備中国
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地域
郡
江戸時代の藩
- 新見藩、関家(1.8万石)
- 備中松山藩、池田家(6.5万石)→水谷家(5万石)→安藤家(6.5万石)→石川家(6万石)→板倉家(5万石→2万石)
- 成羽藩、山崎家(3万石)→水谷家(5万石)→旗本山崎家(5千石)
- 浅尾藩、蒔田家(1万石→8,310石→7,700石→1万石)
- 足守藩、木下家(2.5万石)→浅野家(2.4万石)→木下家(2.5万石)
- 岡田藩、伊東家(10,343石)
- 庭瀬藩、戸川家(2.9万石→2.25万石→2.1万石→2万石)→久世家(5万石)→藤井松平家(3万石)→板倉家(2万石)
- 生坂藩(岡山藩支藩、1.5万石)
- 鴨方藩(岡山藩支藩、2.5万石)
- 西江原藩、森家(2万石)→赤穂藩へ転封
人物
国司
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備中守
- 市原王
- 藤原魚名:天平宝字2年(758年)任官
- 藤原縄麻呂:天平宝字3年(759年)任官
- 道守王:天平宝字7年(763年)任官
- 日置道形:780年頃任官
- 藤原園人:天応元年(781年)任官
- 紀深江:835年頃
- 春澄善縄:承和15年(848年)任官
- 源多:仁寿3年(853年)頃任官
- 源融:斉衡4年(857年)任官
- 源舒:貞観6年(864年)任官(権守)
- 藤原保則:貞観8年(866年)任官(権守)、後に守
- 源直:貞観19年正月15日(877年2月1日)任官
- 藤原有実:昌泰2年(899年)任官
- 在原友子:延喜元年(901年)任官
- 三善清行:延喜6年(906年)任官
- 藤原在衡:天慶5年(942年)任官
- 藤原朝忠:天徳2年(958年)任官
- 小野好古:天徳4年(960年)任官
- 源重信:応和元年(961年)任官
- 藤原伊尹:応和3年(963年)任官
- 藤原陳政:正暦3年(992年)任官
- 源経房:長徳3年(997年)任官
- 源成信:長保3年(1001年)任官
- 藤原忠輔:長保4年(1002年)任官
- 藤原兼隆:寛弘6年(1009年)任官
- 橘儀懐:寛弘8年(1011年)任官
- 藤原頼宗:長和3年(1014年)任官
- 藤原知光:長和4年(1015年)任官
- 藤原済家:治安元年(1021年)任官
- 源行任:治安3年(1023年)任官
- 藤原邦恒:万寿4年(1027年)任官
- 源資綱:長元7年(1034年)任官
- 藤原兼房:長元8年(1035年)任官
- 藤原師成:寛徳2年(1045年)任官
- 藤原憲輔:康平2年(1059年)任官
- 藤原実政:延久元年(1069年)任官
- 藤原仲実:永保元年(1081年)任官
- 藤原重通:永久2年(1114年)任官
- 藤原親信:1150年頃
- 平師盛:治承3年(1179年)任官
- 陶山清直 : 正慶2年 任官[注釈 5]
- 秋庭氏 : 観応3年(1352年)頃[注釈 6]
- 多治部師景 : 貞治3年(1364年)~永和元年(1374年)頃[注釈 7]
- 陶山氏 : 嘉慶元年(1387~88)頃[3]
- 楢崎氏 : 文明11年(1479年)頃[注釈 8]
- 新見氏 : 明応2年(1493年)、大永7年(1527年)
備中介
備中掾
守護
鎌倉幕府
- 1184年~? - 土肥実平
- 1276年~1279年 - 北条氏
室町幕府
- 1343年~1351年 - 南宗継
- 1352年~1355年 - 秋庭氏
- 1356年~1362年 - 細川頼之
- 1362年~? - 高師秀
- 1364年~1365年 - 宮兼信(備後国吉備津神社社家)
- 1365年~1375年 - 渋川義行
- 1375年~1393年 - 渋川満頼
- ?~1381年 - 石堂氏
- 1390年~1392年 - 細川頼之
- 1392年~1405年 - 細川満之
- 1405年~1430年 - 細川頼重
- 1430年~1460年 - 細川氏久
- 1460年~1493年 - 細川勝久
- 1511年~1512年 - 細川之持
- 1515年~1518年 - 細川政春
- 1552年~1561年 - 尼子晴久
- 1562年~1563年 - 毛利隆元
国人
- 英賀郡
- 哲多郡
- 上房郡
- 秋庭氏 - 有漢郷。守護・備中守を務め、細川京兆家内衆へ。
