大月隆寛
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人物情報 | |
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生誕 |
1959年3月5日(63歳)![]() |
出身校 |
早稲田大学(法学士) 成城大学(博士後期課程単位取得満期退学) |
学問 | |
研究分野 | 民俗学、文化史、大衆文化 |
研究機関 |
東京外国語大学 国立民族学博物館 札幌国際大学 |
主要な作品 |
『厩舎物語』(1990年) 『民俗学という不幸』(1992年) 『無法松の影』(1995年) |
影響を 受けた人物 | 呉智英 |
経歴
1959年(昭和34年)生まれ。東京都武蔵野市出身、兵庫県育ち。魚座のA型。
1977年、兵庫県立西宮高等学校卒業。父親は早稲田大学・八幡製鉄所のラグビー選手であり、その影響もあり高校時代はラグビー部に所属していた[4]。
1981年、早稲田大学法学部卒業。早稲田大学の法学部時代の同級生に浅羽通明がいる。1986年、成城大学大学院博士後期課程単位取得満期退学。
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員、成城大学民俗学研究所研究員、財団法人民族学振興会[5]研究員、国立歴史民俗博物館共同研究員の後、1989年東京外国語大学外国語学部日本語学科助手。
1984年頃、民俗学の新たな方向性を期して、大月は同じ研究者の佐藤健二のほか吉見俊哉、小川徹太郎、重信幸彦とともに「都市のフォークロアの会」を結成、80年代後半にかけて活動を行う[6][7]。この会の活動を通じた『消えるヒッチハイカー──都市の想像力のアメリカ』(後出の著書の節を参照)の翻訳出版は、その後の「都市伝説」という用語の伝播に資している。
1991年には習志野第一空挺団と元フランス外人部隊脱走兵(毛利元貞)が指導することが売りの傭兵訓練に、町山智浩(当時宝島編集者)と共に参加している[8]。
1993年10月、国立歴史民俗博物館民俗研究部社会伝承第一部門助教授。1997年3月、国立歴史民俗博物館を退職。職場に呼んでくれた人との軋轢が退職の原因だと語っている[9]。
同年4月、国際日本文化研究センター客員助教授。2000年3月、国際日本文化研究センター客員助教授終了。
2000年8月30日に2ちゃんねるの競馬板に立てられた、当時種牡馬のグルメフロンティアが地方競馬で現役復帰するという内容のネタスレッド[10]を真に受けて、『週刊Gallop』の連載コラム内で「風の噂」として発表したため、2ちゃんねるで話題となった。なお、大月自身は2ちゃんねるに対して一定の評価をしている。
2007年、札幌国際大学人文学部現代文化学科教授に就任。2020年6月、札幌国際大学を懲戒解雇となる。
年譜
- 1977年 兵庫県立西宮高等学校卒業
- 1981年 早稲田大学法学部卒業
- 1986年 成城大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学
- 1984年 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員(1985年まで)
- 1985年 成城大学民俗学研究所研究員(1987年まで)
- 1987年 財団法人民族学振興会[5]研究員(1988年まで)
- 1986年 国立歴史民俗博物館共同研究員(1989年まで)
- 1989年 東京外国語大学外国語学部日本語学科助手
- 1990年 和光大学人文学部非常勤講師
- 1991年 法政大学第一教養部非常勤講師
- 1993年10月 国立歴史民俗博物館民俗研究部社会伝承第一部門助教授、和光大学非常勤終了、東京外国語大学外国語学部非常勤講師
- 1994年 東京大学教養学部非常勤講師、法政大学非常勤終了
- 1995年 東京外大非常勤終了
- 1996年 東大教養学部・和光大非常勤終了 聖心女子大学文学部非常勤講師
- 1997年
- 3月 国立歴史民俗博物館退職
- 4月 国際日本文化研究センター客員助教授
- 1998年 聖心女子大非常勤終了
- 2000年3月 国際日本文化研究センター客員終了
- 2007年 札幌国際大学人文学部現代文化学科教授
- 2020年6月 札幌国際大学を懲戒解雇
研究・評論活動
