぃにもう一人加えた3人ユニット78』(セブンエイト)で出演2015年7月6日キングオブコント1回戦出場久々にこの2人ステージ立った

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地面 (お笑い)」の記事における「略歴・芸風」の解説

2013年プロダクション人力舎運営する養成所スクールJCA22期生として入学翌年2014年養成所2年目として残り23期生という形で少し遅れてJCAプロモーション昇格。主に漫才行っていたが、2016年解散発表した

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 23:55 UTC 版)

さんだる (お笑いコンビ)」の記事における「略歴・芸風」の解説

2013年ワタナベコメディスクール同期によって結成当初トリオだったが、1人脱退しコンビとして活動コンビ名の「さん」は3人組だったことに由来し、「緩くてだるい雰囲気やっていこう」という意味で「だる」を付け足したまた、サンダルそのものが緩そうな感じの物にも思えたという意味もある。これに宗は「『さんだる』では検索引っかからないから良くない」と意見したこともあった。候補には他に『アメリカ』おひさまパラソル』『シカゴチキン』『放課後ソルジャー』というものがあった。 ワタナベコメディスクール卒業するワタナベエンターテインメント所属にはなれず、フリー活動2015年よりホリプロコムへの所属が決まる。 2016年にはヤングウッズ、オレンジサンセットとの合同ライブ「S.Y.O」を3回渡って開催したが、その後オレンジサンセット解散によって事実上立ち消えとなり、ヤングウッズも解散している。 2017年11月1日新宿バティオスにて初の単独ライブ「お前ブルータス読んでんじゃん」を開催2018年6月6日新宿バティオスにて単独ライブ「すに~か~」を開催キングオブコントにて準々決勝進出2019年第1回ツギクル芸人グランプリ第3位キングオブコントにて準決勝進出2020年4月5日渋谷ユーロライブにて単独ライブすりっぽん」を開催する予定だったが、新型コロナウイルス影響延期となった。またキングオブコントにて二年連続準決勝進出果たした2021年5月30日渋谷ユーロライブにて延期となっていた単独ライブすりっぽん」を開催キングオブコントにて準々決勝進出

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