- 川上郡
- 賀夜郡
- 野山氏 - 本姓伊達氏。
- 小田郡
- 都宇郡
- 後月郡
- 下道郡
- 浅口郡
戦国大名
- 三村氏 - 家親が備中を制覇し、備前・美作にも進出したが暗殺され、子元親は織田政権と結んで毛利氏に反し、滅ぼされた。
- 宇喜多氏 - 三村氏と抗争しつつ備前から進出。
- 尼子氏 - 庄氏と結び備中を支配下においたが、三村氏に追われた。
- 毛利氏 - 備中兵乱で三村氏を滅ぼし直接支配下に置いた。
織豊大名
- 毛利輝元 - 中国国分により、高梁川以西を領知。
- 宇喜多秀家 - 中国国分により、高梁川以東を領知。
- 伊東長実 - 小田原征伐の功により天正19年(1591年)に川辺1万300石を与えられる。子孫は同地にて岡田藩主として続く。
武家官位としての備中守
江戸時代以前
- 熊谷直国:鎌倉幕府御家人。平家物語で有名な熊谷直実の孫
- 佐々木頼綱(六角頼綱):鎌倉幕府御家人、近江守護
- 六角満高:南北朝時代から室町時代の武将、守護大名。近江守護
- 陶山氏 : 任官の後、世襲官途。陶山備中入道(『文安年中御番帳』)など。
- 多治部氏 : 南朝による任官の後、世襲官途
- 楢崎氏 : 任官の後、世襲官途。任官直前まで備前守を世襲官途としていた[6]。
- 石川通経 : 享禄3年(1530年)
- 庄為資 : 天文2年(1533年)
- 庄高資 : 元亀元年(1570年)
- 三村家親 : 元亀2年(1571年)
- 伊勢氏 : 惣領家と備中伊勢氏双方。貞國が初例。盛貞・貞藤・貞達・貞陸など。世襲官途[注釈 9]。
- 伊勢盛定:室町幕府将軍申次。北条早雲の父
- 太田資清:相模守護代、太田道灌の父
- 太田道灌:扇谷上杉家の家宰。江戸城を築城
- 小山田虎満(小山田備中守):甲斐武田家の家臣
- 塙直政:天正3年(1575年)任官。織田氏の家臣
- 片倉景綱(片倉小十郎):伊達政宗の軍師
- 安芸毛利氏当主
江戸時代
- 阿部家宗家
- 遠江掛川藩太田家
- 上総一宮藩加納家
- 近江小室藩小堀家
- 伊勢菰野藩土方家
- 上総大多喜藩大河内松平家本家
- 和泉伯太藩渡辺家
- その他
- 井伊直禔:近江彦根藩第10代藩主
- 池田長吉:因幡鳥取藩初代藩主
- 池田長幸:鳥取藩第2代藩主、備中松山藩初代藩主
- 板倉勝行:陸奥福島藩第6代藩主
- 京極高富:丹後峰山藩第11代藩主
- 京極高陳:峰山藩第12代藩主
- 酒井忠解:出羽大山藩初代藩主
- 佐久間勝豊:信濃長沼藩3代藩主
- 堀田正俊:正俊系堀田家初代。上野安中藩、下総古河藩初代藩主・老中・大老
- 堀田正睦:正俊系堀田家9代。下総佐倉藩第5代藩主・老中首座
- 牧野貞長:成貞系牧野家5代。常陸笠間藩第2代藩主・老中
- 牧野貞喜:成貞系牧野家6代。笠間藩第3代藩主
- 増山正同:伊勢長島藩第8代藩主
- 松平定静:伊予松山藩8代藩主
- 松平直堅:越後糸魚川藩祖
- 松平康員:石見浜田藩第3代藩主
- 三宅康和:三河田原藩第9代藩主
備中国の合戦
- 1183年:水島の戦い、源義仲軍(源義清) x 平家軍(平重衡・平通盛)
- 1574年 - 1575年:備中兵乱、毛利・宇喜多軍(小早川隆景、宇喜多直家) x 三村元親
- 1582年:備中高松城の戦い、織田軍(羽柴秀吉) x 毛利軍(清水宗治)
注釈
- ^ 別称「備州」は備前国・備中国・備後国の総称としての呼称。
- ^ 吉備地域。住居表示実施地区の境界については未詳。
- ^ 足守地域・高松地域。
- ^ 旧・上房郡北房町。
- ^ 反幕府の赤松勢を撃破した戦功。光厳天皇による臨時宣下で河野九郎通治が対馬守に任ぜられたのと同時任官。田中修實 『中世後期受領名官途の在地効果 備中守の事例を中心に』1989年
- ^ 重明か。守護・国司兼帯。田中修實 『中世後期受領名官途の在地効果 備中守の事例を中心に』1989年
- ^ 南朝による任官と推定されている。田中修實 『中世後期受領名官途の在地効果 備中守の事例を中心に』1989年
- ^ 室町幕府御教書。田中修實 『中世後期受領名官途の在地効果 備中守の事例を中心に』1989年
- ^ 「其はじめ一たび此國に任ぜられしより、遂に空名ながら代々の通称」として世襲した。田中修實 『中世後期受領名官途の在地効果 備中守の事例を中心に』1989年
出典
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