競馬評論や民衆文化、文学成立の時代習俗などをテーマに異色のフィールドワークを展開する。既存の民俗学には非常に批判的である。また、ジャン・ハロルド・ブルンヴァンの『消えるヒッチハイカー』を翻訳することで、「都市伝説」の概念を日本に紹介した。
浅羽通明と共に、呉智英の思想的影響を受けている。早稲田大学法学部の同級生の浅羽とは80年代末から90年代初期にかけては非常に親密であった。当時の大月と浅羽は著書『少女民俗学』などの著者である大塚英志の「擬似民俗学的評論」を批判するなどしていた。大月は大塚が講師をしているカルチャー・スクールに乱入し、大塚に水をかけたことがある。また、1989年には浅羽とともに、異端の民俗学者である赤松啓介を招いてシンポジウムを開催した。そのため、宅八郎から「ジャイアンとスネオ」と評された[要出典]。
漫画にも詳しく、『BSマンガ夜話』の司会を務める。ネット上のゴシップメールマガジン「サイバッチインデプス」の編集長、産経新聞朝刊文化面掲載コラム『断』の執筆者のひとりでもあった。
- ^ 「おおつき りゅうかん」と呼ぶ者もある。
- ^ 2020年に懲戒解雇を受け、処分を不当として現在係争中。後述
- ^ 『ネット界の暴力デブ太郎とひろゆきが語る「2ちゃんねる」の功罪』、正論2003年6月号
- ^ 山田五郎対談集『20世紀少年白書』世界文化社より。
- ^ a b 1999年に解散
- ^ “越境と抵抗新評論” (日本語). 新評論. 2021年8月4日閲覧。
- ^ 村山恒夫 (2022年4月16日). “やってきた2冊の本から吹いてくる風”. しらさぎだより(33). 新宿書房. 2022年8月10日閲覧。
- ^ TomoMachi (1078066800). “■” (日本語). 映画評論家町山智浩アメリカ日記. 2021年8月4日閲覧。
- ^ 小谷野敦との対談「だから大学ってダメなんだよ」『論座』2000年9月
- ^ おまえら喜べ!グルメフロンティアが復帰するぞ!
- ^ 『あたしの民主主義』毎日新聞出版、2000年2月。
- ^ 札幌国際大、大月隆寛教授を懲戒解雇 運営法人批判の会見に同席 毎日新聞2020年6月30日
- ^ king-biscuit [@kingbiscuitSIU] (2020年6月29日). "ワレ懲戒解雇手交サルヽ(゚∀゚)ノ" (ツイート). Twitterより2020年6月30日閲覧。
- ^ 留学生急増で混乱 日本語能力に問題/入学後育てる 札幌国際大、一部教員反発毎日新聞2020年3月31日
- ^ king-biscuit [@kingbiscuitSIU] (2020年6月29日). "昨年来外国人留学生の入試を不適切なやり方で実施し「N2」(日本語能力の基準)に足りない若い衆を見境なしに入れて定員水増しやっとったのに前学長らが気づき対処しようとしていたのに法人側が学長を解雇しようと策動、前学長致し方なく外部関係部署に通報&報道にも暴露したという概略の次第ひとまず。" (ツイート). Twitterより2020年6月29日閲覧。
- ^ king-biscuit [@kingbiscuitSIU] (2020年6月29日). "しかし、前学長は任期満了で解任に追い込まれ退職慰労金も剥奪、4月からは全部法人側言いなりの理事や学内体制になり事実上法人独裁、文科省以下外部もその後何も言ってこないから大丈夫、と多寡をくくったのか懲りもせず9月入学の外国人入試を実施している真っ最中。" (ツイート). Twitterより2020年6月30日閲覧。
- ^ king-biscuit [@kingbiscuitSIU] (2020年6月29日). "以上、ワレ交戦中、ノ背景概略ナリ。 残留戦力中堂々ノ被害担当艦トシテ勇戦敢闘シアルナリ。" (ツイート). Twitterより2020年6月30日閲覧。
- ^ “「懲戒解雇」以後――嶋貫和男という「盾」”. 大月隆寛. 2021年5月14日閲覧。
- ^ 「かくて私は教授を『クビ』になった」大月隆寛、地方大学の窮状を語る(2/2)ニューズウィーク日本版2020年7月9日
- ^ 山田五郎対談集『20世紀少年白書』世界文化社より。
- ^ 『教えてください。富野です』 [要ページ番号]
- 1 大月隆寛とは
- 2 大月隆寛の概要
- 3 「つくる会」への入会と除名
- 4 関連項目
固有名詞の分類
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